新月の夜。妖とお別れ

 今夜は新月しんげつ。朝から皆がソワソワし始める。夕刻ゆうこく前から出かける準備じゅんびをして、あの、来るとき通せんぼしていた岩の前で待つのだそうだ。

 よすがも、来た時に着ていた白拍子しらびょうしの衣装に着替え、今まで借りていた着物を丁寧ていねいにたたんで菊さんに返した。

 お礼を言うと菊さんは、またいつでも貸してあげるからと言った。

 いや、もう、ここへ来ることも、菊さん達に合うこともないのかもしれないと思ったら、なんだかとても寂しくなった。

あっという間に過ぎたひと月の間、つらいことなんて何もなかった。

みんな親切で優しかった。いつも一緒にいたから、なんだか離れて暮らすなんておかしな気持ちだった。 いて当たり前な、もう家族のようになっている。

「よすがさん、なんだったら、新月が過ぎてもまた戻ってきて私たちと一緒に暮らしたらいいんじゃないかい?」

菊さんが、冗談交じりに言ってくれるが、気持ちだけはありがたいが、それではよすがの白拍子としての生活はなくなってしまう。

「菊さんありがとうございます。でも、私には、白拍子としての仕事がありますから。でも、新月の夜にはお社様おやしろさまのお堂で舞を舞いますから会いに来てくださいね」

「もちろん会いに行くよ」

 菊さんと固く約束をした。屋敷やしきを離れない富さんとはもう会えないだろう。せめてお礼だけでも言いたい

「富さん、本当にお世話になりました私、富さんのことは、絶対忘れません」

よすがは、両手をついてどこにいるかわからない富さんに礼を言うと、富さんは、すっとよすがの前に座った。

「よすがさん、また会える日は来ると思うぞ」

そう、一言だけ言って、富さんはまたどこかへ消えてしまった。

 え? どうゆこと? 私又ここに閉じ込められるはめになるの? 

 何だか、よくわからないまま準備に追われて、富さんの言葉を深く考える余裕がないまま出掛けることになった。

 皆で、大岩の目で待機たいきする。

 やっと新月の日没、ゴゴゴゴゴという大きな音と共に来るとき道をふさいでいた大岩が転がって道を開けた。

「これで、岩戸いわどが開いた。外に出られる」

 この大岩がどくと入口の岩戸が開く合図らしい。

 皆でひと月分の買い出しをするのだそうだ。重いものを運ぶのは力持ちの平助さんの仕事だそうだ。

玉どんはもちろん坊やを探しに。菊さんは着物を買うのだとうきうきしている。

いそいそと皆で出かけて行った。

 よすがと、にゃまと、九条様は、まっすぐお社様やしろさまのお堂に向かった。ひと月前と変わった様子もなくお堂の中はシンと静かだった。

「変わった様子はなさそうですね」

「そうですな。ひとまず安心ですな」

「そうですね。よかったです。とりあえず。春の奉納ほうのうの舞を舞います」

「おお、お願いします」

 よすがが舞を舞っていると何やら騒がしい声がする。九条様は、慌て出て行って皆をしずめた。

どうやら、九条様の護家来衆ごけらいしゅうが、九条様が帰られたのではないかと迎えにいらしたようだったが、よすがは、そのままお社様のために舞い続けた。

 九条様のご家来はさすがに行き届いている。一言も声を出さずに皆静まり返ってよすがの舞を見ている。

 いきなりいなくなった主人が、どうしていたのか、何故ここで舞を見ているのか、聞きたいことは山ほどあるだろうに、九条様の様子を黙って見届けている。

 よすがが舞を終えて礼を取ると、一斉に九条様の周りに集まってきて一心に主を見つめている。九条様は、皆を静かに見まわしていった。

「皆の者、心配かけてすまなかった。私はこのよすが殿とともに妖の世界に閉じ込められていたのだが、新月の今日になって、やっと解放されたというわけなのだ」

「殿、よくぞご無事でおかえりくださいました。私の夢まくらに、お社様の使いが現れ、今日のことを教えてくれ申した。その言葉を信じて、我ら殿のご無事を信じてお待ちしておりました」

弁慶様べんけいさまと思われる大きな男が、皆を代表して言った。

「積もる話は、屋敷にかえってからしよう」

「よすが殿もお疲れでしょう、いったん家に帰られてゆっくり休んでから、明日またここでお会いしたいと思いますがいかがでしょう」

「はい。そうさせていただきます」

弁慶べんけい、よすが殿を送って差し上げてくれ。長く家を空けられているので、もし何か不都合があれば、私の屋敷へお連れするように」

「は、承知しょうちいたしました」

「いえ、私は大丈夫です。まだそこまで暗くありませんし、もともと粗末そまつな家ですから、慣れていますし、そのようなお気遣きづかいはいりません」

「いや、いけませんぞ。ひと月の間には嵐もあったかもしれません。屋根でもはがれていれば、雨漏あまもりりで住めないかもしれない。

もしくは、人のいない家に、盗賊とうぞくが隠れ家にしてしまっているなどということも考えられます。大切なよすが殿が、怪我けがをするかも知れないと思ったら心配でいたたまれませぬゆえ、どうか私の頼みを聞いてくだされ」

「にゃまと、私の分も、よすが殿を守るのだぞ」

「はいにゃ。まかせるにゃ」

 にゃまとは、いつも通り人間の男の子の姿で、くりくりの目を輝かせて自信満々に言う。

 よすがは、頼もしくもあり、また可愛らしくて微笑んだ。また、にゃまとと、二人の暮らしに戻るのだ。

 九条様は、大げさだとは思うが、そういわれれば少し怖い気もする。九条様の御家来の一番の強者つわものの弁慶様が来てくださるなら、それは心強いには違いない。お言葉に甘えることにした。

 家についてみれば、九条様の言われたとおり、ひと月ぶりの我が家は、荒れ放題で、ひどいありさまだった。

 ほこりや、蜘蛛くもの巣もそうだが、隙間すきまから吹きこんだ風が連れてきた木の葉やごみくずまでが、家の中に入り込んでいた。 

 一応、出かける前に雨戸あまどは閉めておいたのだが、戸は外れかかって隙間から雨風が吹き込んだらしく畳も何枚かダメになっていた。思わずため息が出る。

「よすが殿、今日はわが殿のお屋敷に行かれてはいかがか?」

 家の惨状さんじょうを見かねた弁慶様べんけいさまが気の毒そうに気を使ってくれた。

「いえ、幸い布団ふとんは無事ですし、問題ありません。少しずつ直していきます。わざわざ送っていただいて、ありがとうございました。盗賊とうぞくに出くわすこともなさそうですので、どうぞ、お引き取りください」

「わかり申した。では、明日九条の屋敷にてお待ちもうしております」

「では、にゃまと、後はお頼み申す」

「はいにゃ」

 弁慶様は、大きな体に精悍せいかんなお顔でにっこり微笑まれると、とてもお優しいお顔になる。頼もしくて素敵な方だ。

 よすがはひと月ぶりの我が家で掃除そうじから始めなければならなかった。

 ほうきで、ほこりやごみを履きだして、雑巾ぞうきんをかけた。雑巾はすぐに真っ黒になる。何度も水を汲んできてはいた。

 しかし、布団を干すことはできなかった。自分の布団なのに、ひと月もしまわれていた布団は黴臭かびくさくてなかなか寝付けなかった。

 にゃまともそうなのだろう久しぶりに猫の姿になってよすがの布団にもぐっていたがしまいには布団から出て枕元で寝ていた。

 妖の屋敷ではいつも気持ちのいい布団で寝ていた。いかに富さんが、きれい好きで気遣いしてくれていたかが身に染みた。

 今となっては、富さんが恋しいくらいだった。

 掃除に時間を取られてしまったので、空腹くうふくのまま床に入ったせいか、余計にあのにぎやかなあやかしの屋敷が恋しかった。

 今のよすがにはにゃまとのぬくもりだけが救いだった。また、二人で頑張らなくちゃ…。

 菊さんの言ってくれたように、また、妖の屋敷に戻ろうかなんて考えがよぎらなくもないが、白拍子としての私の生きがいがなくなってしまうのでそれだけはできない。

 どんなに寂しくてもここで生きていくしかないんだ! 

 よすがは改めて覚悟かくごを決める。

  翌朝、壊れた雨戸の隙間から朝日が差し込んできてまぶしさに目が覚めた。よすがは、のそのそと布団から起き上出した。

「ふわあー、にゃまと起きるわよ」

「よすが、おはようにゃん」

「ふふ、にゃまとおはよう」

 久しぶりの我が家でにゃまとと二人の朝だった。

 それにしても、こんなまぶしい日差しは、ずいぶんと久しぶりだ。そういえば、妖の世界は何となくいつも曇り空だったような気がする。

 そうか、私家に帰ってきたんだ。

 もう、皆はあのお屋敷に戻ったんだろうな。

 玉どんは、坊やを見つけられたんだろうか? また、見つけられなくて大泣きしているような気がする。

 かわいそうに、少しくらいならにゃまとを貸してあげられたのに。もう、それもできない。やっぱり、あのにぎやかさが恋しいな。


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