第9話かっぱの夫婦

 昨夜の大広間で、朝餉(あさげ)を用意してあると聞いてきてみると、昨夜の酒で乱れた様子は、綺麗にかたずけられさっぱりとした部屋の中にぜんが並べられていた。


 座敷わらしの富さんは、本当に綺麗好きなのだろう。

 一体、何時の間に部屋をかたし、食事の用意までしたのだろうかすごすぎる。

 膳は二つだけだった。

 にゃまとは式神しきがみなので食事はしないが、いつもなら一緒にそばにいる。

 だが今日は、疲れたと言い、部屋の座布団の上に丸くなって寝ていた。

 なので、よすがは一人でここに来た。


 妖は、朝餉を食べないらしい。

 よすがは内心ホッとする。

 朝から彼らを間じかに見ながらは、食事が喉を通らないのではないかと、失礼ながら案じていたからだ。


 二つと言う事は、九条様とよすがの二人分と言う事だろう。

 先ほどは一番風呂で、失礼をしてしまったので、今度は九条様が来るのを待つ事にした。


 なんだか、二つ並んで食事なんて、夫婦みたいだなんて、チラッと、頭をよぎって、よすがは、慌てて首を振る。

 なんて恐れ多い事を、チラリとでも考えてしまったのかと慌てる。

 本来なら、自分などがこんなおそば近くで食事をいただくなんて、あってはならないことだ。

 次からは別の部屋でお願いしよう。

 うん、うん。もっと早くに気が付いて言っておけばよかったと、よすがは考える。


 でも、今日だけはせっかく用意してくれたのだから、貴重な時間を体験させてもらっても良いかな…。

 おそらく、あの九条様だから、よすがが側で食事をしても、気分を害されるような事はないだろうと、安易に考えてしまう。


 でも、もし、無礼者と、お怒りになられたらどうしよう…。

 ふつうは、主人と召使めしつかいは並んで食事をしたりはしない。

 自分は召使ではないけれど、一緒に食事ができるような身分でも無い。

 こんな処に、のんきに座っている場合ではないのではないか? 

 今日の朝餉はあきらめて下がる方がいいのではないだろうか? 


 よすがは、そこまで考えて慌てて席を立った。

 部屋を出ようとしたところで、九条様とはちあわせしてしまった。

「よすが殿、もう、朝餉を済まされたのですかな? 私は、これからなのですが、良かったらもう少しいてくださらぬか? 一人の食事は味気なくていけません」

「九条様、私のような者が、ご一緒してもよろしいのですか?」


 よすがは、恐る恐る言い、顔を見上げる。

 九条様は、当然というように不思議そうな顔をした。

「もちろんです。私は、大勢でする食事の方が好ましいのです。屋敷でも、家来どもと一緒に食事をします。妖は、朝餉はもちろん、食事は殆ど食べないらしい。これからは、よすが殿と二人で毎回食事をすることになりますな。今朝は、私が出遅れてしまったが、次からは遅れないようにしましょうぞ」

「ま、まあ、…そんなもったいないお言葉をいただけるなんて、思ってもいませんでした。私、膳が二つ並んでいるのを見て、失礼があってはと思って、下がろうと思っていたところなのです。では、今朝の朝餉は、あきらめなくても良いでしょうか」

「もちろんです。ささ、一緒に朝餉をいただきましょうぞ」


 広い座敷ざしき几帳きちょうで仕切って、落着いた席になっている。

 何処から何処までも行き届いた心遣いだ。

 ご飯は、ほかほかで、暖かいお吸い物に、香の物、焼き物まで、立派な膳の上、どれもおいしい! 

 本当に妖の屋敷とは思えないもてなし方だ。


 よすがが、感心しきっていると、九条様が、さっきよすがが慌てて打ち消した言葉をさらりと上機嫌で言う。

「よすが殿と二人、膳を並べてまるで夫婦のようですな」

 よすがは、まるで自分が思っていたことを見透かされたようで慌てる。

「え、…その様な事…。」

 いつもなら無難に交わすよすがだが、言葉に詰まってしまった。

「どうですか、これも何かの縁。私と夫婦になるというのは?」

 これには、さすがのよすがも、冗談だと思った。

「まあ、九条様、そのような戯言ざれごとは、朝餉あさげの席に相応しくありませんわ」

 よすがが、笑ってかわすと、意外にも九条様はしゅんとさみしそうなお顔をする。


 よすがは、思いもしない反応に、ドキリとして間違えたかもしれないと、ひやひやした。

「そうでしたな。では、この話は、場を改めましょう」

 以外にも、九条様の反応は、真剣そうなおももちで、よすがは困惑する。

 まさか、本気なんてことはないよね…。

 何時もの九条様らしくなく押し黙ってしまった。 

 もっと、違う言葉を返せばよかったと、後悔するも、上手い言葉が思い浮かばない。

今更取り繕うことも出来ず、二人気まずい空気の中もくもくと食事を済ませて、別々の部屋に下がった。


 九条様にしてみれば、一刻も早くよすがに自分の気持ちを分かってほしくて、少しあせってしまった。

 酒の席も渡り歩く白拍子のよすがは、殿御とのごの戯れを上手く交わす術を心得ている。

 それができなければ白拍子として生き残っていけない大事な手腕でもある。 

 よすがほどの白拍子ならその辺も一流なはずだ。

 今、自分もその手腕に上手くあしらわれてしまったのだ。


 本気の言葉だったのに…。

 九条様は、悲しくて落ち込む。

 いやいや、此処であきらめてしまうのはちと気が早い。

 此処はもう少し、よすが殿の様子を伺わねば。

 まだ時間はたっぷりある。あせってはいけない。


 九条様は、気を取り直して、よすがを河童がいるという池に誘ってみることにした。

「まあ、河童ですか? 耳にしたことはありますが、拝見はいけんしたことがありません」

 当たり前のことを言ってしまった。

 そんなにどこででも妖に遭遇そうぐうする機会があったら、大変なことになるだろう。

 もちろん、ここにいる妖全員に会うのが初めてだ。

 少し馬鹿なことを言ったかなと恥ずかしくなる。        

 九条様にあきれられてしまったかと、九条様の顔色をうかがうが、九条様は、あきれる様子もなくサラッと言う。

「私もですよ。一応ここにひと月いるわけだし、此処の住人には、挨拶くらいしておいたほうが良いかと思いましてな」

 良かった。九条様に馬鹿にされなくて…。


 話をしながら、裏手の木戸を開けて、裏の林の中の一本道を歩く。

 なかなかに風情ふぜいのある道だ、心地のいい風も吹いている。

「そうですね。…でも、出てきてくれるのかしら、それか、池に引き込まれたりしないでしょうか。河童は、水の中に引き込んで人を食べるという話を聞きましたけど…。」

 よすがは、やはり妖に対する恐怖心をぬぐえない。

 しかし、九条様は、まるで何も感じてないように言う。

「心配ないそうですぞ」

 ほんとに、肝の据わった方なのだな。と、よすがは頼もしく思う。


「富さんの話では、ここの河童は、気のいい夫婦者で、きゅうりしか食べないそうだ」

「まあ! 河童はやっぱりきゅうりが好きなんですか」

「今は、春ゆえ、きゅうりはまだないが、富さんが、去年の夏に漬けた古漬けを持たせてくれた」


「そうなんですね。富さんて、ほんとに心遣いから何から、行き届いていますね。人間ではとてもかなわない気がします」

 相変わらず富さんは完璧だとよすがは感心した。

「確かに、富さんは、実は十人ほどいて、別々に動いているのではないかと言う気がします」

「私も! そう思います」

 その通りだ! よすがが感じていたことを、やっぱり九条様も感じていたのかと、二人して顔を見合わせて笑った。


「おやー、人の声がするぞい。もしかして人間かな?」

 直ぐ側で声がして驚いて前を良く見ると、池の側の大岩の上に河童かっぱの姿が見えた。

 本当に頭にお皿を載せ、亀の甲羅こうらを背中に乗せた、聞いた通りの姿だった。

「アラ、きゅうりの匂いがするわ」

 岩のしたの池からぽちゃんと、音をさせて、別の河童が出てきた。

 こっちの河童は多分女なのだろう。髪の毛が長い。

 さすがによすがは緊張きんちょうする。

 それを感じ取ってか、ひとまず九条様は、よすがを後ろにかばいながら声を掛ける。


「そこにいるのは河童の夫婦か? 富さんに頼まれてきゅうりの古漬けを持って来た者だが、挨拶あいさつをしておく。我らは、訳あってひと月ほどあの屋敷に世話になる事になった」

「人間の同居人とは珍しいぞい。家に招待しちゃあどうだ? まだ味見したことはないけど人間というのはキュウリに似た味がするそうだぞい」

 河童はけらけらと笑う。よすがは、びくりとして九条様の着物をつかむ。

「良いね、キュウリをかじりながら、キュウリの味がする人間と酒を飲みましょうよ」

 その言葉によすがは、ギョッとしてますます、九条様の背中にしがみ付く。やっぱり食べられる!


 よすがのそんな仕草が九条様にとっては愛しさを募らせることになることを、よすがはしらない。

 九条様は、愛しさに胸が苦しくなるのを抑え、必死に平静を保っていた。

 九条様にとって、目の前の河童より、後ろのよすがのほうが、扱いに困るのだ。

「いや、我々は水の中では息が出来ないから、せっかくだが止めておく。まあ、そなたたちで楽しんでくれ」

 そういって、きゅうりの包みを差し出した。

「そうか、残念だぞい」

そういいながら、岩の上からスルスルと降りてくると嬉しそうに包みを受け取って、岩の陰から出てきた女の河童に手渡す。

「水の側で困ったことでもあったら、何時でも呼んでくれ。我らは、大抵の水なら繋がっているから答えることが出来るぞい」

「おお、その時は頼む」

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