苦しい嫉妬の炎にやかれて

 九条様は、よすがの屋敷やしきを去りながら何度も振り返った。

 好きな女子の元に、他の男が訪れるのを、阻止そしすることも出来ず、すごすごと帰るしかできないのが悔しかった。

 よすが殿は、私と公家様くげさまの水ノ上様を比べて、水ノ上様の方を選んだのだろうか?

 例えそうであっても、文句の一つも言う資格が九条様にはなかった。

 嫉妬しっとの炎が、じりじりと胸を焦がして、その晩は、一睡も眠ることが出来なかった。

 そして、次の日も、よすがの所に行くことが出来なかった。

 しとねを共にしているところなどを見てしまったら、狂って死んでしまいそうだったからだ。

 九条様は、使いを送って、よすがの所に行かない日が続いた。

 よすがは、九条様がいらっしゃったら、妖達の活躍かつやくをお話して、どんなに頼もしかったか、また水ノ上様の慌てようなども話して、安心してもらいたいと、手ぐすねくんで待っていた。

 ところが現れたのは、待ち望んでいた九条様の姿ではなかった。

 九条様がいらっしゃったら、あれもこれも話したいと楽しみにしていたのに…。

 九条様の使いを見るなり、よすがは、期待が外れてがっかりした。

 よすがは、九条様がいらっしゃるのを待ち焦がれていたのに…。

 九条様は、その日から姿を見せてくれなかった。

 どうして…? 何がいけなかったの? 

 九条様のご使者に聞くことも出来ず、期待が大きかった分、余計によすがの心はしぼんでしまった。

 あの日、きつい言い方をしてしまったから、ご気分を害してしまったのだろうか?

 いくらおおらかで優しい九条様でも、あの言い方はなかったのではないだろうかと反省した。

 次にお会いしたら、ちゃんと謝って、妖達の活躍をお話して、心配いらないと安心していただこうと思った。

 しかし、そう思いながら待っていても、時間だけが過ぎて行き、九条様の姿を見ることはなかった。

 日がたってくると会いたい気持ちがつのって、よすがの中によどんでたまっていった。

 会いたい気持ちは会えない苦しさに変わり、だんだん腹が立ってきた。

 あれほど心配だと言っておきながら、私がどうなったか気にならないのだわ。

 本当に心配なら、次の日にたずねてきて詳細しょうさいを聞いてくれてもいいのに…。

 やっぱり遊び人の九条様は社交辞令しゃこうじれいで、うわべの言葉を飾っていただけなのだ。

 それを勘違かんちがいしてしまって、なんて馬鹿ばかな自分なのだろうとくやしかった。

 きっと今頃は、どこぞの姫君の所にでも通っていらっしゃるのだわ。

 私のことなど、思い出しもしないのだろう。

 これでいいんだ。最初から分かっていたこと、九条様は、遊び人故その覚悟は何時いつもしていた。

 これでもう、振り回されなくて済む。

    *-*

 今日は朝からしとしとと雨が降っていた。

 福さんがきれいに磨き上げたお堂の中で、よすがは一人で舞を舞っていた。

 いや、にゃまとがお堂の隅で男の子の姿でちょこんと座っていっる。

 この頃九条様とにゃまとの二人で座っているのが普通になってしまっていたので、九条様の姿がないのが余計にさみしく感じてしまう。

 それでもにゃまとだけは、何時もよすがの側を離れないで側にいてくれる。

 よすがにとっては、心の支えともなる頼もしい相棒あいぼうだった。

 にゃまとは、ぴくッとして猫の姿になり、何処かへ出て行った。

 よすがは、お堂の外にしとしとと降る雨を見ながら扇を開き、口ずさんだ。



     こぬ人の


      浮かぶ面影  消しませと


       雨のしずくに  はかなき願い



 目の前がかすんで、扇が、手から滑り落ちてしまった。

 落とした扇を拾い上げようとしたよすがは、床にぽたぽたとこぼれ落ちた涙にうろたえる。

 いつの間にか涙が頬を伝っていたことに気が付かなかった。

 何故? 

 こんなことで泣くなんてどうかしている!

 心に区切りをつけたなら、誰にも邪魔じゃまされず、舞に集中できるはずだった。

 急いで涙を拭いて、扇を持ち直して舞をつづけようとするも、立ち上がることが出来ずそこに座り込んでしまった。

 猫の姿で何処かへ行っていたにゃまとが戻ってきた。

「よすが…」

 にゃまとが心配そうにそばに寄ってきて顔を擦り付ける。

「にゃまと、どうしたの?」

高槻様たかつきさまのお使者が来たにゃん」

「あら、お通しいなければ、にゃまと、ご案内してくれる?」

「はいにゃん」

 高槻様は、この間のかがりの事件からせっていらしたが、ご全快ぜんかいされて、全快祝いをされるそうで、よすがの舞が見たいと御所望ごしょもうされた。


 当日高槻様のお屋敷に伺うと、九条様や、榊様さかきさまの姿があった。

 よすがは、久方ひさかたぶりに見る九条様の姿に、心が揺れるのを感じたが、自分に言い聞かせる。

 つらい思いもげいやし、しっかり身にしみこませ、芸を磨くのだと…。

 よすがは平静へいせいを装ってにこやかに挨拶あいさつをする。

 九条様は、せつないお顔で、よすがを見るが、いつもの九条様らしい軽い口調は出てこなかった。

 どことなくよそよそしい感じはいなめなかった。

 胸を小刀でキリキリと切り裂かれるような痛みに耐え、よすがはまつげを伏せた。

 やっぱり、もう私のことなどどうでもいいのね。

 もう私には興味もなくしてしまったのだ…。

 分かっている。これでいいんだ! 

 しっかり立たなければ自分を見失ってしまわないように…。


    *-*

 一段と輝いて見えるよすがの姿に九条様は、余計よけいに辛くなって逃げ出してしまいたかった。

 きっと、水ノ上様に愛されているのだろう…。

 九条様は、下を向いて、こぶしを強く握って耐えた。

 よすが殿はもう、水ノ上様のものになってしまったのか…。

 自分には触れることも出来ない、神聖な女性だったのに、他の男のものになってしまったのか…?

 大事に大事に、胸の奥で育てた愛情が、嫉妬の炎に燃やされて、今にも体から火をきそうな気がした。

 九条様は、怒りにも似た思いで、高槻様に挨拶をする、よすがの横顔をじっと見つめた。

「お元気になられてようございました。あの時は心の蔵が止まる思いがしました」

「あの時はかなくなってしまっていたら、死んだことにも気が付かず、この世をさまよっていたかもしれぬな」

 高槻様はそうおっしゃって 豪快ごうかいに笑われたが、よすがは青くなって首を振る。

「そうでおじゃる。あの場にいた皆がかがりの餌食えじきになってしまったら、あの座敷で、皆で宴会を延々えんえんと続けていたかもしれないでおじゃる」

 榊様までが、そんなことを言い出す。

「それはそれで楽しそうでおじゃる」

「しかし、そうすると、麻呂の屋敷がお化け屋敷になってしまうから、そうしたら、奥が悲しむからダメでおじゃる」

 愛妻家あいさいかの榊様は、しれっとそう言って否定した。

「榊様は、奥方が一番大事ですから、奥方をかなしませてはいけません。それより、あれから気になることがあったのじゃ」

 高槻様は神妙しんみょうなお顔で、お話された。

「この間から、水ノ上様が、しきりによすがの住まいを知りたがって、麻呂はごまかすのに苦労して教えないようにしたのだが、どこぞで聞きつけて押しかけたりしなかったか?」

 お二人とも水ノ上様に対しては困ったお人との認識らしい。

「麻呂の所にもしつこく聞きに来ていたが、家のものにも、決して言わぬように注意しておいた。困った者よのう。なかなかに諦めてくれない様子でおじゃる」

「そのことでしたら、一度おいでになったのですが、家のもの皆で丁重ていちょうにおもてなしさせていただきましたら、たいそう驚かれておかえりになりました。それ以来おいでになっていません」

 よすがは、あの日の水ノ上様の様子を思い出して、笑いをこらえた。

 事情を想像できたのだろう榊様は、ぎょっとして目を真ん丸に見開いていらしたが、何も知らない高槻様は、ほうーっと感心していた。

 側で聞き耳を立てていた九条様の横にちょこんとにゃまとが座って得意そうに話しを続けた。

「慎太郎さんが上に乗って押しつぶしたにゃん」

 九条様は、にゃまとの言葉に驚いてにゃまとを覗き込んだ。

「水ノ上様を妖たちが、追い返してくれたのか?」

「そうにゃん。九条様が帰った後に、ご使者がきて、よすがは、菊さん達にお願いしたにゃん」

「そ、そうであったのか…」

 九条様は、邪推じゃすいをして誤解していたのだとわかり、泣きたくなるほど嬉しかった。

 ずっと嫉妬の炎に焼かれ、死にたいくらいの気持ちで日々過ごしていた九条様は、思いもよらない話に、水を掛けられ炎の中から助け出されたようだった。

 体から火を噴きそうだったのが、一気に収まる。

 胸を押しつぶしていた重く、熱く焼けた岩が取り除かれていく。

 にゃまとを抱き上げて飛び回りたい思いをぐっとこらえた。

「僕が変化したら、驚いて、目をぐるぐるして面白かったニャン」

「そうか、にゃまともやっつけてやったのか。さすがは、よすが殿の親衛隊だ、立派な行いであったな」

「僕はりっぱにゃん」

 にゃまとは九条様に褒められたので、嬉しそうに胸を張った。

 九条様は胸をなでおろした、これで、今まで通りによすが殿に会いに行ける。

 よすが殿に会えない日々のなんと辛かったことか。

 会いに行けば水ノ上様と出くわすのではないかと怖くて行けなかったが、杞憂きゆうだったようだ。

 よすがの気持ちも知らずに、今まで通りだと九条様はよろこんだ。

 ところが…。

 他のお客に挨拶したら、自分の所に来てくれるとばかり思っていたのに、よすがは、よそよそしく軽くあいさつしただけで、直ぐに他の客人の所に行ってしまった。

 其れこそ、目も合わせず、形ばかりのあいさつをして頭を下げると、ふいと、顔をそむけてしまって、とりつく暇もない感じだった。

 どうして…?

 九条様は、唖然(あぜん)として、去っていくよすがを見送った。

 そして、ガツンと大きな石で殴られたような衝撃と焦りを感じた。

 一体何がどうして、よすが殿が変わってしまったのか? ?

 呆然ぼうぜんと言葉を失くした後、ションボリとしょげる九条様に、にゃまとは困った顔で話した。

「よすがは、九条様に、水ノ上様を、やっつけたことを話すのを楽しみに待っていたにゃん」

 思いもよらないにゃまとの言葉に驚きを隠せなかった。

「よすが殿は、私を待っていてくれたのか?」

「そうにゃん。よすがは、九条様が来ないから泣いていたにゃん」

「! …、それは、…」

 九条様は、言葉を失った。

 本当か? と言いかけてやめた。

 なぜなら、にゃまとは嘘は言わない。

 一番よすが殿の側にいてすべてを見ているにゃまとが言うなら本当のことだ。

 心臓がバクバクと体を揺らすほど動き出した。

 嬉しさと同時に、自分の心のせまさが、よすがを傷つけてしまっていたことに気が付いた。

 自分が遊び人の噂があるゆえに、他の女人の元に通っている不義理な男と思われたのかもしれない…。

 九条様はたまらなく切なくなる。

 もし、そんなふうに誤解して、会にも来ないと思われていたなら…。

 そんな自分のことを思って泣いていたというのか…?

 自分のせいで、よすが殿が、悲しい思いをしていたと思うと、いたたまれない気持ちになった。

 ああ、なんてかわいそうなことをしてしまったんだ! 悔やんでも、悔やみきれないほどに、自分の行いの浅はかさに後悔した。


 誤解を解かなければ! 

 しかし、取りつく暇もないほど拒絶されてしまっているのにどうしたら…。 

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