第5話悪霊退治にいざ参る

「よすが殿大丈夫ですか?」

 九条様の声にホッとするが、同時にこんな気持ちを気取られてはいけないと、わざと平気なふりをした。

「はい。私は大丈夫です。九条様は大丈夫ですか?」

「大丈夫です。行きますぞ下がっていてください」

 九条様は、よすがの安全を確かめると障子戸しょうじどを明け放して一歩部屋の中に足を踏み入れた途端、待ち構えていたかのように山のように大きな体にぼろぼろの着物を引きずった悪霊がぼさぼさの髪を振り乱し、顔全部が口であるかと思うような大きな口を開けて高笑いをする。その声はキリキリと金属をこすり合わせたような嫌な音がして耳をふさぎたくなった。

 次の瞬間、悪霊の鋭い鈎爪かぎづめがよすがの真横をよこぎる。長いかまの様な形をした腕だ。幸い九条様が刀ではじいた為横にそれたのだった。

 悪霊は、その鎌の様な腕を振りかざし、何度も引き裂こうと襲い掛かってくる。

 九条様が、刀でその鈎爪を打ち返すが、悪霊はひるむ様子が一向にない。

「九条様これを、」

 よすがが、九条様の刀に残り少なくなった聖水を振りかけた。その刀で鈎爪を受け止めると、ジュッと音をさせて煙が上がる。悪霊は、慌てて飛びのいた。

「悪霊はよほど聖水が苦手らしい」

「はい。ですが、あの巨大な悪霊に、少しばかりの聖水をふりまいても、倒す事は難しいかと思います」

「うむ。おそらくさっきの奴らのように、逃げるだけであろうな。弱点は何かないだろうか」 

 警戒けいかいして刀は避けるものの、狂った悪霊は際限さいげんなく鈎爪を振り回して引き裂こうとする。

 にゃまとも、けものの本能で、悪霊の喉元のどもとに噛みつくが、何しろ山のように大きな悪霊だ。簡単に振り払われてしまう。このまま防いでいるだけでは、体力的に持たなくなってしまう。

「効果があるか分りませぬがやってみましょう」

 何と、この期に及んで、何か策があるとはなんとも頼もしい限りだ。

 よすがは、すっとそこに立ちおうぎを振り下ろすと風が邪気じゃきをふき流すかのように流れる。

 りんとした横顔のたたずまいは、人には近づけない聖域せいいきを持っているように感じた。

 彼女は扇を開き、舞い始める。扇がひらひらとひらめくたびに光があふれているように見えた。魂鎮たましずめの祝詞のりとを静かに歌い始めた。

 黄泉よみの扉は開かれん

 永久とこしえの国へいざな

 安らかな眠りに

 救いを求めよ

 こんな修羅場で、舞を舞えるとは、何と豪胆ごうたん女子おなごであろうか。いやそれにしても、何よりも美しい。その優雅ゆうがな動きに見入ってしまう。そして、ますますあの時の白拍子に似ている。驚きながらも、九条はその姿に思わず我を失いそうになる。

「いや、いや、今は見とれてはだめだ!」

九条は、自分を戒めながら、悪霊に集中する。

 よすがの声は、静かに屋敷を震撼しんかんさせ、ひびく。心を揺さぶるような澄んだ歌声が、屋敷全体に響き渡り、悪霊は歌に反応するかのように動きが鈍る。

 その一瞬を九条様は見逃さなかった。九条様は法力を込めて刀を一刀両断に悪霊の頭から真っ直ぐに振り下ろした。邪悪な悪霊の姿が真っ二つに割れると、中心にあった本来の魂が抜け出てくる。

 よすがは、さらに声を上げて歌う。

まほろばに、いにしえいましめ解き放て

光の子となりてかけのぼり

とことわの安らぎの国へいざかん

 やがて、よすがの歌に送られてその魂は空に上っていった。おぞましい姿はサラサラと崩れて消えてしまった。それに習うように、側にいた沢山の悪霊どもの姿も崩れ、一緒についていった。

 この悪霊は、もしかしたら、かつてのこの屋敷の主だったのかもしれない。無数のあやかし共も、主に仕えるものだったのだろう。それで、よけいにお社様やしろさまも、悪霊に手が出せずにいたのかもしれない。

 共に昇天しょうてんしていった。これで、この界隈かいわいで、人々に害をなす事も、お社様を、邪神じゃしんに引き込む心配もなくなったのだ。白夜びゃくや沙夜梨さよりもきっと帰ってこられるだろう。

 同時に鼻を突いた悪臭あくしゅうよどんだ重い空気も、今は消えていた。よすがは、ほっと息をついた。良かった、すべてが終わったのだ。これで役目を果たせた。

「九条様、お怪我はありませんか?」

「うむ。大丈夫だ。そなたもだいじないか?」

「はい。何も問題ありません」

それにしても九条様は、とても頼もしい武将ぶしょうだ。都での評判は嘘ではない。あんなおぞましい悪霊に、一向にひるむこともなく立ち向かい、一刀両断いっとうりょうだんにあの恐ろしい悪霊を切り捨ててしまったのだ。その姿は凛々りりしく勇ましい。よすがは尊敬のまなざしで九条様を見つめた。

 九条様は、よすがにじっと見つめられてどうしていいのかわからず思考が固まる。こんな時はどうしたらいいのだ? 心の中でぐるぐるしていた。と、とりあえず、何か言わなければ場が持たない。

「よすが殿、疲れたであろう帰って休まれるがいいですぞ」

 ぎこちなくありきたりな言葉しか出てこなかった。もっと気の利いた言葉はないものかと悔しくなりながらも、頭に血が上って何も思い浮かばなかった。

 よすがは、無事役目を果たせてほっとした。これで帰れる。にゃまとに帰ろうと言おうとしてそばにいないことに気が付く。

 よすがは辺りを見回してにゃまとを探す。いつでも、よすがの側をはなれたことのないにゃまとの姿が見当たらない。

「よすが殿どうなさった?」

「はい、…にゃまとの姿が見当たらないのです。何時も側を離れた事など無いのですが」

よすがの呼び出しの呪文にも姿を現さない。よすがは、あせった。

「そなたの式神か?」

「はい…。呼びかけに答えないなんて、まさか、にゃまとも、一緒に昇天してしまっていたら、どうしよう、もう、戻ってこないのかもしれない… 」

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