第11話よすがの決意

「わしは、子どもを背に乗せて必死に逃げた。妻や、ほかの子供たちともはぐれて人込ひとごみの中をまれないように、どうにか火からのがれた所で、気が付くと背中にいたはずの坊やがいなくなっていたのじゃ。わしは、慌ててきた道を戻ったが、坊やは何処にもいなかった。嫁さんとの約束を守れなくなってしまった。

 途方とほうにくれて、燃えた屋敷の周りをさまよって日々暮らしていた。もしかしたら、心優しい人に拾われて幸せに暮らしているかもしれない。…いや、そうに違いないと信じて今も、探しているんじゃ」

「それで、にゃまとはそんなに坊やに似ているのか?」

「坊やに間違いないと思ったんだがなあ…。どこに行ったのかなあ…」

「玉子・・・、うう、坊や・・・」

 玉どんは、思い出しておんおんと泣いた。

 九条様も、にゃまとについては式神しきがみだということ以外は何も聞いていないが、あえて猫になるということは、かつて、猫だったなどということがあったりするのだろうか?

 しかし、時間の流れがよくわからない。いったい、いつの話なのだろう。

 九条様は、考える。気の毒な話ではあるが、少し変だな…。玉どんは、ふつうの猫ではない。貴族の屋敷で猫又ねこまたの親子を飼っていたのだろうか? 

 もし、そうなら、飼い主は、猫又と知っていたのだろうか? もしかしたら、そのころは、ふつうの猫だったりしないか? 

 三毛猫は、思いが残ると、猫又になるという話を昔聞いたことがあった。

 子どもを探し回っている間に年月が過ぎて、いつの間にか猫又になってしまったのだとしたら、坊やは、その時生き延びていたとしても、既に歳を取って死んでいるかもしれない…。

 もしそうなら、気づかせてやらねばならないが、それも気の毒な気がする。

 玉どんの話に自分の悩みがどこかへ行ってしまった。まあ、まだ時間はある。

 よすが殿がいなくなるわけでもないし、白拍子としての生業なりわいに人生をささげている様子で、おそらく男になど興味きょうみもなさそうだから、誰かにとられるということも早々はないだろうと、何事なにごとに対してもポジティブな九条様は思い直してみる。

 彼らは、何気に落ち込んでいる九条様を慰めようとしているらしい。妖怪ようかいたちは人の心の機微きび敏感びんかんなようだ。

 あまり上手じょうずとはいえないが、彼らなりに考えている事は解った。まだ会ったばかりの自分に、こんなふうに接してくれるのは、とんだけお人好しなんだ?

 見栄みばえは、決して良いとはいえない彼らだが、その見かけとは裏腹うらはらに優しい心を持っている。

 よすがは九条様のことを考えながらおうぎを広げて練習に精を出していた。だが、今日は扇がなかなか上手く扱えない。直ぐに落としてしまっては繰り返す。

「よすがさん、少し休んで、お茶でも飲みましょうよ」

さっきは、首が塀の上にあって驚かされた菊さんが、お茶を持ってきてくれた。

「なんだか、浮かない顔してるねえ。なにか悩みごとかい?」

にゃまとは直ぐによすがの側に来てちょこんと座ると、無邪気な顔で平然と言う。

「よすがは、さっきから同じ所を失敗してもう、三十回もやり直しているにゃん」

「おや、まあ、心此処こころここあらずって感じたねえ」

 菊さんは、困った顔をして言うと、にゃまとが驚いた。

「よすがの心が、どこかに行ってしまったにゃんか?」

「まあ、そんなところかね」

 にゃまとは、必死の顔で、よすがにしがみつく。

「よすが、早くもどってくるにゃん! 僕を置いていかないで!」

 にゃまとにとってよすがは、無くてはならない存在そんざいなのだなと思えて、うれしくて心が温かくなる。

 よすがにとっても、にゃまとは大切な存在だ。いつも支えあって生きてきた。

 よすがは、にゃまとの頭をなでてやると、うれしそうによすがにすりすりする。

 私に、他の大切な人なんて必要もないはずなのに、何故こんなにも気になるのかしら…。

「どれ、一つ話しを聞こうかねえ、九条様かい?」

「え?」

よすがは図星ずぼしを指されてうろたえる。

 九条様の、あの、肩を落とした後姿が、頭から離れない。思い出しては、罪悪感ざいあくかんにさいなまれていた。

 よすがにとっては、殿方をあしらうことは日常茶飯事にちじょうさはんじで、こんなに気にしたことなどなかった。

「さっき九条様が、あまりにもしょんぼりされていたので、傷つけてしまったのではないかと気に成ってしまって…」

「ああ…、よほどよすがさんに嫌われたくないと見えて熱心ねっしん弁解べんかいしていらしたね」

「私、まともに聞いてはいけないと思って、何時もの調子で、酒の席で殿御とのごをあしらうような言い方をしてしまって、九条様は傷ついたみたいで…」

「酒の席では、面白半分おもしろはんぶんで、言い寄ったり口説くどいたりは、よくあることなんだね」

「いちいち真に受けていたら、身が持ちません」

「九条様も、そうだと思ったのかい?」

「分かりません。私はまだ、そこまで九条様という方を存じ上げていませんから、噂を、真に受けているわけではありませんが、九条様の言動げんどうはとても軽いと思います」

「そうかね、私は中々、素直すなおなお人に見えるけどね。さっきも、肩を落として可愛かわいじゃないか。にゃまととさして変わらないよ」

「僕?」

と、にゃまとが、ぴょこんと顔を上げて興味津々に、よすがを見上げる。

「にゃまとは、嘘を言いませんから。でも、人はうわべをつくろうために思ってもいないことを口にするものです」

「九条様も、嘘は言わないにゃん」

 よすがは、無邪気な瞳で言うにゃまとに、思わず笑ってしまった。

「にゃまとは、随分ずいぶん九条様と仲良くなったのね」

「そうにゃん!」

 にゃまとは得意そうに言って、満足そうにまたよすがの膝に頭を載せる。

「よすがさんは、九条様とまともに向き合うのが怖いんだね」

「それは、身分が違いすぎますから、外の世界に出たら、私などお目にかかることすら出来ないようなお方なのですもの」

「よすがさんだって、都一の白拍子じゃないかい」

「いくら評判がよくても、白拍子は平民ですから」

「九条様は、案外忘れずに後見になってくれるかもしれないよ」

「後見はいりません。後見といえば、愛人になる事と、同じなのです。私は白拍子として、舞だけに全てをかけて生きて生きたいのです」

「それはそれ、別に考えても良いんじゃないかえ」

「え…?」

「ほら、後見としての線引きをしっかりすれば良いことだし、九条様は又別に考えたら良い」

「…私が、白拍子の誇りを失わなければ良いってこと?」

「ああ、ちゃんと解っているじゃないか。そういうことだよ。何もかも一緒くたに考えるから混乱してしまうんだろ」

「誰かに心を許しても、自分を失わなければいいことだし、それだけの強さは、よすがさんにはあると思うけどね」

「でも…、自信がありません」

「じゃあ、あんたにとって、白拍子と言うのは、そんなに簡単にすててしまえるものなんかい?」

 簡単にすてられるわけがない! たとえ命の危険を迫られても、舞は捨てられない。お社様のお堂の中でもそうだった。

 よすがにとって、舞は、生きることそのものなのだ。何があっても、舞をおろそかにはできない。

 心の底から湧き上がる思いを、よすがは、消すことはできない。

「いえ! 私は、手足の動く限り舞続けます」

「それでいいんじゃないかい?」

「…。確かに、揺るがない気持ちは私の中にありました」

うん、うん、と、菊さんは頷いて、満足そうにお茶をすすった。

 九条様の気持ちをそこまでかたくなに否定することもないのだ。それが、よすがの生業を脅かすことなどない。と思えた。

「よすがー、心もどってきたにゃんか?」

「うん、にゃまと。ごめんね心配掛しんぱいかけて」

「よかったにゃあ!」

にゃまとは嬉しそうに駆け出して、よすがのおうぎを拾ってきて手渡した。

「ありがとう。にゃまと」

 よすがは、扇を受け取りごくりとお茶を飲み干すと、又舞始めた。

 もう、迷いはない。しっかりした足取りで、扇をひるがえすす。

 扇は、今度は、綺麗きれいにくるりと回って、よすがの手に戻った。

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