第6話あやかしの屋敷

 よすがは、心細そうにつぶやく。彼女にとっては、その式神は、よほど大切な存在なのであろう。頼りなさそうにうつむく姿が気の毒に思え、今にも泣きだしてしまうのではないかとはらはらした。何とかしてやらねばといたたまれない気持ちになった。

「式神が、昇天しょうてんなどということは聞いたことがない。何か理由があるはず。どこぞで、怪我などしていなければよいが。むやみに一人で歩き回っては危険だ。一緒に探してみましょう」

 以外にも式神の心配をしてくれる九条様に、嬉しくなる。九条様に元気づけられ、にゃまとを探すことにした。わたってきたおやしろの方へ戻ってみることにする。

 それにしても、夜もほどろだろうかだいぶ時がたったようだ。心なしか当たりがしらんできたような気がする。夜明けが近いのだろう。

 お社の裏手に回ってみると、大きな岩戸のようなものがある。

「これは何かしら?」

「何やら悪い者を封じて在るような風情ふぜいですな」

「悪い者ですか? あの悪霊達のようなものでしょうか?」

「うむ。分らぬが、あまり関わらぬ方が良さそうだ」

「そうですね。そっとしておきましょう」

二人が通り過ぎようとした時、中からにゃまとの声が聞こえてきた。

「よすが! たすけてにゃ!」

必死に叫ぶにゃまとの声にビックリしてよすがは立ち止まる。

「今、にゃまとの声が…」

「この中にいるのか?」

九条様も気づいて立ち止まる。

「にゃまと、此処にいるの? …」

 岩戸に歩み寄って手を掛けた瞬間、

「きゃあ!」

まるで吸い込まれるように岩戸の中に引き込まれる。

「よすが殿!」

岩戸の中に引き込まれようとするよすがを助けようとよすがの手を掴んだ九条様もろとも、二人して、岩戸の中に引き込まれてしまった。

 そこは、暗い洞穴どうくつのような場所だった。九条様は、戻ろうと岩戸を押したり引いたりして見たが、びくともしなかった。

「ダメだ、びくともしない。我々は、此処に閉じ込められてしまったらしい」

あっけらかんとして、九条様が言う。その様子にあせりも、焦燥感しょうそうかんも無くて、よすがは、ことの重大さにぴんとこなかった。呆然とするよすがに、九条様は、ちょっとそこまで言ってみようくらいの軽い口調で言う。

「とりあえず、戻れないなら、先に行ってみようではないか? 式神もいるやもしれんしな」

「…はい…」

 よすがは、何が起こっているのか把握はあくしきれず頷く。

「よすが殿、暗いうえ、歩きにくそうだ。私に捕まりなさい」

九条様は、そういって、よすがの手を取ってくれた。

 さりげなくこんな優しさを見せてくれるのはさすが、女性の扱いに慣れている。

 白拍子は、皆身軽な者と思われているせいか、こんないたわりはされたことがない。

 よすがも、足腰は強いほうだが、暗闇で石につまずかないわけではない。暗い上に石ころがごろごろ転がった道ともいえない道で、危うくつまずいて転びそうになる。

「あ!」

「おっと!」

 九条様はよすがの手をぐっと引いて、もう片方の手で抱き留めてくれた。その瞬間、鼻をかすめる九条様の香りにドキリとする。すごく近い! よすがは、さっと体を引いて離れるが、心臓がバクバク言っている。

「すみません」

 よすがは、精いっぱい平静を装ってお礼を言った。

「いや、気を付けなされ足などくじいてはおりませぬかな」

九条様は、いたって冷静でよすがだけが戸惑っているようで居心地が悪かった。

「はい。おかげさまで大事ありませんでした」

「おお、良かった」

 一人で歩いていたらあちこち怪我をしていたかもしれない。九条様の大きなお手が本当にありがたかったが、それとは別に心臓を奪われそうで早く離れたい思いで、いっぱいだった。

 九条様はさすがとしか言いようがない。よすがをしっかり支えながら、石ころだらけの暗い道もびくともせず、ふらつきもしない。武将と言うのは、こんなにも頼もしい存在なのかと、よすがはすっかり尊敬してしまう。

 筒闇つつやみなのをいいことに、じっと見つめる。暗くて見えない九条様の美しい面を思い浮かべた。殿方をこんなに頼もしく思うのは初めてだった。

 九条様も、さっきから落ち着かない。お堂で目が覚めてから、何故か暗闇で物が見える。

 あきらかに、よすがにじっと見られている。何故見られているのか訳も分からない。

 いたたまれず、ぼそりとつぶやくように言う。

「実は、ずっと気になっていたことがあるのですが、お聞きしてもよろしいですかな」

「はい。なんでしょう」

初春はつはるの最初の満月のよいに、桜の境内けいだいで、あなたをお見かけしたように思うのですが。間違いないでしょうか」

九条様は、ずっと気になっていたことをついに口にした。 

「桜の境内といいますと、初春の月夜の祭りでしょうか、上賀茂かみかもの神社での奉納舞ほうのうまいに舞わせていただきました」

「おお、そうです。やはりあの時の舞姫まいひめは、あなたでしたか」

「はい。ご覧になっていらしたのですか。」

「見ていましたとも。それからというもの、私の脳裏のうりからよすが殿が離れなくなってしまいました」

「まあ、それは光栄でございます」

 やっぱりそうか! あの時の舞姫が、今ここに目の前にいて話をしている。なんとしたことか! 嬉しすぎてふわふわと、足が地面から離れてしまいそうだった。こんな事なら、悪霊退治も、式神探しもいくらでも来いだ。ずっと、このまま、よすがの手を取って歩いていたい。何処にもたどり着かなければ良いと願った。

 だが進んでいくうちに、洞窟の出口らしき場所についていた。立派な門構えは、どこかで見たことがあるような気がするが、かなり大きな屋敷が見えた。

「九条様、あんな所に…」

「うむ、道中そなたの式神にもあわなんだし、もしや、あの屋敷に囚われているやもしれんな」

「はい、行ってみましょう」

「よすが殿、気を付けられよ、式神を捕らえるようなやからは、何かたくらんでいるかもしれませんぞ」

「はい。では…、裏側うらがわに回って、こっそりのぞいてみてはいかがでしょう」

「おお、それがいい。そうしましょう」

 屋敷をぐるっと、迂回うかいしてみると、低い石の塀に囲まれた立派な庭が見えた。

 樹齢何百年もしていそうな立派な松の木の大木が枝を広げた下に灯篭とうろうがあり、右手に高さが人の背丈ほどもある山の様な、ピカピカに磨かれた大きな真っ黒な岩がどんと鎮座ちんざしている。その色と言い、つやといい、もしかしてめのうだろうか? もしそうなら、その価値は計り知れないほどの高価なものだ。 

 そのすぐそばに、おそらく枝垂桜しだれざくらだろう。既に花の季節は終わっているので、葉が茂っているが、さぞ綺麗に咲き誇るのだろうと思われる見事な枝ぶりだ。こんなに立派なお屋敷が、こんなところにあったかしら? よすがは首をかしげる。

 その先に縁側えんがわらしき場所がある。そこに、大きな猫と思える動物が、子守唄を歌って、子どもでも寝かしつけているようだった。

 ん? 猫が子守唄? 少し変だなと思うが、違和感いわかんはそれだけじゃなかった。二本足で立って、人間のように子どもを腕に抱えている。よく見ると、その抱えられている子どもは必死に腕から逃れようともがいているようだった。しかも、その子ども、よく見るとにゃまとだった。

「にゃあー、はなすにゃ! 僕は坊やじゃないにゃー!」

「にゃまと!」

よすがは、思わず木戸きどを押し開けて飛び出していた。

「よすが!」

 よすがに気が付いたにゃまとが必死に暴れるが、親猫は、しっかり抱きかかえて離そうとしない。

「お前は、何者だ、わしの坊やをさらいに来たのか」

「その子はあなたの坊やではありません。にゃまとと言う私の式神です。どうかおかえしください」

「嘘だ、この子はわしの坊やだ。渡さぬ」

 よすがは、こまってどうしようか思案に暮れると、よすがの後から庭に入ってきた九条様がい言う。

「にゃまとが、式神なら、人の姿に成れるのではなかったか?それでハッキリするであろう」

「そうでした。にゃまとは、人間の男の子の姿になれます」

「にゃまと《しんかいへん》」

よすがの言葉に、にゃまとは男の子の姿にかわる。

 猫又の親は、ビックリして、腰を抜かし、にゃまとを解放する。

 にゃまとは、よすがに駆けより、飛びつく。

「よすがー、助かったにゃ!」

「にゃまと、大丈夫? 何処も怪我はない?」

「うん、大丈夫にゃ」

「よかった! 心配したのよ」

「ごめんにゃ、無理やり抱きかかえられて逃げられなかったにゃ」

にゃまとは、子供の姿だが、動作はまるで猫だ。よすがにしがみつき顔をすりすりする。

「坊や、坊やは何処?」

「坊やー!」

 大きな声で親猫が泣き叫びだした。これには閉口へいこうする。耳が割れるかと思うような声で、思わず耳をふさいだ。

「おや、猫又の玉どん、又泣いているのかえ?」

 そういいながら、ゾロゾロと、あやしげな者達が集まってきた。その姿によすがはギョッとする。人間じゃない! いや、親猫も人間じゃないが、普通の猫でもない! 違和感はあたっていたようだった。皆異形いぎょうの者達だったのだ。

 彼らは、よすがと、九条に気が付いてこちらに集まってくる。ど、どうしよう! 悪霊とは違い簡単にはいかないと思う。逃げた方がいいのでは…。

「よすが殿、私の後ろにかくれなされ」

 さすがの九条様も、警戒けいかいした様子だった。

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