玉どんはにゃまとがお気に入り

 猫又の玉どんが側に来て、にゃまとを覗き込んでいう。

 玉どんはよほどにゃまとが、気に入ったらしい。そばに寄りたくて仕方がないようだ。

 しかしにゃまとは、それがかえって怖いらしいので、警戒けいかいされてしまっている。

「にゃまとは、わたしの所にこないか? 上手い酒があるぞ」

「ぼ、僕お酒は飲めないので、遠慮えんりょしますにゃ」

「そうか、なら、何が好きだ?」

「…」

 にゃまとは口ごもって、何も言えなくなってしまう。

「にゃまとと、私は、よすがどのの親衛隊しんえいたいなのです。だから、よすが殿の側を離れるわけにはいかないのです。にゃまとを連れて行かれては困りますな」

「親衛隊なら、九条様一人いれば良いじゃないか? にゃまとは、わたしの所にくれば…」

「いや、親衛隊と言うのは一人では成り立たないのです。にゃまとと二人で親衛隊なのですぞ」

「…そういうもんなのか。残念だなあ」

 玉どんは、九条様のよく解らない説明に納得してくれたようなので、ひとまずホッとする。

 妖というのは、決まりごとには忠実ちゅうじつに従う習性しゅうせいがあるようだ。

 よすがは、にゃまとを見てよかったねと、目配めくばせした。にゃまともホッとしたようににゃんと答える。

 九条様は、頭もいいのだなあ、と、つくづく見つめる。

 よすがでは、こんな風に上手くまるこめな…いや、納得なっとくさせられる気がしない。

 九条様は、よすがが感心した様子で見つめているので得意とくいになるが、それを気づかれないように視線しせんを遠くに向けて素知そしらぬふりをした。

 得意になるような内容ないようでもないしな。と思いながらも気分がよかった。

 そんなわけで、にゃまとはますます九条様の後をついて回るようになった。

 ねやなど、よすがの部屋ではなく隣の九条様の部屋で寝ている。

 なんとなくに落ちないよすがだが、まあ、呼べば直ぐに来るし、…いや、呼べば、間違いなく九条様が付いてくるので呼びはしないけれど…。

 九条様が、嫌いと言うわけではないが、側にいられると、緊張きんちょうしてしまうから、一人の方が落着おちつくのだが、ほぼ一日中側にいる…。

 それは、よすがを守る為だと、この間わかったばかりなのだが、出来れば、遠慮えんりょしたいような、反面はんめん側にいてもらって安心するような…。

 この気持ちはどうしたらいいのかしら?

 今日も、部屋の隅で、にゃまとと並んでちょこんと座り、嬉しそうによすがの稽古けいこを大人しく眺めている。

 よすがは、河童に調整ちょうせいしてもらった扇が使いやすくて、思うように動くので、楽しくて仕方がない。

 つい夢中になって時の立つのも忘れてしまっていた。 それでも、飽きもせず、ずっと大人しく座っている。申し訳ない気分になってくる。

「九条様、退屈たいくつではありませんか?」

 よすがは、稽古を終えて九条様のそばに座った。

 ふわりと風が起こると、九条様は落ち着きなく目を泳がせて遠くを見る。

 それから、にゃまとを見て話しかける。

「とんでもない。毎日よすが殿の舞を見られてこんなに嬉しい事はない。なあ、にゃまと」

 にゃまとは、今までよすがに絡みついてすりすりしていたのに、よすがから離れて、九条様にすりすりしに行く。

「はいにゃ」

 二人は、なんだかよすがが、ムッとするくらい楽しそうに、相槌あいずちをうちあっている。

 何だか気に入らないので、よすがは話題を変えてみた。

「…。ところで、お社様やしろさまは、大丈夫でしょうか? 何事もなければいいのですが、まだ、回復かいふくしているようには思えなかったのです」

「うむ…。まあ、悪霊あくりょうが動くのは大体が新月しんげつの夜だろうし、新月の夜までによすが殿が舞を奉納ほうのうしてくだされば問題ないであろう」

「そうでしょうか…。心配で」

「おそらく、私がいなくなったので、弁慶べんけいが、屋敷の様子を見に来ているであろう。あやつなら悪霊くらいは払えるはずだ。心配要らないですぞ」

御家来衆ごけらいしゅうも、さぞご心配しているでしょうね」

亡骸なきがらがなければ、どこぞで生きていると思っているであろう」

 心配ない心配ないと、九条様は、相変わらずのんきだが、あせった所で、新月までここから出られないことには変わりはないのだから。時がたつのをじっと待つしかない。

 しかし、一緒に閉じ込められたのが九条様でよかった。

 これが、おろおろしてしまうような人であったなら、よすがはいたたまれなかったであろう。


 珍しく今日は富さんも交えて、よすが、菊さん九条様とにゃまとで、お茶を飲んで話をしていた。

 富さんに扇がとても扱いやすくなったと話すと富さんも喜んでくれた。

「よすがの失敗が、三回から一回に減ったにゃん」

「にゃまと、もう、失敗の数を数えないの」

「にゃまとはよく解るなあ。私はよすが殿が失敗したのなど一回もわからなかったのに…」

「よすがは、気に入らないと必ずやり直すにゃ。失敗一回目にゃ」

「あれは、ああいう振りじゃなかったのか? 美しい動きが、二回見れて得をした気分じゃったが…あれが失敗なのか?」

 九条様は、信じられないという様子で驚いていた。

「九条様は、よすがなら何でもよく見えるにゃん」

「…い、いや、そんなことも、…あるが…。にゃまとは手厳しいな」

ははは…と、九条様は、照れ笑いをする。

 その、九条様の照れ笑いをかき消す、すさまじい音が突然鳴り響いた。

 半鐘の音が、同時に二つなってるみたいに地面が揺らぐような大きな音が響いている。

 五人は障子戸を開けて外を見ると、玉どんと、真太郎さんが、二人で泣きわめいている。

 河童の夫婦は、耳を押さえてこまっているし亀吉さんも、困り顔で後ろに後ずさる有様ありさまだ。

「一体何があったんだい?」

 菊さんが尋ねると、玉どんが、泣きながらいう。

「坊やー、何処に行ったんだ! 戻ってきておくれよー」

「玉どんが、可哀想だよー。わーん」

 大体のことは解っただが、どうしたら収まるものだろう?

「平助さんは、どうしたの? 何時も一緒にいてなだめてくれるのに」

 よすがが、聞くと富さんが答えた。

「あやつは、この季節になると、目が痛むといって何時も寝込むのじゃ。今日は蔵にこもっておる」

「何時もいる平助さんがいないから、真太郎さんも寂しくなっちゃって、玉どんに同情しちゃったんだねえ」

「でも、これはさすがにほっておけないというか、どうにかしないと…」

 よすがは考える。そうだ、にゃまとなら、玉どんをなだめられるかもしれない。

「にゃまと、お願い少しだけ、玉どんの相手をしてくれない」

「えー、よすが…」

「お願い。絶対なめたりしないようにそばで見張っているから、ね。お願い」

「ね、九条様、もし玉どんが、にゃまとのことなめようとしたなら、直ぐに取り上げてくださいますよね」

「お、おお、任せておきなされ。しっかり見張っておりますぞ」

 結局にゃまとはよすがの頼みは断れない。しぶしぶ猫の姿になる。

「ありがとうにゃまと。みんなの救いの神よ」

 よすがは、にゃまとを抱き上げると恐る恐る玉どんに声を掛ける。

「玉どん、少しだけなら、にゃまとのこと貸してあげるわよ」

「!」

 とたんに玉どんが泣き止む。

「あ、あの少しだけね、決してなめたりしないでね。にゃまとが怖がるから。解った?」

 玉どんは、うんうんと何度も頷いて手を伸ばす。よすがは、そっと、玉どんの腕の中ににゃまとを渡してあげた。

 玉どんは、嬉しそうににゃまとを抱え込み、恐る恐る、頭を撫でている。

「坊やにそっくりだ…」

 玉どんは、そう言ってまた目から涙をポロリとこぼした。涙は、にゃまとの頭に落ちた。

 にゃまとは、玉どんの涙をペロペロと舐めてあげた。

「にゃまと、くすぐったいな」

 と、玉どんは笑った。

「玉どんよかったな」

と、真太郎さんも泣き止んで笑った。

 一同は、ほっと胸を撫で下ろす。なんとか爆音ばくおんの嵐は去ったようだ。

 よすがは、平助さんの事が気になって、富さんに聞こうと思ったら、既にもう居なかったので、菊さんに聞いてみる。

「平助さん目が痛むって、大丈夫なんですか?」

 あやかしが寝込むなんて話はあまり聞いたことがないし、病気とは縁のない人達だと思っていた。

「まあ、本当に痛いわけじゃないと思うんだけどねえ」

「え? どういうことですか」

「まあ、春先と言うのは、色んな物がうずきだすもんなのさ」

 そういいながら、菊さんも、首をキョロキョロさせるからよすがは、かろうじて声は抑えたが思わず固まってしまった。

 やっぱり怖い…。今日はいつもより何倍も長い気がする。菊さんが、よすがに悪さをするとは思わないが、なかなか平気とは行かない。

 改めて回りを見回すと、よくも今日まで普通に暮らしてきたものだと驚く。

 のっぺらぼうに、河童に、ろくろく首…。彼らに囲まれて、半月ほども暮らしてきたと思えばどうしてそんな事が出来たのだろうと不思議なくらいだった。

「よすが殿、どうしましたかな」

 目の前に、九条様のお顔が覗き込んでいた。

 ああ、なんて美しいのだろうと、しみじみ思う。もともと美しい九条様のお顔が、余計に美しく見える。

 この物事に動じない九条様に影響えいきょうされて、今まで何も考えずにいられたのだったと思い出す。九条様なしではきっと気がおかしくなっていただろう。改めて九条様のありがたみが心にしみた。

「ええ…、新月まで後半月ほどになったのだと思いまして」

「よすが殿は、外の世界が恋しくなりましたか?」

「はい…。忙しくあちこちのお屋敷を回っていたのが嘘のようになんだか静か過ぎて妙な気持ちです」

「よすが殿には、此処を出たらさっそくお社様の奉納舞を舞っていただかねばなりませんなあ。私の家来共も呼んで、そうだ、兄上にも来ていただいて、盛大せいだいに催しませんとな」

「まあ、それはとても楽しみです」

「私も、いまからわくわくします」

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