第3話悪霊退治にいざ参る

 よすがが、ちょうど、投げ上げた扇をすっと受け止めたろころだった。その扇がさらにまた翻りながら舞い上がる。

扉をこじ開けた瞬間、目の中に映ったのは、可憐に舞う白拍子の姿だった。あの春の奉納の舞が頭の中いっぱいに広がった。あの時と同じ光景が目の前に…。決して忘れる事のできなかった舞姫の姿がそこにあったのだ。はらはらと舞う桜の花びらのようにはかなくも美しいその姿に身動きする事もできなかった。


 よすがは、扉がこじ開けられてしまった事を感じながらも、舞い続ける。

 お堂の隅で猫の姿になったにゃまとが毛を逆立てて九条様を威嚇いかくしている。本当に頼もしい相棒だわと思う。ありがとう。にゃまと。その気迫は十分よすがを元気づけてくれる、頼もしい援護えんごだった。

 どうか、お社様が助かりますように。都中の沢山の白拍子の中から私を選んで、助けを求めてくれた。

 都一の白拍子であること。それがよすがのほこり。命尽きて踊れなくなるまでは踊り続ける覚悟だった。これは、白拍子の意地だ。

 お社様が、よすがの舞で力を取り戻すことが出来なければ、このまま悪霊に呑み込まれて邪神じゃしんに落ちてしまうかもしれない。そして、悪霊に取り付かれてしまった九条様も護る事ができない。もちろんよすが自信も、悪霊と成り果てて暗闇をさまよう事になるのか…。

白拍子の意地なんていってないで、此処は、一刻も早く逃げるべきではないか?

 そんなふうに思わないわけでもないが、それでも、よすがは、舞を止められない。手足は、よすがの一番望む事を知っている。

 おかしい…。扉を破って入ってきた九条様に直ぐに取り押さえられるだろうと思っていたのに、何も起こらない。よすがは、チラリと九条様を盗み見た。

 九条様は、ただ其処に呆然と立ち尽くして動かない。一体何が…。

 ふと気づくと、お社様と思われるお姿が、其処に現われていた。白く長い髪がサラサラとなびき、白装束に身を包んだかの人は、よすがに歩み寄りお声を掛けられた。

「白拍子よすがよ、そなたのおかげで、よみがえることが出来た。感謝する。この聖水を其処の九条様に振り掛けてあげなさい。悪霊を追い出すことが出来よう」

 そう言って、よすがに聖水の入った壷を手渡すと、そのお姿は、すうっと消えてしまった。おそらくまだ元通りとは行かないのだろう。それに、人に姿をさらしていい存在のお方ではないのに、禁を犯して、聖水を授けてくださったのだ。よすがは、感謝の言葉をこころから、紡いだ。

「ありがとうございます」


 九条は、桜の中で舞っていた美しい白拍子の姿を思い出していた。袖を翻してひらひら舞うその姿があまりにも美しくて、もう一度会いたい思いは心の底に何時も潜んでいた。

あまりにも会いたいと思う心が見せた幻だろうか。その白拍子が、今目の前に…?


 よすがは聖水を持って、呆然と立ちすくむ九条様に恐る恐る近づき、聖水を降りかけると、光りの雫のようにきらめき九条様に降り注いだ。

 突然振りかけられた、まぶしい光の洪水に意識が引き戻される。体から自分を支配していた強い力が抜けていくのを感じる。九条は、ガクリと膝を付いてその場に倒れた。

「九条様!」

 よすがは慌てて抱き留めたが、ゆすってみても何も反応がなかった。

 にゃまとがとことこと、側に来て覗き込む。

「よすが、その人は死んだにゃんか」

「まさか、それはないと思うけど・・・」

 九条様はぴくりとも動かない。にゃまとに死んだのかと聞かれて焦る。息を確かめてみると、息はしている。それはそうだ、お社様の聖水が人を殺すはずがない。ほっと胸をなでおろす。

 どうしたものか思案するが、九条様のお手のけがに気が付く、ああ、これもまずいわ。悩みながらも、小袖を割いて怪我けがに巻き付け手当はしておく。

 幸い血は止まっていたが、大切なお手に、怪我をさせてしまった。にゃまとはよすがを助けようとして、必死にやったことだ。よすがにしてみれば、ほめてあげたいところだが、相手が悪い。

 しかし、それは置いといて、とりあえず今は動かない九条様をどうしたらいいか考えなければならない。

 悪霊に取りつかれるというのは、だいぶ精神も、体力もすり減らすことなのだろう。九条様はなかなか目覚めない。どうしよう、このままここで夜を明かすようなことになったら、いくらお社様のお堂の中だといっても、安全とは言えない。

「よすが、ずっとここにいるにゃんか」

 にゃまとが不安そうによすがの膝に猫の小さな手を載せて見上げる。そのつぶらな黒い瞳がよすがを元気づける。なんだか、しっかりしなければと思ってしまうのだ。

「にゃまと、お堂の戸締りをしっかり確認しよう。今夜は夜通し踊りあかすことになりそうよ」

「わかったにゃ」

 にゃまとは男の子の姿になって、とことことお堂の中を走り回り戸締りを確認しに行く。

 とりあえず、よすがにできることは舞うことだけ。小夜さよすがら踊りあかすしかないだろうか・・・。

 よすがはにゃまとと二人で、お堂の戸締りをしっかり確認して、舞を舞う。一差ひとさし舞っては、九条様の様子をうかがい、舞い続けた。そんなことを何度か繰り返すうちに夜はだいぶ更けていった。


「九条様! 」

 強く呼び掛けられたその声に聞き覚えがある気がする…。そうだ、あの時の歌声…。九条が目を開けると、心配そうに覗き込む女人だろうか、柔らかい膝に良いにおいがする。

 誰だろう? 

 此処は何処だ? 

 自分は何故膝にだきかかえられているんだ? 九条は起き上がって辺りを見回す。

 つつやみだ。新月の夜は月の明かりも差し込まなかった。真っ暗闇だが、見えないのに見えるような気がする。暗いのに暗くない。自分はけものにでもなって夜目が聞くようになったのだろうか? いぶかしく思いながら周りを見回す。見覚えのない場所だと思う。

「此処は何処ですか? 私は何故ここに? 」

「九条様、あなたは悪霊に取り付かれていたのです。ここは、お社様のお堂の中です」

「…この屋敷についてからの記憶がない…。」

 よすがは、今までのいきさつを九条様に全てお話した。

 よすがは、両手を付いて、九条様に平謝りする。

「申し訳ありません。このにゃまとが、あなた様の、お手に怪我を負わせてしまいました。にゃまとの代わりに、私に罰を、おあたえくださいませ」

「ごめんなさいにゃ」

にゃまともよすがの隣に小さな膝をそろえて座り、不安そうに縮こまっている。

 九条様は、今気が付いたように、布が巻れたお手を眺めた。

 猫が、手に嚙みついたらしいが、子供のように見えるし、言葉を使っている? 何のことかよくわからないが、細かいことは大したことではない。よすが殿が震えながら許しを乞うていることはわかった。

 よすがは、震えながら、床に頭を擦り付ける。にゃまとも、怯えて、よすがにしがみついて震えている。    

 もし、お怒りになられて、よすがの腕を切り落とすといわれたなら、腕を差し出さなければならない。腕をなくしては、白拍子としての生業なりわいは果たせなくなるだろう。今まで築き上げてきたもの、全てを失うことになる。

 しかし、九条様は、優しくよすがの手を取る。

「何を申すか、謝らねばならぬは、私のほうだ。操られていたとはいえ、最初に危害を加えたのは私の方ではないか。主人を護ろうとしたは、けものの身なれど見上げた者だ。おもてをあげなさい」

「お許しいただけるのですか」

よすがは、腕を差し出さなくても良さそうだろうかと不安そうに九条様を見上げた。

「許すもなにも、悪霊などに取り付かれるとは、なんとも不甲斐無ふがいない。あなたにも、大変世話になった。このお礼は改めてさせてくれ」

 よすがは、ホッとして体の力が抜ける気がした。  

「よかったにゃあ・・・」

 にゃまとは安心して足を投げ出してよすがに寄り掛かる。よかった、九条様は、なかなか寛大かんだいなお方のようだ。これで白拍子を続けられる。よすがにとって、白拍子の仕事は、生業以上に生きる全てだから。

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