第10話猫又の玉どん

 河童かっぱ夫婦ふうふは、池の中に帰っていった。よすがは、ほっと胸をなでおろす。いくら、キュウリしか食べないといっても、キュウリと間違まちがえて食べられたらどうしようと本気で怖かった。

「よすが殿大丈夫ですかな。顔色が悪いようですが」

「九条様は、河童が怖くありませんでした?」

「富さんから、害のない河童だと聞いていましたからな。キュウリさえあれば機嫌がいいそうですぞ」

「で、でも、人間はキュウリの味がするといっていましたよ」

「多分河童流の冗談じょうだんですぞ。よすが殿を怖がらせて楽しんでいたのでしょう」

「そうなのですか?」

あやかしは、いたずら心で人を怖がらせて喜んでいるところがありますからな。彼らなりの挨拶あいさつの様なものです」

「あ、挨拶なのですか…」

 夕べ、菊さんの洗礼せんれいに会ったばかりなのに,またやられたらしい。

 そうだったなら自分も、ただおびえるだけじゃなく、もっとましな対応があったのではないかと思うと、少し悔しいような、残念なような気がした。

「でも、一年中河童夫婦に、キュウリを食べさせるなんて、富さんは、どうしているのかしら」

「富さんは、河童夫婦のために夏の間に大量のきゅうりをつけるそうだ」

「そんなに沢山のきゅうりを一体何処から持ってくるのですか?」

「裏の畑で作っているらしい」

「畑があるのですか!」

「ああ、田んぼもあって、米も作っているといっていたな。その米で、酒も造っている」

「まさか、それも全部富さんが?」

「いや、さすがに畑仕事は、男の妖怪共がやるらしい。それで、今朝の朝餉あさげにあった魚の干物ひものは、きゅうりのお礼に河童の夫婦がくれるようだ」

「そうなんですか…。妖怪たちは、食事はしなくても、お酒のつまみは食べるのですね」

昨夜さくやも、かなり豪快ごうかいに食べていたな」

「そういえば、そうでしたねふふ…」

安心して、気が抜けたよすがは、思っていたより無邪気むじゃきな彼らを思いだして、笑いがこぼれてしまった。

「…。」

「どうなさいました?」

「いや、よすが殿の笑った顔を始めてみた。そんなふうに花が揺れるように笑うのですね」

 花が揺れるなどと気恥ずかしくなる言葉に、ムズムズするが、いつもの癖で、心の中を見られてはいけないと平静へいせいを装うために、自分をいましめる。これは、お愛想あいそうなのだと。

「…。そうでしたか? 昨日今日と、緊張きんちょう連続れんぞくで、とても笑えるような状況じょうきょうではないのに、九条様といると、不安が何処どこかへいってしまう気がします」

よすがは、少し堅苦かたくるしく社交辞令しゃこうじれい風に答えた。

「ああ、さぞ心細い思いをされていたでしょう。ですが、心配は要りませぬぞ、よすが殿は、必ず私が護って見せます。不安ならば、何時でも私の側におられると良いですぞ」

 九条様は、よすがの返事に、距離きょりを感じたが、それでも一応ほめてもらったので、気をよくした。本当は、もっと心を開いてもらえたなら、夫婦のようにと付け加えたかったが、そこはこらえて言わなかった。

「はい。頼りにしています」

 よすがはにっこり微笑ほほえんで答えた。

 なんだかとってもいい雰囲気ふんいきじゃないか? この調子でいけば、きっと信頼を築き上げられるはずだ。こんな事なら毎日でもきゅうりを運んでやるぞと、上機嫌で、河童の池から戻ってくると、へいの上に生首なまくびが載っている。

「きゃあー!生首…」

よすがは、驚いて叫ぶ。

「よすが殿落着おちつきなされ、あれは、菊さんですぞ」

「え?」

 落着いてよく見れば確かに…。又やられた。よすがは落胆らくたんする。しかし塀の上の首がニヤリと笑うのは、解っていても不気味だ。

「まあ、菊さんどうしたんです? 首は伸びなくなったんじゃないんですか」

「九条様と、よすがさんを見たいと思ったら、伸びちゃって。ふふふ」

 まあ、ろくろく首の菊さんにしてみれば、首が伸びる事は、いいことなのだろうし、喜んであげるべきなのかもしれない。でも! あまり気味の良いものじゃない。

「何か用がありましたかな?」

「そうじゃないのだけど。二人を見ていると、なんだかふんわかといい気持ちになるんだよねえ。良いねえ、若い男女と言うのは」

「そうですか? 菊さんも、見た目は十分若いですぞ。それにいつも綺麗きれいにしている」

「さすが、遊び人の九条様は、口が上手いねえ」

「遊び人は止めてください。私は一筋の真面目まじめな男です」

「本人が真面目といっても、周りがほって置かないからねえ、よすがさん」

「そうですねえ、だいぶ浮き名をながしていらしてましたね」

「そうでしょう、周知しゅうちの話ですよねえ」

「ひどいな、二人とも。本当に私は、一度決めたら一筋に浮気などはしませんぞ。浮気のうの字もしませんから」

九条様は、必死で弁解べんかいする。さっきはいい雰囲気だったのに台無だいなしだ。

 何としても、よすがに良く思われたくて、熱弁ねつべんするが、よすがに掛かると、まるで暖簾のれん腕押うでおししだった。上手く交わされてしまって、まったく信じてもらえてないようだ。

 九条様は、しょんぼりする。よすがにだけは嫌われたくない。

よすがは、しょんぼりと肩を落として去っていく九条様を見送りながら、もしかして又間違えてしまったかしら…。と気の毒に思えて心が痛い。

 気持ちがもやもやといけないことをしてしまったように苦しくなる。

 でも、九条様は、身分が違いすぎる。今は二人しかいないなかで、おそばで話をしたりかまってもらえるが、一歩外の世界に出たら、よすがなどが側にも寄れない方だ。お声さえ掛けてもらえないだろう。

 そんな人に心を乱されては後で辛い思いをするだけだ。仮に覚えていてもらえたとしても、かこわれたりする事は絶対に避けたい。

 私は、白拍子しらびょうしとしての生業なりわいに全てをかけている。囲われて生ぬるい生活をする気は無い。

 舞うことに命を掛けて人生をまっとうするのがよすがの信念しんねんだからだ。

 九条様は、とぼとぼと、縁側えんがわまで来て腰を掛けてぼんやり庭を眺める。妖の世界だからといって、草や木までが毒々しいわけではない。

 よく手入れのされた庭は、立派な枝を伸ばした松や、しだれ桜と思えるが、既に葉が茂っている。季節は初夏に向かっていることを表していた。そして、形のいい立派な風体ふうたいの大岩や、灯篭とうろうなどがバランスよく並べられ見事な庭だった。

 貴族の屋敷でも、引けを取らない。なかなかいやされるいい庭だと思いながら、ふうーとため息をついた。

「九条様こんな処に一人でどうなさいました?」

声のほうを振り向いて、危うく仰け反る所だった。目の前に、顔のないのっぺらぼう…いや、顔がとてつもなくし小さいだけだが、とにかく、ひたいしか見えない。

亀吉かめきちどんか、いや、いい庭だと思ってなあ…」

「そうだろう、皆で、毎日手入れしているからのう」

「わしは、あの岩を毎日みがいているぞ」

得意そうに大男が泣き笑いの形相ぎょうそうで言った。おそらくこなきじじいといわれる妖怪だと九条様は想像する。

 何時も泣きそうな顔をして、泣きそうになると、目が一見いっけん一つに見える一つ目小僧風の男に蔵に入れるぞとおどされて泣き止んでいる。この二人はついなのか? 何時も一緒に現われる。

 しかし、人が落ち込んでいるのに、お構い無しに、ぞろぞろ集まってくる。物思いにふけることも出来ないのか…。やれやれ…。

「酒をもってきたぞ」

猫又ねこまたの玉どんが、おおきな酒の入ったつぼを抱えて得意そうに現われる。

「玉どん、気が利くのう、よし、此処は男同士気兼きがねなくのもう」

「ん? 玉どんは男なのか?」

「そうじゃ、玉男どんじゃ。ついでに言うと、奥さんは、玉子さんだそうだ」

「だが、坊やを失くしたと言っていたではないか」

「話せば長い話なんじゃが、まあ、飲みながら話そう」

と、玉どんは、杯に手酌で酒をついでぐいっとのみ九条様にも。酒を勧める。

 皆が、おのおの杯に酒をついで飲み始めると、何処からともなく酒のつまみが縁側えんがわに並べられ酒の入った壷も幾つも増えていた。おそらく富さんが、気を利かせてくれたのだろうが、何時の間におかれていたのかまったく気がつかなかった。富さんは、まったく神出鬼没しんしゅつきぼつで、魔法使まほうつかいのようだ。

 縁側での酒盛さかもりが始まっていた。玉どんは、しんみりと話し始めた。

「三条にあった、貴族の屋敷で、妻の玉子に初めて会ったんだ。

 それはきれいでりんとした黒猫だった。わしは一目で好きになってしまった。

 やっとのことで玉子に気に入られ、三匹の子供も授かり幸せに暮らしていたんだ。

 まだ名前はなかったが、飼い主が、子猫にそれぞれ鈴をつけてくれた。赤と、白と緑の紐でそれぞれ首につけてくれて、子供たちはそれは嬉しそうにじゃれあっていた。

 可愛かったな…。遊んでくれとしょっちゅうじゃれついてきて、わしが眠ると一緒にくっついて眠る。

 可愛くて子供たちのためなら何でもしてやれると思っていた。

 妻の玉子と子供たちは、わしの宝だったよ。だが、その屋敷が、火事に見舞われてしもうてな、とっさに、嫁さんは、二匹の子どもを抱え、わしに、残りの一匹を託していったんだ」

「あなた、絶対に子どもを守って、立派に育てて行ってね。もし、どこかで合えたら又一緒に暮らしましょうね」

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