1-5◆渡会 楓の秘密

 店内では普段和菓子を食べる機会のない先生が興味津々きょうみしんしんといった感じで、ガラスケースに並べられている様々なお菓子の材料や味・作り方について、店員に聞いている。


 私はいつもの琥珀糖こはくとう一箱と、ついでに羊羹ようかんを注文して包んでもらう。その間に、先生も琥珀糖を買っていた。


 車に戻って、フロントガラスをバラバラと叩く雨をぼんやりながめているうちに、車は動き出した。


度会わたらいのお母さんって、もう帰宅されてるかな?」

「あ、まだ帰ってないと思います。しょ……母は、大抵たいてい、九時くらいに帰ってくるので……」


 病院で初めて先生と顔をあわせた叔母の祥子さんは、先生に対して母ですと名乗った。祥子さんは、事情をわざわざ説明する必要のなさそうな人には母ですと言い切る。


 叔母だと言うと、母親はどうしたとか色々質問されて面倒なので、私にも他人に聞かれたら、未婚の母と話せと言う。学校に提出した書類にも、続柄つづきがらに母と書き込んでいた。


 中学校では、私がどんな目にったか知っているので、本当は、また私が変な詮索せんさくをされたり、噂を広められたりするのを気にしての行動だと思う。祥子さんは三三歳で、更に見た目が若い。


 母です、と紹介すると皆驚く。しかし差しだされる名刺が有名商社の機能材料なんとか部主任の肩書なので、母親のネタにはそれ以上突っ込んでこない。


「そうか……通院終わるし、挨拶あいさつしておきたかったんだけど……そんな時間まで待つわけにはいかないな。日を改めて挨拶あいさつに行くか」

 先生は、残念そうに溜息ためいきく。


「しかし、商社って大変なんだな。度会が小さい頃から、そんな感じなの?」

「いや、そんなこともないと……、産休で結構休めた、とか言ってましたから」

 出来ることなら、こういう話題は早く終わらせたい。あまり家庭のことを話すと、嘘がばれてしまいそうだ。


「え? 入社してから度会を産んだの? 三〇ぐらいに見えたから……学生の時か、それとも……って思ってた。すごく若く見えるだけ?」

 祥子さんが聞いたら、きっと喜ぶ。祥子さんが三三歳、私が一六歳。この年齢差だと、祥子さんが一七歳のときに、私が産まれている。今までこんなにはっきりと指摘されたことがないので、返答に困った。


 仮に入社一年目で妊娠したとした場合、総合職だから最短でも二二歳。一年後に私が産まれるとプラス一七年で、設定は三九歳? そもそも、入社一年目で産休ってとれるものなのだろうか……。四〇代設定の方が自然? それとも、育休と間違えたって言うべきだろうか。


「そうですか? 三九歳なんですよ。入社して、一年たたない内に妊娠したらしくて、すごく悩んだって言ってました……。父の事は、私も知らないんです」

 二〇代に間違われる事もあるので、四〇設定は逆に嘘がバレそうで、三九歳。


「そ…うなのか……? ……ご両親、度会からしたら、じいちゃんばあちゃんか……吃驚びっくりしただろうな。」

「そうですね、大学出てあの会社入社して、一年でそうなったら吃驚したと思います。」


 顔を見なくても、声色から先生が私の回答に満足していないことが分かる。祖母は、私が小さい頃に亡くなっている。祖父は、定年後、県外で暮らしている。さらに質問が来た時のために、事実すら心の中で反芻はんすうして確認する。


 しかし今日の先生は、やけに個人的な事を聞いてくる。私に興味を持ってくれているのかも知れない、と思うと少し緊張する。


 そして、祥子さんの本当の経歴は、国立大経済学部にストレートで入学し順当に卒業。そのままイギリスの大学院へ入学し経営学と法学を修め、欧州を放浪し二六歳の秋に日本で就職、現在に至る。これはこれでドラマがありそうだ。


「すごい決断力だよな。素敵な人だな」

 素敵な人、という言葉にどきりとした。先生と祥子さんの方が、私よりも歳が近い。先生より一〇歳も年が下の私は、先生にどう映っているのだろうか。私の事を素敵だと言ってもらえる想像はできない。

「私も、そう思います……」


 さっきの残念そうな先生の様子を思い出し、どうして可能性に気付かなかったのだろうと、頭を殴られたような気分になる。先生は祥子さんに興味があるのだ。


「それと、英語! 病院でも電話かかってきて、英語で対応してたけど、留学経験者?」

「はい、イギリスに」


 祥子さんは、私から見ても格好良いし、優しい素敵な大人だ。あの頃、精神的に滅茶苦茶だった私を支えてくれた。今後のことを考え、私を度会家の養子にして、母の姓を名乗れるようにしてくれた。祥子さんの事をめられて、嬉しいと思うのに、少し沈んだ気分になる。


 自分の中に、もやもやした感情がある。矛盾むじゅんのない話を組み立てなくてはいけないのに、集中できない。


「やっぱりな、発音めちゃくちゃ綺麗だったから……あれは語学とか交換留学で一年ってレベルじゃないだろ?」

 きっと、間違いない。私に興味があるなんて、何を舞い上がっていたのだろうか。


「えっ、あぁ、四年くらいだと思います。大学い――」

 しまった。大学時代の交換留学で、一年としておかなければ計算が合わない。

「四年も? 大学に四年通ったんだよな? いつ行ったの? イギリス」


 いっそのこと、大学をイギリスにする? いや、海外の大学なんて詳しく知らない。新たな質問が来たら困る。中高生の頃の経験、という設定にする……?


 けれど、先生が祥子さんに好意を持っていて、彼女の事を知りたいと思っていたら……、こんな稚拙ちせつな作り話が、何になるというのだろう。


 先生の隣に座っているだけで普通にしていられないのに、さっきからずっと心がざわざわしている。もう嘘を考える余裕がない。

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