第8話あやかしの屋敷

 困惑するよすがに九条様は、ご機嫌で酒を勧める。

「ささ、よすが殿も飲みなされ、なかなかに上手い酒ですぞ」

 その様子があまりにも無邪気なので、よすがも、考え込むのがばからしくなる。

 九条様がいるなら、何とかなるかもしれないなんて、妙な安心感のあるお人だ。進められるままに杯を重ねると、気が大きくなって、何でも来いという気に成ってきた。

 仕事がなくなるのではという不安も、又一からやり直せば良いじゃないかという気に成る。一度やったことは二度目はたやすくできる。そんな自信が芽生えた。

 それには、九条様という大きなお得意様を掴んでおかなければと密かに目論もくろむむ。

 お酒の勢いか、九条様が、やたらに近い。さっきから何度肩が触れたことか、そのたびによすがは体を引いて距離を取る。

 九条様の香りが鼻をくすぐり、心臓がバクバク言っている。

 よすがの頬が赤いのはお酒のせいと思ってもらえるはずだと、言い訳を考えながら、ちらりと、九条様を盗み見る。やっぱりなんてきれいなお顔立ちなのかしら。平気でいろという方が無理があると思ってしまう。

 何度目かに九条様を見つめた時に、ばったりと目があってしまった。あ、どうしようこっそり盗み見していたことがばれてしまったかしら…。

 九条様は悩んでいた。さっきから、よすが殿が自分のことを見ている。

 これはもしかしてうぬぼれてもいいのだろうか…?近寄ってみると、肩がチョンと触れただけで、ものすごい勢いで引かれる…そこまでしなくてもと、ショックを受け傷ついていた。それにも関わらず、又みられている。また、近寄ってみる、又引かれる。そんなことをさっきから繰り返していた。 

 おかしい…。よく考えてみると、よすが殿は昨夜から、一睡もせずに働いていた。早く休みたいのでは…。そうか、とんだ勘違いをしてしまった。これは早く休ませてやらねば。

 よすがが、困惑してボーッと見つめていると、九条様は、思いがけない言葉をかけてくれた。

「よすが殿疲れましたか? 無理もありませぬな、昨夜から一睡もしていないのですから。我々は、そろそろ引き上げて休ませてもらうことにしましょうぞ」

「…はい。そうですね」

 よすがは、内心胸を撫でおろした。さっきからチラ見していたのは、引き上げるタイミングを見計らっていたからだと思ってくれたようだ。良かった、ばれてなかった。

 よすがが、さっき案内してもらった部屋に行くと、すでに布団が用意してあり直ぐに眠れるようになっていた。

 くたくたにくたびれていたよすがには、とてもありがたかった。

 少し汗もかいたけど、寝てしまおうかと思うよすがだったが、何やら不吉な気配にひきつけられるように障子を見て、悲鳴を上げた。

 長ーい大蛇の様な首の先に、女性の頭らしき影が映っていたからだ。

 よすがの悲鳴に、耳が良いにゃまとがすぐに駆けつけてくる。障子を開けて入ってくるなりよすがに駆け寄ってきた。

「よすが、どうしたにゃんか?」

「あ、あれ・・・。」

 よすがが指さす先で、生首が部屋を覗き込んでにゃりと笑った。

「ひっ!」

よすがは引きつる。

 しかし、にゃまとは驚きもせずに声をかける。

「お菊さんにゃん。どうしたにゃんか」

 お菊さんは、にゃまとが開けた障子から、顔だけ入り込んで、よすがが、あまりに驚いたのが嬉しいらしくキャハハと大笑いをしている。

 少し遅れて九条様もやってきて、少し呆れたように言った。

「お菊さん、随分と調子がよさそうですな。首は治ったので?」

 お菊さんは、さらにご機嫌で、するすると首を伸ばして天井をふわふわと漂いながら、ぐるぐるととぐろを巻くように回って、上からよすがを見下ろしてキャハハと笑う。

 よすがは、にゃまとを抱えて震えながら怯えた目でお菊さんを見上げてた。

「菊さん、そのくらいにしておけ、よすがさんが怯えているぞ。それ以上やったら、よすがさんに嫌われるぞ」

富さんも来て、菊さんをたしなめてくれる。

「へへ、ごめーん」

 そう言うと、菊さんの首がするするとちじんで障子戸のそばまで来ていた体にスポット収まった。

「よすがさんを、お風呂へ案内しに来たのさ」

 どうやら、菊さんは、よすがにお風呂に入れるといいに来てくれただけのようだった。

 よすがは、ホッと息をついた。お菊さんに悪気はないようだ。心臓には悪いが、単に驚かされただけだ。よすがは、そう、自分に言い聞かせてひきつった笑顔をかろうじて作って見せた。

「あ、ありがとうございます」

 問題があったのはそれだけで、その後は何事もなく、その晩は疲れと睡眠不足で死んだように眠った。妖の屋敷だけど、布団はふっくら気持ちいいし、部屋も清潔で、きれいに掃除してあった。富さんが、お風呂まで用意してくれたので、すっかりくつろいでしまった。

 しかし、次の朝、にゃまとの叫び声にビックリして起こされた。

「よすが! 助けてにゃー!」

にゃまとが、猫の手で、器用に障子の戸をあけて駆け込んできたかと思うとよすがの布団にもぐりこんだ。

「にゃまと、どうしたの?」

「玉どんに捕まるにゃん、助けて」

「え、だって、玉どんは、もう、にゃまとが坊やじゃないって解ってくれたんじゃなかった?」

「でも、僕のことつかまえて放してくれないにゃん」

「…人間の姿に成っても?」

「あ、…わすれていたにゃん」

にゃまとは、男の子の姿に戻ると、昨夜のことを、話した。

 みんなで、玉ドンの事を慰めていた時に、玉ドンが、にゃまとをじいーと見るから、にゃまとはなんとなく危険を感じて逃げようとしたそうだ。

 しかし、捕まって、ほんのちょっとで良いから子猫になってくれと頼まれ、にゃまとも、可哀想だし、少しならと、子猫の姿になったら、抱きつかれて一晩中放してもらえなかったらしい。

「可愛がってくれるなら、可愛がってもらえば良いじゃない?」

「僕は赤ん坊じゃにゃいにゃ! ぺろぺろなめられるのは嫌いにゃん。それにそのままぱくっと! 食べられてしまいそうでこわいにゃん」

「…さすがに食べはしないと思うけど、でも、そっか、それなら、猫の姿にならないようにして、出来るだけ私の側に居れば良いわ。ね、」

「うん…そうするにゃん」

 玉どんはかわいそうだけど、やっぱり、にゃまとには、よすがのそばがいいのだ。 

にゃまとは膝を抱えてしょんぼり座り込む。その姿がなんだか可愛くて、頭をポンと撫でた。

 あら?手になんだかねばねばしたものが…。

「にゃまと、頭に何か付いているわよ…」

言いかけて気が付いた。なめられたといっていたから、おそらく猫またの唾液だ。

「…、よすがー!」

にゃまともそこに気が付いたのだろう、うるうると涙目になる。

「だ、大丈夫、洗ってあげるから、この屋敷には、ちゃんとお風呂場があるのよ。私夕べお風呂をいただいたの。きっとまだ温かいわ。座敷わらしの富さんはとても綺麗好きで、綺麗なお風呂だったわよ。だから、ね、にゃまと行くわよ」

 にゃまとは、半べそをかきながら、とぼとぼとよすがについていった。

 綺麗に洗ってあげて、やっとご機嫌の直った様子のにゃまとに、ホッと一息付いたところで、廊下に出ると、九条様に会った。

「おお、よすが殿、朝風呂ですかな?」

「いえ、にゃまとを洗ってあげました。だいぶ汚れてしまったので…」

「それは、良かったのう、にゃまと。おお、すっきりしている」

 九条様は、にゃまとの頭をなでて頷く。洗ったばかりのおかっぱ髪はさらさらしていた。

「はいにゃ!」

 にゃまとはご機嫌で答える。あら、二人は何時からこんなに仲良くなったのかしら。人見知りなにゃまとが、まったく警戒している様子がない。

「九条様も、お風呂ですか?」

「富さんが、朝風呂に入れると言ってくれたのでな、せっかくだから貰おうかと思って」

「まあ、それは、申しありません。先に使わせていただいて」

「何、かまわんよ」

「このひと月は、我々は家族なのだから、そんなに気を使わなくてもよいですぞ」

「はい。ありがとうございます」

九条様は、上機嫌で、風呂場に入っていった。

 なんとも、おおらかな方だ。普通は、一番風呂は、家長とか、偉い人順に入ったりするものだが、にゃまとに先を越されて気分を害したりしないなんて。

 その上、私達を家族といってくださるなんて、涙が出るほど嬉しかった。

 にゃまともうれしかったのか、よすがにしがみつきながらも、顔をふろ場の方に向けてじっと九条様が入っていった戸の方を見てる。

「にゃまとは、九条様と仲良しになったのね」

そういうと、くりくりっとした瞳でよすがを見上げて嬉しそうに言う。

「九条様は、よすがと仲良しになりたいにゃ、だから僕も仲良くするニャン」

「あら、ふふ…」

 にゃまとは、分かっているのかいないのかそんなことを言うから、よすがはにゃまとの頭を撫でてあげた。

 今回は、彼のおおらかさに何度も救われている気がする。九条様が一緒で本当に良かったと思う。彼が側にいるだけで不安が襲い掛からずに通り抜けていく感じだ。こんな大変な事態になっているというのに、よすがは深刻に考えこんだり、不安になったりが殆どない不思議だ。

 本当は、すごく大変な事態なのじゃないのかと思うが、九条様のあの様子を見るとまあ、何とかなるんじゃない? と思えてしまう。

 九条様は、あの後光で悪いモノを全てける事ができるんじゃないかしら…。なんて、本気で思ってしまう。

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