第14ずっと一緒にいたい…

 乾いたが、寒さは収まっていないようで、皆が広間に集まってくると、富さんは、温めたかんのお酒を持ってきた。

「おおー、あったまる」

 いつの間にか玉どんも一緒に燗のお酒をすすっていた。今日も又、結局は酒盛さかもりがはじまるのだった。

 よすがはその夜とこに入って、九条様の温かいお手の感触かんしょくを思い出した。

 繰り返し、何度も思い浮かんで、心がふんわり温まるような、幸せな気持ちで眠りについた。

 そんなよすがとはうらはらに、九条様は、床の中で悶々もんもんとしていた。

「はあー、抱きしめたかったな…」

 震える小さな背中が、はかなげで愛しくて、思い出すたびに触れた手を眺め、ぽつりとささやいた。

 いったいいつになったら受け入れてもらえる日が来るだろうかと、ぼんやり考えてみる。

 もしかしたら、一生そんな日は来ないのではないかと思える。

 はあー、と、大きくため息をついた。


 何時ものように稽古けいこを終らせた跡に、よすがは、ふと思い出して聞いてみた。

「富さん今日の舞はどうだったかしら」

 よすがが、そこにいない富さんに声を掛けたので、側にいた九条様と、にゃまとは、ビックリした。

「富さん何処?」

「富さん? おおそうか!」

 九条様は思い出したらしくあたりをキョロキョロした。

「なかなか良かったよ。今日は少し湿気しっけが多かったからおうぎが重かったようだね。湿気のない日は、もう少し軽やかに扇が舞ってくれるよ」

 突然目の前に現われた富さんは、よすがの舞をしっかり見ていたようで適切てきせつなアドバイスをくれた。

「まあ、そこまで考えた事はなかったけれど、確かに扇が重く感じるときがあったわ」

 よすがは、感心してまじまじと扇を眺める。

「感じていたなら、湿気払しっけばらいをしてもらえばいいさ」

「え、湿気払い? そんなことできるの?」

河童かっぱどんを呼んでこようまっておれ」

 そういうと、富さんは、又スッと消えてしまった。

「菊さんの言うとおり、ほんとに富さんはどこにでもいるんですな。いや、驚きました」

 九条様が、あっけに取られたように呆然ぼうぜんと言う。

「はい。私も半信半疑はんしんはんぎだったのですけど。富さんは、こうやって何時いつも皆に気をまわしてくれてるんですね。とても頼もしいです」

「まったくです。こまった時には何時でも助けてくれるという事ですな。成れない妖の世界でも、安心していられるという事です」

「九条様は、此処が怖かったのかにゃん」

「い、いや、何時いかなる事が起こるかわからぬゆえ、よすが殿の側を離れてはいけないと、常々つねづね心得こころえていたのだ」

 思いもかけない九条様の言葉によすがは感動する。そんなふうに気遣きづかっていてくれたなんて思っても見なかった。

 だから、毎日退屈な稽古に付き合ってくれたいたのか…と、あらためてありがたく思う。

 自分のあずかり知らぬ所で九条様に護っていただいていたのだ。

 護られているというのは、なんとも贅沢ぜいたく心持こころもちになることか、とても大切にされているように思えて、心がふわふわ浮かれてしまいそうになる。

「安心したから離れるにゃんか?」

 にゃまとは突拍子とっぴょうしもないことを言い出すから、吃驚びっくりした。

 よすがは九条様が、離れてしまうのは寂しい気がした。

 出来ればずっと、側にいてほしいなんて思ってしまったことを慌てて否定する。なんて恐れ多いことか! 

 よすがは、自分をいましめてあきらめの気持ちで、九条様を見た。

 だが、よすがの耳に入ってきたのは、よすがが欲しかった言葉だった。

「離れはせぬよ」

 思わぬ、そのたった一言が、よすがには体が震えるほどにうれしかった。

「僕も、よすがの側を離れないにゃ。九条様は、僕と一緒にゃ」

 二人のやり取りを聞きながら、よすがは目頭が熱くなるのを感じていた。


「よすが殿、扇の湿気払いをしたいと聞いて来たぞよ」

「まあ、河童さん本当にそんな事ができるのですか?」

「なあにお安い御用ごようですぞよ」

「それではお願いしてもよろしいですか」

 よすがが、扇を河童にさしだすと。それを受け取り扇を広げて、ぽんぽんと、軽く扇を叩くと、扇から水が一滴ぽたりと落ちた。

 河童は、扇をひらひらと確認するように眺めて、またぽんぽんと叩くと、又雫がぽたりと落ちた。又眺めては、何度か動作を繰り返すと、満足そうに扇を閉じてよすがに返してくれた。

 その扇を受け取ると、確かにさっきよりも軽い気がした。  

 よすがは、さっそく扇を開いて高く投げ上げてみる。 

扇は、いつもよりひらひらと綺麗きれいにまい落ちてよすがの手に戻ってきた。

「本当に軽いわ、とても扱いやすい!」

 よすがは、感動して河童夫婦を、尊敬そんけいの眼差しで見つめる。

「たいした事ではないぞよ。あまり水分を抜いてしまっても、扇が傷んでしまうから、そのくらいがちょうどいい加減かげんだと思うぞよ」

「その扇は、それ以上水分量が変わる事がないから、何時でも安心して使えるわよ。良い舞を踊ってね。よすがさん」

「本当にありがとうございます。河童さん。それに、富さん、頼んでくれてありがとうございます」

「おや、よすがさんも、富さんになれてきたようだぞよ」

「本当だ、目に見えない富さんに話しかけるなんて、どうして直ぐに解ったんだい」

「あ、お菊さんが教えてくれて…」

「ああ、そうだったのかい。でも、その言葉を素直に信じられる人間もめずらしいねえ、あんた」

「ああ、人間は、目に見えないものを信じないもんだぞよ」

「よすがさんは、心の綺麗な人間なんだねえ。わたしゃ気に入ったよ」

「お前が気に入ったなら、わしも気に入ったぞよ」

「嬉しいねえ、あんたはほんとに私のいい亭主だよ」

「お前だって、わしの良い女房だぞよ」

 ふたり? は、目の前でいちゃつき始めるからよすがはどうしたら良いか解らず下を向いて扇で顔を隠してもじもじする。

「本当に河童夫婦は、仲が良いな。どうしたらそんなに仲良しになれるのか教えてほしいものだ」

 九条様が、見かねて声を掛ける。

「わしらは、唯一無二の存在なんぞよ」

「あんた、独身の二人に見せ付けちゃ、目の毒だから、帰ろうよ。続きは家でね」

「おお、母ちゃんそうしよう」

 そういって二人はいそいそと帰っていった。

 跡に残された二人には気まずい空気が、漂っている。

「よすが、どうしたにゃん? 顔が赤いにゃ」

「にゃまと、お散歩に行こうか」

「うん、九条様も一緒に行くにゃん」

「お、おおそうしよう。裏に畑があるらしいから見に行ってみるのも良いかのう」


 のんびり歩きながらぐるっと屋敷を迂回していくと、 突然広い畑が目に入った。こんなに広い土地が此処にあるのが不思議なよすがだが、不思議は、此処に着てから一から十まで不思議なので、深く考えない事にする。

 その畑を、せっせと耕しているのは、妖の男達だった。

 この間大泣きをしていたこなきじじいの真太郎さん、後から名前を聞いたのだが一つ目小僧もどきは、平助さん、のっぺらぼうの亀吉さん猫又の玉どんもいる。

 皆真面目まじめに働いているんだなあ、と尊敬そんけいさえしたくなった。

 人間と何も変わらない、いや、人間以上にみな、優しかったり、思いやりがあったりする。彼らは、こうやって何百年もの間暮らしてきたのだろうか?  

 たまに、新月の夜に、人間の世界に出かけていって、ひどい扱いを受けたりしなかったのだろうか? 

 それでも、私たちにこんなに優しくしてくれるのは、彼らは、相当のお人好しな気がする。

「おやー、にゃまとがいる」

 一番最初に気が付いたのは玉どんだった。にゃまとはビックリして、九条様の後ろに隠れる。

 あら? 私じゃないんだと、よすがは少し落胆らくたんするが、九条様の方が、隠れるには安心かもしれないと思うので、まあ、良いかということにしておく。

 ほんとに何時の間にこの二人はこんなに仲良くなったのか…。

「九条様、よすがさん、こんな処にどうしたんですか」

 のっぺらぼうの亀吉さんは、相変わらず何処に顔があるのかわかりにくい。そのまん丸な瓜のような額はおそらくせっせと働いていたのだろう汗でてかてかと光っている。

 後姿から普通の顔がある様子をつい想像してしまうからいけないのだが、いきなり振り向かれると、やはりギョッとしてしまう。

 しかし、こまった事に亀吉さんも、よすがの様子を見て、あごの辺りにあるちまっとした口をニタリと広げて嬉しそうに笑うのだ。

 そんなわけで、よすがの様子に満足そうに亀吉さんは広い額の汗を拭き拭きこっちをみる。

「皆さん精がでますな。手入れのされた良い畑ですなあ、雑草ざっそうの一つもないではないか」

「この季節は草が一斉に芽を出すからのう、抜いてやらんと、立派なきゅうりが出来なくて、河童の夫婦が悲しむんじゃ」

 ははは、と、真太郎さんが笑う。なるほど、河童の夫婦用に夏の間に沢山のきゅうりを収穫すると聞いていたが、延々と続く畑がきゅうり畑なのかと、驚く。


「…河童の夫婦は、ほんに仲が良いな」

「彼らは、唯一の同族だからな。わしらにはつがいとなる相手がいなくて詰まらんな。いればわしだって、あのくらい仲良くしたいな」

「真太郎さんには、平助さんがいるじゃないか。何時も一緒で仲良しじゃ」

「こいつは、何時もわしを蔵に入れるぞと脅して、意地悪じゃ」

「お前が人迷惑な大声でしょっちゅう泣くからだろうが」

「泣く前から言う」

「泣いてからじゃ、遅かろが」

 一見喧嘩けんかしているように見えるが、この間の真太郎さんの怪我けがの事件でそうでないことは知っている。

 皆もそうなのだろう。誰も二人をとめようともせず、気にした様子もない。

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