第12話にゃまとのアドバイス


 縁側で酒盛りを始めた男達はそのまま夜まで飲み続け酔いつぶれてしまったので、よすがは、九条様に謝る事もできずに翌朝、朝餉あさげの席に座った。よすがより少し遅れて、九条様が現われた。

「九条様にゃん!」

「おお、にゃまと、おはよう」

「おはようニャン」

「よすが殿、おはようございます」

「九条様、おはようございます。昨日はだいぶお飲みになったようですが、体調は大丈夫ですか」

「そうですな。あんなに飲んだのは、随分ずいぶん久方ひさかたぶりな気がしますが、思ったよりすっきりしてますな。問題ありませぬぞ」

「そうですか。それは良かったです。今朝の朝餉は、九条様には、酔い覚ましの料理になっているようですね」

「おお、さすがは富さんじゃな。ありがたい」

九条様は、おいしそうに吸い物をすする。

 昨日の落ち込みはすっかり忘れたのか何時もの九条様だった。よすがは、ホッとして、でも少し物足りないようなおかしな心持がした。

「しかし、妖怪というのは、皆あんなに酒に強いものなのですかな。さすがにもう酒はいらないというかんじです」

「ふふ、さすがの九条様でも参りましたか」

「おお、弁慶べんけいでもどうかと思うぞ」

「まあ、弁慶様は、お酒もお強いのですか?」

「浴びるほど飲んでもけろっとしている」

「それはすごいですね。ということは、昨夜もそのくらい飲んだのですね」

 九条様は、何故か黙々と煮豆の小鉢ばかりに箸をつけている。さっきから何度も箸が九条様の口と小鉢を行き来していた。

「私ではなく彼らがな。なんだか出汁だしに使われたような気分だ」

「出汁ですか? 一体何の出汁に?」

「まあ、自業自得なのですが、今までの無意識の行動が自分の首を絞めるという事ですよ」

 そんな事をぼそぼそといいながら煮豆の小鉢をすっかり空にしてしまった。そして満足そうに一息ついた。

「九条様は、煮豆がお好きなのですか? よろしければ私のもどうぞ。まだ箸をつけていませんので」

「いや、行儀ぎょうぎが悪いといわれるのですが、好きなものは先に食べてしまわないと落ちつかないのです。後はゆっくり他の物を食べるので、よすが殿は、気にせずに食べてくだされ」

「いらないのですか?」

「いいのです。よすが殿の分まで食べてしまっては、他の物が食べられなくなってしまいます」

「…そうですか?」

 煮豆に気を取られてしまって何の話をしていたのか忘れてしまった。

 何の話をしていたかと考える。深刻な話をしていたような気がしたが、話の腰を折ってしまった。又九条様に失礼な事をしてしまったと、よすがは、あせって話を戻す。

「九条様は、とても立派な方です。皆、心の底では尊敬そんけいしていると思います」

よすがは九条様に対する心からの素直な気持ちで言葉を選んだ。

「ありがとうございます。何としても、私の誠意せいいを解ってもらいたいのです」

 九条様の言葉が自分に向けられた言葉なのだろうかとほんの少し考えながら、それでも気づいていない素振そぶり続けるしかなかった。

「大丈夫ですよ。…きっと伝わります」

「そう思いますか? あなたに言ってもらうと勇気が出ます」

「がんばってください」

 何をがんばるのだか…。自分で言っていながら、冷や汗を感じる。

 もう少しましな受け答えは出来ないものかとあせるが、何を言っていいのか思い浮かばない。

 なんだかぎこちない会話をしながら、相手の意図を探り合うような雰囲気で居心地が悪かった。

「それでは早速ですが、この後何か予定でもありますか」

 九条様が、もやもやとした空気を振り切るように話を変えた。

「私ですか? 昨日と同じく舞の稽古けいこをしようと思っていたのですが…」

「本当ですか?」

九条様は、身を乗り出して期待の眼差しで、よすがを見つめる。

「は、はい、…そのつもりですが何か御用ごようでもありますか?」

「いやいや、私の用などどうでもいいのです…その、…、もし良かったら、稽古を隅っこで良いので、拝見はいけんさせてもらっても…あ、いやいや、気が散るというのならあきらめますが…無理にと言うわけでは…」

 九条様は、消えそうな声で申し訳なさそうにもじもじ言うからなんだか可愛くて…九条様に対して、可愛いなんて失礼な事を思ってしまった…。

 でも、この方は本当に無邪気な所があって、そんな所を見せられると心の中がうずうずしてしまう。

「稽古なんて、見て楽しいものではないと思いますが、できるだけ失敗をしないようにがんばりますね」

「ああ、いやいや、私のことなど気になさらずに、何時ものようにしてくだされば、私は、隅っこで空気かほこりのように大人しくしておりますので」

「九条様の埃だなんて、随分ずいぶんきらびやかな埃ですね」

 自分を埃とたとえる九条様がけなげで、よすがは、おかしくてくすくすと笑った。

「ちと、でかすぎる埃ですかな。直ぐに目だって、き捨てられそうですな」

九条様は、よすがに笑われ恥ずかしそうに言う。

「いいえ、履き捨てたりなんていたしません。大切においておきます」

「それは良かった」

 九条様は、心底ホッとしたように、輝くような笑顔で笑った。

 なんて美しい方なんだろうとよすがは見とれた。

 その日から九条様は、毎日部屋の隅で大人しく座ってよすがの稽古を満足そうに眺めていた。

 そうしているうちに、にゃまとと、九条様はすっかり仲良しになってしまったようだ。二人並んで座るようになっていた。

 九条様は、真剣そのもので 、一心不乱に見入っている。

 指先に、肩に、刺さるほどのまなざしがそそがれて、よすがは、緊張で、冷や汗が出た。 

「はあー、やっぱりよすが殿の舞は、美しいな」

恍惚こうこつとした表情でつぶやく九条様に、にゃまとが聞く。

「九条様は、よすがが好きにゃん?」

「おお、よすが殿の舞を始めてみた時から一目惚れじゃよ」

「よすがと結婚したいにゃんか?」

「そ、それは、よすが殿が良いといってくれれば…し、したい!」

「でも、よすがは、結婚したくにゃいにゃん」

「…私が好きではないということか?」

 九条様は、ションボリいう。

「よすがは、舞が好きにゃん。だから結婚したくないにゃん」

「そうか、…よすが殿の相手になる者は、よすが殿から舞を奪わない者でなければならないのだな。にゃまと、良いことを教えてくれた。礼を言うぞ」

「にゃん!」

 よすがが、一息入れると、すぐににゃまとが駆け寄ってきてよすがにすりすりする。可愛いので頭をなでてやると、へへっと、笑って、こんどは、九条様のところへ行って、同じようにすりすりした。九条様は、うれしそうににゃまとの頭を撫でてやっている。

 あら? 私と同じ? にゃまとったら、私の式神としての立場を忘れてない? 

 九条様は、まったく何もかもひきつけてしまうお方なのだわと、よすがは、呆れながらにゃまとの側に行って腰を下ろした。

 よすがが腰を下ろすと、ふわりと風が起こった。九条様は、よすがが、側に来てくれたのでうれしくなった。

 にゃまとを挟んですぐ近くにいる。おお、こんな近くによすが殿が…。

 何か言わなければともじもじしながら考えた。

 そんな二人の甘い雰囲気をぶち破るように、突然すさまじい叫び声が聞こえてきた。まるで、火事の半鐘はんしょうを耳の側で鳴らされたような音だった。

 一体何事かと三人は顔を見合わせた。障子戸しょうじどを開けて外を見てみると、大きな男が座り込んで泣いている。おそらく、こなきじじいといわれる妖怪と思っていた男だ。一体何があってそんなに泣いているのか?   

 そばには、猫又の玉どんや、のっぺらぼうの亀吉さん、河童の夫婦の姿もある。

 そして以外にも何時も、蔵に入れるぞと脅している一つ目もどきの男が、心配そうに彼をなだめている様子だった。

 おや? 何時も意地悪なわけじゃなく本当は優しいのか? 不思議な光景に気を取られていると、菊さんが、おけとてぬぐいを持って走ってきた。

 さっするに、何時も岩を磨いているといっていたこなきじじいの真太郎さんが、岩から滑り落ちて怪我けがをしたようだった。皆でおろおろと、遠巻とおまきに眺めて、菊さんが手当てをしている様子をこわごわのぞいている。 

 その最中も、一つ目小僧もどきの男は、側で背中を撫でて慰めていた。意外な優しさに驚かされる。

「怪我をしたの? 大丈夫?」

 よすがが、声を掛けると、こなきじじいの真太郎さんは、涙も、鼻水もたらしながら、まだ泣いている。

「痛いようー」

「菊さんが、手当てしてくれたからもう痛くない。泣くな。泣くと、又力がなくなって動けなくなるぞ」

 何時も蔵に入れるぞと脅しているのはそんな理由があったのかと、よすがは改めて知らされ、意地悪い男だと思っていた一つ目もどきの男に対する見方が変わった。

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