2-4◆中田 朔の秘密
水族館のイルカは、追込み漁で
陽奈子は一つ上の先輩で、大学のバスケ部でマネージャーをしていた。まだ付き合う前にバスケ部のメンバーで、
外敵のいる世界で自由に生きる事と、管理されて安全に生きる事はどちらが幸せなのだろうか。そんなことを二人で話した。
「私、イルカショーって、初めてです」
近くで見たいと言った度会のリクエストに答えて、最前列に座っている。ショー全体の世界観を見るならば、中列あたりが本当は良いのだろうが、水中でのイルカの力強い泳ぎが間近で見れる事と、時折浴びせられる
観客の
「気分転換くらいにはなりそう?」
「はい。なんだか、スカっとしますね。イルカがこんなに泳ぐの速いなんて……」
すぐ目の前まで近づいてきていたイルカの一頭が、突然ジャンプする。続けざまに後ろに続いていた二頭も、高く跳びあがった。
着水と同時に、大量の水が降り注ぐ。まるで大粒の雨に、
「こんなに水飛んでくると、思わなかった……大丈夫か?」
隣を見ると、手を顔付近に挙げたポーズのまま、彼女も毛先から水を滴らせていた。ゆっくりとこちらへ顔を向けると、今度は笑い出した。
「先生、びしょびしょだよ! 水!」
「度会も同じ状態だからな。……何かこの水、生臭い……」
彼女は、まだ笑いがおさまらず、声を出して笑っている。こんな状況で大笑いする理由が良くわからないが、その姿を見ているうちに、こちらも笑いが込み上げてきた。
『今日は、皆とっても調子がいいので、いつもより高く飛んでいまーす。前の席のお姉さんと
お兄さんの所が、大雨になっちゃいましたねー。大丈夫ですかー?』
ステージからトレーナーの女性が、マイクで話しかける。大丈夫と叫んで、片手を上げる。
『水をかぶって、お兄さん男前になりましたね』と返しを入れて、観客の笑いが起きる。気付くと水族館のスタッフらしき女性が、タオル二枚を持って来てくれていた。
「すいません、さっきのジャンプ、たまーに大量に水飛ぶことがあるんですよー。使ってください。あとこれ、売店で使える割引チケットです」
確かに、いくら最前列とはいえ、ここまで水が飛んできたのは初めてだ。スタッフの周到な準備から、発生頻度はそこそこあるのだろう。ありがたく受け取ると、片方のタオルを彼女の頭に被せて、水気を拭き取る。
「自分でやるから、先生も早く拭いた方が良いですよ」
今度はタオルごと、ふいと正面に向き直って、静かに髪の毛や服を拭きだした。この年頃の少女は、感情の起伏が大きい。気持ちの移り変わりについていくのは、大変だ。さっきまで大笑いしていたのに。ちらりと彼女の方を見ると、彼女もこちらを見ていたようで、目線がぶつかった。
「先生、ちょっと若返った……」
渡会は、珍しい動物でも見るように口を半開きにして目を丸くする。
「へ? ……水被ったから、肌潤ってる的な?」
「そうじゃなくて、髪。前髪が、いつもと違うから……」
彼女の言うとおり、普段は額にかからないようにしている前髪が、全て落ちてきている。
「あぁ、タオルで拭いたからなぁ。若返ったって言うから、何が起きたかと……」
そんなに驚かなくてもいいのに、
彼女の前にも同じ意見が二人からあったことを思い出す。これで三人の指摘が集まったから、あの髪型にそれなりの効果はあるわけだ。
「ちょっとだけ……、ほんの少し若く見えるって、言いたかったんです。前髪があると、大学生くらいには見えますよ。」
少し拗ねた様子で、こちらを見ながら呟いた。彼女は、この短時間で色々な表情を見せてくれる。もっと感情を引き出してみたい。
いや、そんなことに何の意味があるのか。彼女から信頼を得ることができれば良いだけだ。相澤の情報を聞き出して、彼女を利用して、罰を与える。
しかし、なぜ相澤は娘と一緒に暮らしていないのだろう。母親もいない今、唯一の家族だ。もしかして、相澤は自分の事だけが大事な男なのだろうか……。もしもそんな父親だったら、渡会は今後、父親と会うことはあるのだろうか?
まだ情報が少なすぎて分からないことだらけだ。もっと彼女から家族の話を引き出さなくてはならない。
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