さびしい九条様


 よすがが頭を悩ませながら、縁側えんがわを歩いていると、今日も上機嫌じょうきげんで包みを持った九条様が裏木戸うらきどを開けて入っていらっしゃった。

 よすがは縁側に座って挨拶あいさつをする。

「九条様いらっしゃいませ。今日はお早いのですね」

 九条様は、松の木の下を通り庭を横切って歩み寄り、包みをよすがに差し出した。

「これを早くお渡ししたくてな。よすが殿、白拍子しらびょうし装束しょうぞく水干すいかん新調しんちょうしましたゆえ、お受け取り下され」

「まあ、九条様そのような事をしていただいてはいけません。自分で用意できますのでご心配には及びません」

「何、お社様やしろさまからのご支持です。これくらいなことはしなければ、お社様に、見放されてしまいますゆえどうか、たってのお願いでございます。受け取ってくだされ」

 そういって、九条様は強引に包みをよすがに押し付けた。

「本当にお社様が…?」

「おお、むろん、本当ですとも。よすが殿のために装束を用意するようおおせられたのですぞ」

 なんだか怪しい。九条様のお目が何となく泳いでいる。

 それに、一体何時お社様が、そんな事をおおせられたのか。

 姿も現さない方なのに。いや、何時ものように、沙夜梨さよりか、白夜びゃくや言付ことづけけたのかもしれないが、神様がそんなことをいちいち気にかけるというのも信じがたいことだった。

 が、九条様を疑ってあまりに追求するのも失礼なので、あえてだまされる事にした。

「では、今日はこれを身に着けて、そろそろ初夏の舞に変えてみましょう」

「おお、それは楽しみですな。私は先にお社様のところに行って待つとしましょう」

 九条様は、妖の屋敷から戻ってきてからよすがに会える時間が減ってしまって、寂しかった。

 結局のところひと月もの間ずっとそばにいたのに、よすがの気持ちはわからないままで、自分のことをどう思っているのか聞くこともできない。

 聞いてもどうせ、いつものようにうまくかわされてしまうのだろう。全く社交上手のよすがの本心を聞き出すのは戦より難しい。

 だが、どうにかして好いてもらいたい。

 頭を悩ませていると、家来が贈り物をしてはどうかと言った。

 どうやら、女子の気を引くのには一番の方法らしい。

 そこで、九条様は、家来たちと何を送ったらいいか考えた結果、一番よすがが力を入れているもの、白拍子としての生業なりわいに役立つものがいいと考え、衣装の水干を送ることに決めたのだが。

 断られたらどうしようかと考えあぐねた結果、お社様のお名をお借りすることにした。

 この家に住むと決める時も、お社様のお声があってすんなり決まった。

 今回もきっとうまくいくと九条様は、考えた。

 よすがは包みを開けて思わず息をのんだ。

 九条様の下さった水干はあまりにも美しく、夏用に仕立てられた薄絹うすぎぬで手触りもさらさらして軽くてつやもあり立派なものだった。

 こんな高価なものを身に着けては、私に後見こうけんができたと思われてしまう。

 これは、お社様の前で舞う時だけにしておこうと決めてそでを通すが、本当に肌触はだざわりがよくさらさらと身が軽くなったような心地だ。

 心が浮き立つとは、こういうことを言うのだろう。

 九条様には、こんな立派なものをくださるなんて困ったものだが、とても嬉しく感謝の気持ちは尽きない。

 それからの九条様は、味を占めたように、お社様を出汁だしにして、よすがに何かと贈り物をもってくるようになった。

 これは、確実にお社様を語った嘘だろうとよすがは思う。

 よすがが、お堂に入っていくとお堂の中は、今日も清浄せいじょうな空気が満たされていた。

 福さんがきれいにしてくれているのだろう、磨き上げられた床にはちり一つない。

 白木しらき祭壇さいだんには、白い陶器とうき花瓶かびんさかきと、同じく陶器のつぼにお酒が、欠かさず添えられている。

 ここに来ると心が洗われたようにすがすがしい気持ちになる。

 六畳ろくじょうほどのお堂の中の隅に座ってよすがを待っていた九条様は、またしても、立派な箱に入ったおうぎを差し出した。

「お社様がですな、その藤の扇で舞う姿が見たいと仰せられましてな、探してまいりました」

 またしても、お社様のせいにしている。

 いいのかしら? 本人の前で堂々とそんな嘘をついてと思わないでもなかったが、お社様の反応は何もなかった。

 そんな細かいことにいちいち構っているほど心の狭い方ではないのだろうけど。

 しかし、これで味を占めて、贈り物三昧ざんまいにされるのは困る。

 ここで、少しお灸をすえてあげようかしら…。

「あ、お社様」

 よすがが、祭壇に向かって言うと、九条様は、飛び上がって驚いた。

 その様子が、あまりにもおかしかったので、よすがは必至で笑いをこらえながら言った。

「申し訳ありません。見間違いでした。日の光が差し込んだだけでした」

「よすが殿…」

 九条様は、嘘を見透かされたことを悟り、しゅんと肩を落とし上目使うわめづかいによすがを見る。

 にゃまとが、とことこと、九条様の側に行って、ポンと肩をたたいた。

「九条様、大丈夫にゃ、よすがは怒ってにゃいにゃ」

「本当か? にゃまと」

「よすがは、怒った時は顔を隠すにゃ。怒った顔は、怖いから人に見せられないにゃ」

「にゃまと! 変なこと言わないの」

「そうなのか…」

 ボーッとつぶやく九条様を見てよすがは眉を寄せる。

「九条様、今私の顔を見て想像なさいましたね」

「い、いや、いや、私は何も想像などしていませんぞ」

「嘘です。今のお顔は、九条様が嘘をつくときのお顔です」

「…。実を申しますと、少し、よすが殿の怒った顔もさぞ美しいのだろうなと、思ってしまいました」 

「申し訳ござらん」

 九条様が、素直に謝るものだから、よすがは、怒れなくなってしまう。

 九条様の下さった扇は、透かし彫りの入った朱塗りの扇で、手にしっとりなじんで触り心地がいい。

 するっと開いて、硬さもちょうどいい。

 なんて仕立てのいい扇なんだろう。

 相当腕のいい職人さんが作った扇だわ。

 開くと美しい藤の花が咲き誇り、よすがはいっぺんで虜になってしまった。

 ああ、すぐにこの扇で舞を舞いたい思いが膨らんで、わくわくした気持ちを抑えられなかった。

「それでは、鍛錬たんれんして、手になじんでから披露ひろういたします」

「今ここで、試しても構いませんぞ」

 九条様は、よすがの高揚こうようした顔色に、満足げに言った。

 ああ、ばれてしまっている。とよすがは気づき、落ち着こうと、扇を閉じて丁寧ていねいに箱にしまう。

「いいえ、九条様は、すでに私の稽古けいこを何度もご覧になっているとはいえ、あまり見苦しい姿は、さらしたくありませんので」

 そういって、今日は使い慣れた扇でしかし、衣装は、九条様の送ってくださった水干をまとってお社様の奉納舞を舞った。

 こまったものだ。九条様の送ってくださるものは皆、立派で高価なものばかりだった。庶民が手にできるようなものではない。

 しかし、藤の扇は、一目で気に入ってしまった。

 これを断ることはとても惜しくてできない。

 よすがは、これまで誰であろうと贈り物など一切受け取ったことがなかった。

 しっかり線を引いてきたのに…。

 お社様を出汁にされていることもあるが、九条様には、気を許しすぎているところがある。

 あの、無邪気な表情で言われると、なかなか断れない。

 ああ、これでは、後見こうけんを受け入れているようなものだと思うが、九条様は、よすがに対して口出しなどは一切せず、表向きも、家主やぬしを通している。

 よすがが招かれた貴族の屋敷のうたげに九条様と鉢合わせしたときに、よすがは九条様から贈られたものを身に着けていなかったが、別段気にした様子もなく、ただ上機嫌でよすがの舞に見入っていただけだった。

 ありがたく受け取っておくべきか、いや、しかし、そのうちあれやこれやと言い出さないとも限らない。 

 その時に弱みを握られていては、反論が出来なくなってしまう。

 ここは、やっぱり、毅然きぜんとした態度を取っておくべきだ。次こそは、しっかり断らなければ。と、心に誓うよすがだった。

 九条様にしてみれば、単によすがの気を引きたいだけだったのだが、全く伝わっていない。

 よすがに断られないようにと考えた苦肉くにくの策で、お社様を語った時点ですべてを水の泡にしてしまっていることに気づくべきだろう。

 ずるをしてしまったら、誠意せいいなどは伝わらないものなのだ。

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