困ったお客

 数日後、さかき様のお使いで石月様が、平助さんの鏡と、慎太郎さんの石臼いしうすを届けてくださった。

 さらにたくさんの謝礼と、高価なお品、にゃまとにも、榊様の奥方様が手ずからおつくり頂いたという、座布団ほどの大きさで、絹をかぶせたフワフワの布団をくださった。

 にゃまとは、九条様がくださった座布団と、絹の布団の中に潜り込んで上機嫌だった。

 そしてなにより、平助さんや、慎太郎さんにとっては、無くてはならない形代かたしろの鏡と石臼が、やっと手元に届いたのだ。

 よすがは、早速、平助さんと、慎太郎さんに届けてあげたいと思ったが、さすがに石臼は重いので、平助さんに取りに来てもらおうと思った。

 久しぶりに、菊さん達にも会いに妖の屋敷へ行ってみようと思い立ち、いそいそと角を曲がったところで、もふもふのぽよんとしたものに思いきりぶつかって、しりもちをついた。

「よすがさん、すまんな大丈夫かい?」

 もふもふの毛でおおわれた顔に、ひげの生えた獣がよすがの前ににゅうっと顔を突き出した。

 言葉をしゃべる猫に一瞬固まったが、直ぐに玉どんだと気が付いた。

 ぶつかったのはどうやら玉どんのおなかだったらしい。

「玉どん! 驚いたわ。どうしたの?」

「にゃまとは、いるかな?」

「にゃまと? いるわよ。にゃまと」

 今日はお天気もいいので、座敷の障子しょうじをあけ放っていた。

 縁側えんがわ近くに座布団を持ち出し、ふかふかの布団にもぐっていたにゃまとは、よすがが呼ぶと、もそもそと布団の中から顔を出し、すぐにとことこと、駆けて来た。

「あれ、玉どんにゃん」

 にゃまとはそういいながらよすがの側に来てすりすりした。

「何となくにゃまとに会いたくなってなあ。やっぱりにゃまとは、玉子に似ているなあ」

「そうにゃんか?」

「その毛並みと言い、目の色もそっくりじゃ」

 私にはわからないが、九条様のご家来衆が連れてきてくれた子猫たちは、違うのだろうか?

 そこへ何時ものように九条様と、弁慶様がやってきた。

 何時ものように裏の木戸を開けて、縁側から声をかける。

「九条様にゃん!」

 にゃまとはよすがの膝から降りると、九条様にすりすりしに行く。

 よすがと玉どんも一緒に縁側に座って挨拶した。

「にゃまと、今日もご機嫌そうだな。玉どんも久方ぶりだ」

 九条様は縁側に腰かけ、膝の上ににゃまとを載せて頭をなでる。

「そうにゃん、僕はご機嫌にゃん」

 弁慶様は、九条様の横に立ち、何時ものように、にこにことにゃまとを見て、自分にもかまってほしそうに無意識なのだろうが、しきりに手を動かしていた。

「九条様、ちょうどいい、お願いがあるんじゃが」

「なんですかな? 玉どんが頼み事とはめずらしい」

「子猫たちに鈴をつけてやろうと思うんじゃ。にゃまとの兄弟たちのように色違いの紐をつけてやったら、見分けがつくと思ってなあ」

「そうですか。いいですぞ、早速に色違いの紐と鈴を用意いたしますぞ」

「ありがたい。わしと富さんは、見分けがつくのじゃが、他のみんなが見分けられなくて困っていたんだ」

「あら、富さんは見分けられるの? さすがね」

「わしも、見分けられるぞ」

 座敷童ざしきわらしの福さんが、ずっとそこにいたかのように突然現れて会話に加わった。

「福さん!」

 福さんは、それだけ言うと、此処へともなく消えてしまった。

 なんだったんだろう? 

 よすがは気を取り直して、榊様が沢山たくさんお礼を下さって、鏡と石臼を届けてくださった話をした。

「僕の布団にゃん! あったかいにゃん!」

 にゃまとはお気に入りの布団を引きずってきて九条様に見せた。

 紅梅こうばいが描かれた可愛らしい模様の布団だった。

「にゃまと、良かったなあ。おお、すべすべで、綺麗な花柄だ」

「そうにゃんすべすべにゃん」

 満足してにゃまとはまた布団を引きずって戻すと中に潜り込んだ。

「榊様の奥方様のお手製だそうなのです」

「そうでしたか、榊様は、私の所にもご使者を使わして下さり、沢山の謝礼を下さいました」

「榊様も、大変だったでしょうに、お気を使わせてしまいました」

 九条様は、頷きながら、座敷の中にあった鏡と石臼に気が付く。

「おお、それが、鏡と石臼ですかな?」

「そうなんです」

「今、知らせに行こうかと思っていたところなのですが、…そうだわ、玉どん、平助さんに取りに来るように言ってもらえないかしら」

「今呼んでくるぞ。喜ぶだろうなあ」

 玉どんは返事をする間もなく直ぐに二本足でどすどすと歩き出した。

「僕もいくにゃん」

 にゃまとは、布団の中から飛び出すと玉どんの後について行った。

 玉どんは、親子で歩けて嬉しそうだった。猫又になった玉どんは、大人の男の人ほどの大きさがあるが、そばをとことこと歩く小さな子猫の姿のにゃまとを愛しそうに見ている。

「ところで、よすが殿、先日の宴の席で、水ノ上様にお会いしたと思うのですが、覚えておられますか」

「…あ、」

 お顔の印象が強く残っていたので、よすがは直ぐに思い出して、ゾクリと鳥肌が立った。

 四角くてごついお顔を白粉しろこで真っ白にして、真っ赤な紅を口の形とは全く関係なくおちょぼ口に塗り、お歯黒はぐろの真っ黒な歯が、話すたびにちらちらと見えて、毒々しい花を思わせた。

 眉を失くして、額に黒い点を書いていらっしゃり、とても不気味で、暗がりから出ていらしたら、肝を冷やしそうなお顔だ。

 本当の妖の亀吉さん達の方がよっぽど愛嬌があると思った。

 さらに、そのお顔でやたらと側に来ないかだとか、かなりしつこく誘われ、不気味なお顔を早く見なくて済むように逃げ出したい気持ちを、ひたすら耐えた記憶があった。

「はい。いらっしゃいましたね」

 余りいい気がしなかったので、つい眉間にしわが寄ってしまった。

「かなりの好き者で、良い評判のない方なのですが、ちと、噂を耳にしまして、よすが殿にもお気をつけくださるように話しておこうと思いまして」

「何かありましたか?」

「それが、水ノ上様が、すっかりよすが殿を気に入られて、住まいを探しているらしいのです」

「え? わざわざ家に押しかけていらっしゃるのですか?」

「その様で、しつこく付きまとって、飽きるまでは足蹴あしげく通うそうです」

「水ノ上様は、確か、公家様くげさまですよね。その様な方が、私のようなものを相手にはされないと思うのですが…」

 よすがは、ありえないと思い、九条様のお話を真に受けなかったが、九条様は、とても深刻そうなお顔で、本気で心配しているようだった。

「そうだといいのですが、もし、そのようなことがありましたら、言うてくだされ、弁慶を見張りに置いてゆきますゆえ」

 よすがは、九条様があまりに過剰かじょうな心配をなさっているようなので、好意だけ頂いておくことにした。

「はい…ありがとうございます」

 思いもよらない状況に、九条様をどうなだめようかと困惑していると、玉どんと一緒に妖の屋敷に行ったにゃまとが帰ってきた。

「平助さん達は今、畑仕事をしているから、後で取りに来るにゃんて」

「あら、そうなのね。九条様、支度をしてお堂に行きますので、そちらでお待ちいただけますか?」

 よすがは、とりあえず、今日の奉納舞ほうのうまいおさめることにした。

「分かりました。ではそうしますかな」

「僕もいくにゃん」

 にゃまとが縁側から庭に降りようとすると、

「にゃまと、又私の肩に乗るか」

 弁慶様は、待ちきれないように腰をかがめて、勧める。

「はいにゃン」

 にゃまとはとんとんと、弁慶様の肩に飛び乗る。

 あら、いつの間にそんなに仲が良くなったのかしらと、よすがは目を丸くした。

 にゃまとはご機嫌で、弁慶様も嬉しそうだった。

「高いにゃん!」

「では、行きますぞ」

 庭を横切り、屋敷の右奥にあるお社様やしろさまのお堂に向かって歩く後ろ姿が、まるで、子供をあやす親のようだと、少しおかしくも、微笑ましく見ていた。

 舞が終わった後も九条様は、帰るのを渋っていらした。

「何かあるといけませんから、今宵は、弁慶と二人で宿直とのいをいたします」

「いけません。その様なことをなさっては、どんな噂の種になるかわかりません。この後の九条様のご縁談えんだんにも支障が起こりましょう」

 やっぱりそうなのかと、よすがが守ってきたものさえも失いかねないし、せっかく九条様との間に線を引いて耐えてきたのに、面白おかしく噂などされてはよすがのプライドも許さない。

 よすがの険しい形相に、九条様も強く言えなくなってしまった。

「よすが殿、私は…」

「私はこのような対応は慣れています。この世界で長きにわたって渡り歩いてきたのです。九条様のお手を煩わすことは必要ありません。私はそのようなことを望んでいません!」

 きっぱりと断られ、九条様は、しょんぼりと引き下がるしかなかった。

「よすが殿…」

 渋る九条様を無理くり追い返して、ホッと一息した。

 水ノ上様が、いくら物好きとはいえ、平民の家に押しかけるなどありえないだろと思っていたよすがだったが、九条様がお帰りになった後、四半時した時だった。

 たのもー、と、ご使者らしき方が現れ、水ノ上様が参られる故、支度をして待てというのだ。

 まさかと思っていたよすがは焦る。

 九条様に、あれだけ強い言い方をしたが、もう少しだけいていただけば良かっただろうかと後悔した。

 いや、お泊りなどを許して、九条様との間に引いた線があいまいになってしまうことは、決してあってはならないことなのだから、これでいいのだと、よすがは自分に言い聞かせた。

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