鎌倉への旅

 九条様が帰った後によすがは考え込む。

 はっきり言って、鎌倉かまくらに行かなくても良いと言ってもらえてほっとした。

 鎌倉に行ったら、又ひと月以上も留守にしてしまうことになる。そんなことをしてしまったら、本当になじみのお得意さんに忘れられてしまうかもしれない。

 そんなに頻繁ひんぱん留守るすにしてあてにならないよすがより、他の白拍子しらびょうしの方がいいと、乗り換えられてしまうかもしれない。帰ってきたときには忘れ去られて、誰からも相手にされなくなっていたら…と思うと怖かった。

 でも、…それと同じくらい、九条様の寂しそうな顔が思い浮かんでしまう。

 九男坊の自分などが出しゃばってはいけなかったのだと言っていた…。

 九条様にとっては、兄君の言葉は絶対で、断ったりしたら、いったいどんなとがめがあるのかと考えたら、それも怖かった。

 九条様は、よすがの為にとんでもない罰を受けるかもしれない。

 気性の激しい頼朝様は、厳しい罰を与える人だと聞いている。

 もし、九条様が命を落とすことにでもなれば、よすがは後悔などでは済まない。

 取り返しのつかないことになる前に何とかすべきではないかと考え始めたら、いてもたってもいられなくなった。

 にゃまとが、心配そうに顔を覗き込んで膝に乗ってきた。

「にゃまと、鎌倉に行ってみようか?」

「九条様と、弁慶様と一緒にゃんか?」

「うん。そうよ」

「行くにゃん!」

 にゃまとは耳をぴんと張って、嬉しそうに見上げた。

「でも、その前に、高槻様たかつきさまにご相談してみないといけないわ」

「大丈夫にゃん。高槻様は、よすがが大好きにゃん」

 

 其れから数日後、よすがは、九条様と縁側に座って話をしていた。

 九条様もあれからお忙しかったらしく本当に久方ぶりによすがの元を訪ねた。

「実は、兄上の使者と共に鎌倉に行かねばなりません。暫く都を留守にしますので、色々と手配をしていました。それで、ご無沙汰してしまいましたが、よすが殿にはお変わりなくお過ごしでしたか?」

 先日、よすがは九条様の頼みを断ってしまったのにもかかわらず、何時ものように、優しい心遣いをしてくださる九条様に、申し訳なく思った。

 きっと、大変なことになっていて、心中穏やかではないはずなのに、こうして優しくしてくださる。

 意を決してよすがは、話を切り出した

「九条様、私、色々考えたのですが、やはり私を鎌倉にお連れください」

 九条様は、驚きと、戸惑いの表情でよすがを見る。

「…よすが殿、良いのですか?」

「はい。高槻様にご相談してみたところ、色々お力添えしてくださると、心配しないで行って来いと言っていただきました」

 思いがけないよすがの言葉に、九条様は二人の間に置いてあった、福さんが出してくれたお茶の乗った盆をどけてにじり寄り、よすがの手を握った。

「本当ですか! 何日も、よすが殿と離れなければならないと、覚悟を決めていましたが、一緒に行ってくださるのですか」

 九条様は光輝くような笑顔になり、飛び切り嬉しそうだったが、よすがは、人に手をにぎられるのがにがてだった。

 思わず何時もの癖で反射的に手を引いてしまっていた。

 反射的に手を引いただけで、嫌だったわけではなかった。

 よすがは、やってしまったと、後悔するが、遅かった。

 よすがに拒まれたと思った九条様は、しゅんとして手をひっこめ、しゅるしゅると後ろに下がった。

「あ、あの、申し訳ありません…」 

「い、いや、私の方こそ…。よすが殿の手はむやみに触っていいものではありませんでした。嬉しさに、つい我を忘れてしまって、不躾(ぶしつけ)に手を握ってしまうなど…。申し訳ない」

「そうではありません。九条様なら、構いません。ただ、驚いてしまっただけで…」

 よすがは、言いながら恥ずかしくて顔がほてるのを感じていた。

「私は、触っても良いと…?」

 よすがは、火照った顔を見られるのは恥ずかしいので、顔は横を向いたままおずおずと手をさしだした。

 九条様は、目にもとまらぬほど素早く再び距離を詰め、がばっと、両手でその手をつかんだ。

 小さな白い手がとても愛しくて、握りつぶしてしまいたい衝動を抑え、そっと壊れ物を触るように優しく、すりすりと指先でなでた。

 よすがは、指先に感じるぬくもりに、雲に包まれてでもいるかのようにふわふわと浮かび上がってしまいそうな幸せに戸惑っていた。

 弁慶様(べんけいさま)は、いたたまれない様子で、そっと、灯篭(とうろう)の陰に姿を隠して、二人の様子を見守った。

 何故か、にゃまともこっそり弁慶様の後ろについて来て、同じように覗き見ている。

「弁慶様、馬にけられないようにしてるにゃんか? こうすれば、僕も馬にけられないにゃんか?」

 弁慶様の後ろからのぞき込みながら、くりくりのつぶらな瞳で見上げて小首をかしげる。なんとも罪のない愛らしい瞳か。

 弁慶様はうんうん、とうなずきながら、どちらも目が離せず、目が行ったり来たりとても忙しいおもいをした。




 陰陽道(おんみょうどう)で良き日を占い、よすがは、九条様と共に鎌倉を目指した。

 よすがは、お得意様に挨拶に回りせわしなく過ごしたが、どの家も、理解してくれ、必ず帰ってくるようにと言ってくれた。そして沢山の餞別(せんべつ)を頂いた。

 よすが自身、この旅の先に何があるのか、不安はあった。

 もしかしたら、頼朝様と、九条様の確執(かくしつ)に巻き込まれてしまったのかもしれない…。

 それでも、九条様のお役に立てるなら、何もしないよりはいいと思う。いや、何もせずにいられなかったのだ。

 舞一筋に生きてきたよすがには考えられないような、愚(おろ)かな行いかもしれない。それでも動かずにいられなかった。

 九条の屋敷を福さんとお社様にお願いして、朝早くににゃまとを連れ、九条様と、弁慶様を含む御家来五名ほどと一緒に旅立った。

 九条様の御家来衆は、皆精鋭ばかりだった。

 本来なら、護衛は弁慶様一人でも十分なくらいだったが、道中何があるか分からない。

 よすがの安全の為にも、頼朝様に不審に思われないギリギリの人員を九条様は用意してくれたようだ。

 そうして、三時間ほど歩いて、お昼少し前に大津(おおつ)についた。

 琵琶湖(びわこ)の端の塩津(しおつ)から船で運んだ荷物をここ、大津で荷車(にぐるま)に移して都に運ばれる。都までは三時間ほどで着く距離である。

 塩津から大津までは、船を使う方が早いのでほとんどの荷はこうして都に運び込まれる。

 ”車貸”(しゃしゃく)と呼ばれる輸送業者が大津から都に向けて牛にひかせた荷車で運ぶ。

 牛を引いているのはほとんどが十歳くらいの子供だった。

 庶民の子供は十歳くらいにはほぼ一人前となり、家の手伝いをするのが普通なのだ。

 子供たちにひかれた荷車が沢山通っていく。

 皆、子供とは思えないしっかりした様子で、荷を気使いつつ、牛を先導し引いていく。

 よすがはその様子を微笑ましくまた、少し大丈夫なのかと心配になりながら見送った。

 初日なので、旅になれないよすがの為に、今日はここで宿をとる。

「よすが殿、私と弁慶は、帝より賜った任務がありますので、護衛の家来とよすが殿は別の宿に泊まってくだされ」

「其れでしたら、護衛はお連れください。私はにゃまとと二人で大丈夫ですから」

「ね、にゃまと」

「にゃん!」

 にゃまとは任せろと言わんばかりに胸を張って見せる。

「いけませぬ! よすが殿にもしものことがあったらと心配で、何も手につかなくなってしまいます。護衛は、よすが殿の為に連れてきたのですから」

「それをいうなら、私の方こそ、九条様がお怪我でもしたらと、心配です。しかも、護衛までおいて行かれるなんて、危険なのは九条様の方です」

「何、心配はいらないのですよ。今回は法理気(ほうりき)を使える弁慶がいれば問題ないのです」

 法理気と聞いて、よすがはあいさつ回りをしていた時に、聞かされた噂話を思い出していた。


 旅の日程も決まり高槻様にご挨拶に行ったよすがに、心配そうに話してくれた。

「大津の旅籠屋で、妖に命を取られそうになったものがいるというのだ」

 高槻様のお話では、夜に寝静まったころ急に息苦しくなり目が覚めた旅人は、鋭い爪の獣に押さえつけられていたそうだ。

 生臭い息を吹きかけながら牙を剥き出しにして、今にも首筋に噛みつきそうに口を大きく開けて、長い舌からよだれがたらりと頬に落ちてきた。

 怖くて声も出なかった。

 その時その獣がうなるようなかすれた声で言った。

「金を差し出すのと、命を差し出すのとどちらかを選ばせてやろう」

 男は、無我夢中で、懐に括り付けてあった金を布団の外にばらまくと、獣はその金を持って、消えてしまったそうだ。

 よすがは、その話を思い出してゾクリとする。


「…法理気といいますと、もしや、妖(あやかし)関連(かんれん)の任務なのですか?」

 妖と聞いて、にゃまとがピクリと耳を傾ける。

「まあ、そんなところです。何、直ぐに片づけますので、よすが殿は気にせず待っていてくだされ」

 鋭い爪と牙を持った恐ろしい獣の妖に、九条様が襲われたらと思うと、居ても立っても居られないほど恐ろしかった。

「…そうですか…でも、それでしたら、私にもお手伝いできることがあるかもしれません。にゃまとも役に立つかもしれませんし、やっぱりご一緒した方が良いのではありませんか?」

「にゃん!」

 どうやらにゃまとはやる気満々のようだ。

「いえ、私の仕事をよすが殿に手伝っていただくわけにはまいりません」

「まあ、…お役目にかかわりないものがかかわってはいけない決まりでもあるのですか?」

「…それはありませんが」

「ならいいではありませんか。今までも何度も一緒に妖を相手にしてきたではありませんか。使えるものは何でも使いましょう」

「…」

 九条様は、よすがが、こういいだしたら引かないことを知っていた。

 最初の妖退治のときにも結局はよすがにおしきられてしまった。

「よすが殿にはかないませんな…」

「御家来を引き連れて、仰々しく乗り込んでは警戒して現れないかもしれません、やはり御家来は別行動にして、女連れ、…にゃまともいるので、子供を連れた夫婦と言うことにすれば、怪しまれずに済みます」

「わ、私と、よすが殿が夫婦として一緒に泊まるのですか?」

「駄目ですか?」

「駄目ではありません。全く駄目ではありません!」

 思わず即答してしまってから、しまった! と思った。


 これでは、よすが殿を危険にさらしてしまうことになるかもしれないではないか…。

 しかし、よすが殿の夫を名乗れる誘惑には抗いがたい。

 もしかしたら、旅の間だけでも、よすが殿の、お、夫になれるのでは、…。

 これは、断ってしまっては、後でひどく後悔することになるだろう。

 よすが殿を危険にさらしてしまうかもしれないのに、情けなく思いながら、九条様には、どうしても、断りの言葉が出せなかった。

 こうなってしまったからには、決してよすが殿から目を離すまいとしっかり心に誓って、噂の宿に乗り込んだ。


 旅籠屋は、やはり高槻様に聞いたのと同じ旅籠屋だった。

 その宿の周りには、妖の瘴気(しょうき)が漂い異様な雰囲気だった。

 旅籠屋の主に帝よりの使いだと事情を話すと、主は念願の救い主が現れたのだと喜んだ。

 このままでは、御先祖様から受け継いだ大事な旅籠屋を閉めることになるところだったと涙ながらに話した。 

 主は、よすが達を例の部屋に案内し、何度も頭を下げてお願いしますと言って戻っていった。

 



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