なまめかしき文


 九条様は、誤解が解け、上機嫌で、久方ぶりによすがの元にやってきた。

 誤解が解けただけでなく、心が通い合ったのだと思うと、羽が生えたような気分だった。

 ずっと、片思いだと思っていたが、よすが殿も、私のことを好いていてくれたのだ! こんなうれしいことがあろうか。

 もし、また水ノ上様のような男が現れたら、今度こそは、堂々と阻止してやる! と、意気込んでいた。         

 が、何時ものように裏口の木戸に手を掛けようとして、ふみが結んであるのを見つけた。

「おや…?」

「殿、ふみですか?」

「よすが殿にあてたものだろうか?」

 不審に思いながらも、それを外して、読みたい気持ちを必死に堪えた。

「よすが殿、おられますかな。九条です」

 声をかけると、障子戸しょうじどを開けて真っ先に駆け寄ってきたのは、にゃまとだった。

「九条様にゃン!」

「にゃまと、よすが殿はおられるか?」

「今来るにゃん」

 九条様がなでてやると嬉しそうにすりすりしくれた。

弁慶様べんけいさまも、こんにちわ」

「おお、にゃまと、今日もいい毛並みだなあ」

 弁慶様も、にゃまとの背をなでると、顔を上げて得意そうにしている。

 なんとも愛らしいしぐさだと弁慶様は、目じりを下げて見ていると、直ぐによすがが出てきた。

「九条様、弁慶様、いらっしゃりませ。今日もご苦労様です」

 よすがは縁側えんがわに座り挨拶をする。

 このいつものやり取りが、掛け替えのない幸せなことだったのだと、しみじみ噛み締めた。

 九条様は、先ほどの文を渋々ふところから出してよすがに渡した。

 出来るものなら、忘れてしまい、うっかり捨ててしまいたかった…。

 しかし、それが出来ないのは、よすがに嫌われたくないゆえの矛盾むじゅんだった。

「よすが殿、裏木戸に結び付けてあった、ふみを見つけました」

「文ですか? 何事でしょうか」

 よすがは、文を受け取って読み始めると、みるみる頬を染めて顔を赤くした。

 その有様に九条様も、弁慶様までもが目をぱちくりして呆気に取られる。

 何やら怪しい文だったのだと、九条様は焦る。

 よすが殿にこんな顔をさせる文など、やはり捨ててしまえばよかった!

「よすが殿、…何が書いてあるのですか…?」

 九条様に声を掛けられて、我に返ったように、よすがは文を突き出す。

 九条様は、ふみを受け取り、眉間みけんにしわを寄せながら文に目をおとした。

「いったい、誰がこのようないたずらを…」

 よすがは、はにかんだ様子で文から目を逸らし、不快そうに眉を寄せる。

「これは随分となまめかしい文ですな…」

 弁慶様が、文を覗き込んで、感心したように感想を漏らした。

 だが、九条様は、違った。

 ブルブルと手を震わせて、文と、よすがの顔を交互に見てつぶやく。

「よすが殿…。これは、…もしや、…後朝きぬぎぬの歌ではありませぬか?」

 九条様の言葉に、弁慶様は、文を手にとって、じっくり読んでみる。


   恋焦がれ

     もゆる思いを

        問いかけて

          匂い立つ蓮

            まどろみの君


「な、なるほど、どなたかが、よすがさんに送った後朝の…」

 弁慶様は、ションボリと悲しそうに肩を落とした自分の主をちらりと見て、言葉を濁した。

「な、誤解です!後朝きぬぎぬどころか、とんだ濡れ衣です!」

 後朝の歌など、本来は貴族の男女が一夜の契りを交わした時に男性から、相手の女性に贈られるもので、よすがのような庶民には、縁のないものであった。

 ましてや、ありもしない、匂い立つだの、情事じょうじの様子をにおわせた言葉に、その後にまどろんでいるなど、どれだけ妄想もうそうを働かせたら、思いつくのか! 

 大体にして、そんな妄想をされたと思うだけで、気持ち悪いやら、腹立たしいやらで、悔しさが抑えられなかった。

よすがが、つい口調を荒げて言い切ると、よすがの剣幕に九条様も、弁慶様も、呆気に取られて口をつぐんだ。

 少し間を置いて、九条様が、くすりと笑った。

「それはうまい言い様ですな」

 九条様の言葉に、弁慶様も、ホッとしたように同調し、おかしそうに笑った。

「ほんに! さすが、風流なるお人ですな」

「私は、そんなつもりじゃ…。とにかく、私には関係ないものと思います。他の方の屋敷と間違えたのではないでしょうか」

「しかし、よすが殿、この辺りは、京の都でもはずれにあたりまして、妙齢みょうれいの姫君のいる屋敷などはありませぬ」

「それは、そうですね…」

「福さん、このふみを誰が持ってきたのか知ってる?」

 よすがは、思い立って、何処にいるかもわからない福さんに問いかけてみると、福さんは、さっと表れよすがの側に座った。

 ほんとに、福さんは、神出鬼没しんしゅつきぼつで、不思議だ。

「それなら、十日ほど前に、水ノ上様の使者が木戸に結び付けていったぞ」

「え! 水ノ上様? 腰を抜かして、従者に担がれて帰って行かれたのに、いったい、何を血迷うていらっしゃるの?」

「何やら中をうかがっていたが、妖が恐ろしかったのだろう、手渡す勇気がなかったので木戸に結び付けて帰ったのであろう」

「はあ…」

 よすがはため息を漏らす。

 十分にこりて、もう二度とかかわっては来ないだろうと思っていたのに、一体何を考えているのやら…。

 こんな意味深な文を送ってよこすなんて、本当に迷惑だ。

「実は、よすが殿、家来から聞いたのだが、水ノ上様は、何やら妙なうわさを流しているらしいですぞ」

「妙なとは?」

「よすが殿を愛人として囲っているというようなですな…」

「何ですって!」

 よすがのあまりの剣幕に九条様が叱られた子犬の様にビクッとして縮こまった。

 よすがは、許せなかった。白拍子として生きて、よすがが守ってきた信念を汚されたのだ。

 男の力に頼って、いい舞が舞えるはずがない! それがよすがの護り通してきた生き方だった。

 膝立ちになっていきり立っていたよすがだったが、九条様がおどおどしているのに気が付き、腰を下ろして静かに怒りを現した声で言った

「これはほっておけませぬ。何としてもくつがえし、噂の出所をつぶさねばなりません」

「おお、もちろんです。微弱ながら、私もお手伝いしますぞ」

 九条様も、もちろん許せなかった。

 自分の聖域とも言えるよすがを汚された気がして腹が立っていたのは言うまでもないが、よすがは、本来ならば、水ノ上様のものではなく自分のものなのに! 

 やっと、そう言える立場になれたと喜んでいた。もし、よすがに男が近寄ろうとしたら、堂々と阻める立場を得たはずだった。

 もっとも、二人の関係は前と少しも変ってはいないが…。

 しかし、そこはよすがを思いやる九条様のふところの深さで、よすがの望まぬことはしない。大切に見守っているからなのだった。

 其れなのに、噂とは言え自分の気持ちも踏みにじられた気分だった。

 九条様は、前の時に、よすがが妖達の力を借りたことを思い出していた。

「よすが殿、もうそろそろ、新月が参りますな…」

「九条様、もしや、水ノ上様のお屋敷に、菊さん達を連れて行くなんて考えていらっしゃいますか?」

「おお、! 良く分かりましたな。そのとおりです」

「確かに、新月の夜は、皆外の世界に出られますが、水ノ上様は、お公家様でいらっしゃいます。お屋敷の警備なども厳しいのではないでしょうか」

「それは、押し入ろうとすれば難しいでしょうが、友好的に招き入れてもらえばいいのです」

「友好的にですか…?」

「水ノ上様の御家来衆や、家人には何の恨みのございません。むざむざ、傷つけあうこともございますまい。用は、水ノ上様おひとりだけで十分です。気が触れて引きこもって頂ければ、誰も噂を本気にはしますまい。もちろん、私の家来たちにも、水ノ上様が、気が触れて、ありもしない噂話を流していると言いふらさせます」

「その様なことが出来ましょうか?」

 九条様は、意味ありげに微笑んでいらした。

 策略を練るのは大の得意だ。その知力で沢山の功績を収めてきたのだ。

 九条様にかかっては、水ノ上様の屋敷に入り込むくらいは朝飯前だ。

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