よすが引っ越しを覚悟する

 よすがが、昼過ぎに、お屋敷に行ってみると、門は開け放され、人が忙しそうに出入りしている。 

 中も、昨日とは打って変わったお屋敷になっていた。

 庭の雑草ざっそうは刈り取られ、鳥居とりいに絡み付いて生い茂っていた木々も、枝を綺麗にそがれて、赤い鳥居は、誇らしげにそこにそびえたっている。見違えるようだった。

 裏庭は、沢山の人でにぎわっていた。

 人見知りなにゃまとがよすがの陰に隠れる。

 お屋敷の中も、職人が大勢行き来して忙しそうに、立ち働いている。庭には畳職人たたみしょくにんがせっせと畳を作っていた。

 よすがが声を掛けると、屋敷の奥から九条様がにこやかに、でも、待ちかねていたようにいそいそと現われた。

 よすがは、九条様のいつもと変わらぬ姿を見てほっとした。

 ああ、今日はまだ九条様がいらっしゃる。

 もしかしたら、すでに御家来に任されてもう、九条様はいらっしゃらないかもしれないと思っていた。

「おお、よすが殿、良くぞいらして下された。今人を入れて、あなたが住めるようにしているところです。ごらん下され、どこぞ気になる所があれば、何なりと申してくだされ」

 にゃまとは、九条様を見つけると嬉しそうに駆け寄ってすりすりする。

「おお、にゃまと、昨夜さくやは、大事なかったか?」

「はいにゃ! 布団が、黴臭かびくさかったにゃ」

 思いもよらないにゃまとの言葉に、よすがは、焦る。

「にゃまと、そんなことまで話さないの!」

 焦りながらも、九条様の、思いもよらない言葉は、聞き流すことができなかった。

 もしかしたら昨日の家の惨状さんじょうを、弁慶様べんけいさまから報告を受けてこんなことを考え付かれたのではと、思い至る。

「九条様、今何とおっしゃられましたか?」

「よすが殿には、お社様おやしろさまのために、舞を舞ってもらわねばならぬゆえ、此処に住まっていただこうと思いましてな」

「いえいえ、九条様、舞なら、こうして通ってまいりますゆえ、このようなお気遣いは、ご遠慮えんりょいたします」

「よすが殿は、都でも評判ひょうばん白拍子しらびょうしゆえ、何かとお忙しかろう、通っていただくのは難儀なんぎだ。元々人のすんでいなかった屋敷ゆえ、誰かに住んでもらわねば、又あのような事になりかねません。どうか、此処ここに住んでお社様をお守りしてくだされ」

「ですが、私には、このような立派りっぱなお屋敷は手に余ります」

「何、心配は要らぬ。屋敷の管理かんりも、家人けにんも、全て私が管理しますゆえ、よすが殿は、ただ此処にいてくださればそれでよいのです」

「九条様、私は貢献こうけんは取らぬと決めています。何のしがらみにも囚われず芸一筋に極めたいと心に決めているのです」

 夕べしっかりと心に誓ったばかりだ。よすがは、毅然きぜんとして九条様の申し出を断る覚悟だった。

「あ、いやいや、貢献こうけんなどではなく、ただの、大家です。私はよすが殿に屋敷を貸し、よすが殿は、店子たなこで、私はよすが殿の生業なりわいについては一切いっさい口を出しませぬ。よすが殿をたのむには、一両の金子きんすが必用と聞きました。毎日よすが殿に舞を舞ってもらうには、一月に三十両払わねばなりますまい。それを、この屋敷などの費用に当てさせてもらうのはどうであろうか、ちと虫のいい話ではあるが、聞いてもらえまいか」

 それは、自分の舞に支払しはらわれる褒賞ほうしょうだといわれれば、断る事もできない。

 ひと月も、仕事をしていなかったので、はっきり言って生活の不安はあった。

 九条様が、仕事をくださるというのならこんなありがたいことはない。

 よすがが、思い悩んでいるうちに九条様がたたみける。

「まだ、畳を新しくするのにちと手間てまが掛かるゆえ、それまでは通ってもらわねばならぬが、何、急ぎでやらせるゆえ、二、三日のことですぞ。その間によすが殿は、家の荷造にづくりなどを済ませてしまいなされ」

 九条様のなかでは、もうすっかりよすがが、越してくる事が決まっているような口ぶりである。

 確かにお社様にとっても、此処に人が住むのが一番良いはずだ。その上、奉納ほうのうの舞を舞える者ならそれに越した事はない。

 よすがとて、お社様をほっておくのは気がかりだ。此処は乗りかかった船だし、お社様にすこやかにいていただくために舞を舞って差し上げたい気持ちはある。

 それに、はっきり言って、よすがの今の家はひどい惨状さんじょうだった。

 朝になって色々見てみたら、あちこちが痛んでいて雨漏りもしていたようだ修理しゅうりするのは難しいと思っていた。

 こんな状態で嵐でも来たら屋根ごと吹き飛んでしまいそうだった。もう建て替えたほうがいいレベルだったのだ。

 此処は、九条様のお言葉に甘えてしまうのが良いかもしれない。

 よすがの仕事に口を挟まないと約束してくれたし、何も心配せずに舞いに集中出来る。

 あの時菊さんが言っていたように、自分がしっかり切り離して考えられればいいことだから…。そんなことをよすがは思い出していた。

  ひとまず、今日は、お社様のための舞を舞うと決めていた。

 お堂に入ると、すっかり清められ綺麗に飾り立てられた祭壇さいだんが目に入った。

 壁の両脇の明り取りの窓は開け放たれ、中は明るい日差しが差し込んでいた。

「まあ、見違みちがえるようですわ」

「そうであろう。早速に、準備させた。今日は、よすが殿が、来られるので、私も、僭越せんえつながら、笛などをひろうしようかと思ってな、どうだろう、舞の引き立てになるであろうか」

「九条様が、笛を吹くにゃんか」

 にゃまとが驚いたように見上げると、九条様は少し照れながらうなずいて見せる。

「とても、すばらしいお考えです。九条様は舞もとてもお上手で、又、あの満月の夜  のように一緒に舞っていただきたいですわ。お社様も、さぞ喜ばれる事でしょう」

 九条様は、よすがにほめられ、気を良くして、部屋の隅に座る。

「にゃまとここに座ろう。私の隣に」

「はいにゃ」

 にゃまとがとことこ駆け寄って座ると満足そうに、笛を吹き始めた。

 その音色のすばらしい事、よすがは、引き込まれるように扇を開き踏み出す。春の扇を手にして、部屋の中央に立つ。

 よすがは、今様いまようを歌いながら、ゆっくりと扇を広げ舞始めた。

 扇に描かれた梅の花から甘い香りが流れる。

 

 とこしえの時の巡りは繰り返す

 諸人がこうる夢ここに訪れ

 命の芽吹きを誘(いざな)う。

 

 扇から流れる柔らかい風に乗せたよすがの軽やかな声が、つぼみが弾ける音のように響き、九条様の笛の音とこだまする。

 まるで、部屋中に花が咲いた様に気持ちが高揚する。

 部屋の中が、満開の梅の中にいるように甘い梅の香りに満たされたころ、突然部屋の中央に一筋の光が立ち上る。

 その光りはやがて、銀色の長い髪をなびかせた美しい人の姿になる。

「お社様!」

 聖水を授けてくださったときに見たときは白い髪だったのに、あの時よりだいぶパワーアップしているように見える。

 よすがは座り両手をついてあいさつする。九条様も、膝をつき礼を取る。

 お社様は静かに微笑みお話になられた。

「面を上げなさい。私は、お二人に礼がしたくて来たのです。」

「お社様、ご無事で何よりでございます。僭越せんえつながら、この屋敷を守る任を持つものでございます。これからは、きちんと手を入れ、よすが殿にここに住んでいただき、日々奉納舞をささげていただく所存しょぞんでございます」

九条様が、うやうやしく言葉をのべる。

「ありがたいことです。そうしていただければ、この屋敷は、どんな災厄さいやくにもまぬがれ、人々に救いをもたらすでしょう」

 お社様は、そう、おっしゃると、そでから四つの光る玉を取り出して眷属けんぞくと思われる使者を呼び出された。

きりの四兄弟、ここへ」

「はい、お呼びに従い、参りました」

 言葉と同時に四つの光の玉は四人の武装ぶそうした人の姿になった。

「お前たち、四神の元に行き、それぞれ力を引き継ぐ式神となり、この屋敷を護りなさい」

「仰せのままに」

 四人の姿はすっと、四方に散った。

「これで、屋敷の護りは問題ないでしょう。悪霊あくりょうなどは入ってこられません。私の力がおとろえたときに守り切れずに、すべての者を撤退てったいさせたのですが、これで元通りになります」

「よすがは、優しすぎて多くの異形いぎょうの者を引き寄せてしまいがちですが、これで安心してここで暮らせます」

「は、はい。ありがとうございます」

 これでは、よすががここで暮らすことを、断ることもできなくなってしまった。

 それでも、よすがにとってはありがたいことで、そうか、あの家の異形の者たちは家のせいで集まっていたのじゃなくて、私が引き寄せてのか…。

 でもこれからはもう、護符を外しても、家の中では不気味なものを見なくても済むということだ。

 これはなんてありがたいことか。夢にうなされることも、家の中が暗くても寒気がすることもなければ、おびえることもない。

「よすが、よかったにゃん」

よすがのそばにちょこんと座っていたにゃまとが、嬉しそうにくりくりの瞳で見上げた。

「うん。にゃまと、私たち安心して暮らせるね」

「おお、そうと決まれば支度を急がせなければなりませぬな」

 九条様も上機嫌じょうきげんでいそいそと本殿ほんでんに戻っていった。

 お社様は、いつの間にか姿が見えなくなっていたが、きっと、富さんみたいにいつでも見守っていてくださるんだわ。

 と、よすがは、神棚かみだなに向かって深々とお辞儀じぎをした。

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