大津の古狸

「九条様、この妖は、人を殺めたりするのですか?」

「この部屋に泊まった者の、金目のものを奪い取るらしい。鋭い獣の爪と牙を持った恐ろしい妖怪で、人の言葉を話し、命が惜しければ金を出せと要求するというのだが、幸い金を受け取ると大人しく帰るので、命を失くしたものはいないようです」

 高槻様から、鋭いかぎ爪で押さえつけられ今にもかみ殺されそうだったと、聞いていたよすがには、少しも安心はできなかった。

「…そうなのですか…」

「宿代は、前金で払っているが、旅の路銀をすべて取られてしまい宿主ともめるようだ。宿主は、仕方なく盗まれた金を弁償させられるはめになっていたらしい」

「まあ、気の毒に…。目当ては金品なのですか?」

「その様で…。妖が金を欲しがるというのも、何だか妙な気もしますが…」

「金などが好きな妖なのですか…?」

「それが、…大津に古くから住む狸らしいです」

「狸! 狸の姿をした妖と言うことですか?」

 確かに狸は鋭い爪も、牙も持っているかもしれない…。しかし、あの可愛らしい風貌の狸が人を襲うなど不思議な気がした。

 だが、妖と言うのだから、普通の狸ではなく恐ろしい者なのだろう。

 もしかしたら、体が狸で、手足は虎で蛇のしっぽを持った鵺(ぬえ)のようなものだろうか想像すると、恐ろしさが襲寄おしよせてきた。

 現にこの旅籠屋はたごやの周りには瘴気しょうきが漂ってただならぬ雰囲気がある。

 これでは、お客が近寄らないだろう。この旅籠屋がつぶれるのも時間の問題に思えた。

「…おそらく、そうなのでしょう。この大津の主と言われる古狸のようなのですが、なかなか賢くて捕まらないそうです」

「それで、九条様はどうなさるおつもりだったのですか?」

「とりあえず、この宿に護符でも貼って,タヌキが近づけないようにでもするかと思ったのですが、…それではまた別の宿に現れないとも言えませんし、きりがありませんから、どうしたものかと…」

 さすがのよすがも、鵺(ぬえ)を相手にどう戦ったらいいのか、見当もつかなかった。


部屋に入るととっさに、にゃまとがよすがの袖の後ろに飛び込んできた。

 やはり何かいるらしい。

「にゃまと、何か見えるの?」

「押し入れの中から、こっちを見てるニャン」

「そ、そうなの…」

 一応覚悟はしてきたものの、さすがに側にいると言われるとゾッとする。

「九条様、妖は押し入れの中のようですね…」

「うむ…。まずは、何故そこにいるのか聞いてみなければなりますまい」

 九条様は、思いもよらず、驚く様子もなく、まるで普通に話しをしてみようという様子だった。

 そういえば、九条様と言うのはいつもこういう方だった。慌てふためくということが全くない人だ。

 しかし、よすがは、妖の話を聞くというのはあまり乗り気でなかった。

 何故なら、それで並大抵ならぬ苦労をしかねないということを嫌と言うほど経験してきたからだ。


 その時、にゃまとがよすがの袖を引っ張って押し入れを示した。

「よすが…あれ、顔出してみてるにゃん」

 にゃまとに言われて、押し入れの方を見てギョッとした。

 伏間(ふすま)が少し開いてたれ目だが片目だけでギョロリと光るのが見えた。

 暗闇で光る獣の目だ!

「我々をかもだと思っている様子ですな」

 押入れの中は、おそらく妖のテリトリーのはずだかだから、踏み込んでは不利になる。

「どうにか出てきてもらわなければななりませんね」

「そうですな、踏み込んでは逃げられてしまうかもしれませんし…」

「もしかして、ここは寝たふりでもすれば出てきてくれるのでしょうか?」

「ふむ、寝るにはいささか早い時間ではありますが…。物は試しです、眠るふりをしてみますか?」

「出てきたら、どうなさるおつもりですか?」

 油断させておびき出したはいいものの、その後どうするのかよすがは不安になって九条様の考えを聞いてみた。

弁慶べんけいを呼んでおいて金縛かなしばりの術を掛けましょう」

 さすがは九条様、ちゃんと策があるのだとホッとした。

「あ、…なるほど、では、にゃまと、弁慶様に隠れて見ているように伝えてきて」

「分かったにゃん」

 にゃまとは猫の姿になると、とことこと、隣の家来部屋に歩いて行った。

 よすがと、九条様が、寝支度にかかっていると、押入れの襖(ふすま)から顔を全部出してニターッと笑っている。

 その顔が何とも嬉しそうで、以外にも愛嬌があった。

 思っていた恐ろしい鵺(ぬえ)とは違うのかもしれない?

 案外悪いものではないのかもしれないと、よすがは思ってしまう。

 よすがと九条様は、布団に入りじっと息を殺して寝入ったふりをすると、スラリと、襖を開ける音がした。

 やがて、のそのそとタヌキが出てくる気配がした。

 今だ!

 弁慶様は、狸に金縛りの術を掛けた。

 九条様は、ばっと! 布団をはいで起き上がり、刀を構え、よすがを後ろにかばい、狸と向き合う。

 なんと、大の男ほどもある、大きな狸が金縛りの術で身動きできなくなって立ち往生していた。

 やっぱり鵺(ぬえ)じゃない、びっくりするほど大きいけど普通に狸だった。

 大きいと言えば、玉どんも、普通の猫とはかけ離れて大きい。大人の男ほどの大きさがある。珍しいことでもないのかもしれない。

 にゃまとがよすがの膝に駆け寄ってくると、弁慶様はじめ、御家来衆も入ってきてその大きさに驚く。

「ほおー、大津のぬしと言うだけあって、なかなか立派な体格ですな」

「む、む…お前たちは何者だ、わしにこんなことをした人間は初めてだ」

 狸は、目を白黒させて口をゆがませる。

「おお、人の言葉が分かるらしい」

 九条様の言葉にギョロリと睨んで不満そうに言う。

「わしを、言葉も分からない下等動物と一緒にするな!」

「それは悪かった、ならば、話をしようぞ」

「話? 何の話だ?」

「お前が旅人を襲い、金を盗んで困らせているわけを、教えてもらいたい」

「嫁をもらうために決まっている!」

 当たり前なことを聞くなと言うばかり狸は鼻を鳴らして言う。

「嫁! …」

 一同の、余りにもあり得ないと言わんばかりの反応に、少し不安になったのか狸は、自信なさそうな態度になった。

「金を沢山持っていないと嫁が来ないのだろう? わしは随分金をためたのにまだ嫁が来ない。まだ足りないんだ! もっと、金をためなければ、早く可愛い嫁がほしい!」

 一同は顔を見合わせて、しかし、言葉にならなかった。

「どうして、金を持っていれば嫁が来ると 思うのだ?」

 九条様が、不思議そうに尋ねた。

「ここに泊まった人間に教えてもらった」

 思いもよらない答えに、一同は顔を見合わせて聞き違いじゃないことを確かめた。

「その人間は、嫁を迎えに行くのだと嬉しそうに言うから、嫁とは何だと聞いたら、嫁と言うのは、可愛くて、側にいるだけで幸せになれる伴侶はんりょだと言った。 わしも嫁が欲しいと言ったら金が要ると教えてくれたのだ」

 随分と、現実的な返事だが、大事なのはそこではないだろう…。


「その人間は、他には何も言っていなかったか? 例えば気に入った相手に結婚を申し込むとか…」

「気に入った相手? そんなもの何処にもいない。この大津には、同族の狸はいない」

 確かに普通の狸はいても、妖の狸となると難しいだろう…。

「同族でないとだめなのか? 例えば、普通の狸の嫁を見つけるとか」

「普通の狸では、わしには小さすぎる。うっかりつぶしてしまいかねない」

 一同考え込む。

 確かにこの体格に見合った狸と言うのはいないな…。

「おまえさんには気の毒だが、嫁を貰うのは無理だ」

 九条様がきっぱりと言い切ると、狸は衝撃を受けて、悲しそうに聞いた。

「何故だ!」

「いいか、嫁と言うのは待っていても来るもんじゃない。探しに行って出会わなければならない。だが、この大津には探すにも同族がいないなら出あうわけもなかろう。最初から嫁はいないんだ」

「わしの嫁はいないのか?」

 肩を落としてたれ目がさらに垂れて目尻が頬に食い込むほど下がっている。

「そうだぞ。だからもうあきらめて人から金を奪うのはやめるんだ。第一金を持っていてもお前さん達には使い道がないだろ。嫁さんがいたとしても、金を欲しがるとは思えんぞ。金を欲しがるのは、人間の嫁だけだ」

 弁慶様が、諭(さと)すように話をする。

「盗みはやめるから、嫁を探してきてくれるか?」

 狸も、よほど諦められないのか、すがるように懇願した。

 狸でも、一人はやっぱり寂しいのだろうか?

「! …いや、自分は人間だからなあ…。探すと言っても、何処に行けばいいのかさっぱり…」

 さすがの弁慶様も、困り顔である。

「ねえ、いっそのこと普通の狸のお嫁さんにしたらいいんじゃない? つぶさないように何時も気にかけて大切にしてあげたらいいじゃない」

「そうじゃ、お前妖力ようりきが使えるのであろう? それに狸なんだから化けるのは得意なはずだ。体を小さくしたらいいのではないか?」

 さすが九条様は機転が利いたお方だ。狸になかなか良いアドバイスを与えた。

「ああ、なるほど、大狸が普通の狸に化ければ、嫁が出来ますな」

「おお、それはいい考えでございます。さすがは殿」

「今ここで普通の狸になってみなされ、皆で問題ないか見てやるぞ」

 皆が口々に言って、狸をその気にさせる。

「金縛りで動けないのにか?」

「おおそうか、どれ、弁慶金縛りを解いてやれ」

「は、わかりました」

 弁慶様が、術を解くと、狸はポンと普通の大きさの狸になった。

「どうだ、これで嫁が来るか?」

「おお、これなら問題はない。見るからに普通の狸だ」

「それじゃあ、さっそく嫁を探しに行ってくる」

「もう、盗みはするなよ」

「ああ、押し入れの入り口はふさいでおく。嫁が来ればもういらないからな」

 そう言って、狸はいそいそと窓から出て行った。

 呆気に取られて言葉を失くしていた皆が、思いのほか、良い結果に到着できたので、誰からともなく笑い出した。

 九条様も、弁慶様も、よすがも、思いもよらない結果に只おかしかった。

 大津の主と言われる古狸相手に、一戦交えなければならないかと意気込んでいたのに、何とも気の抜けた話だろうか。

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