第3話 登山者
道なりに登って行けば山頂に着く。迷う事は無い。ただ、アップダウンの勾配があり正直キツい。
そんな山道を、一般的な山登りの服装をしている男が一人、昔の仲間の事を思い出しながら山を登って行く。
研究員・IT企業・公務員・警察・学者・脱サラして起業・・・
男は【 】。
(不満は無いのだが、仲間達の現状と比べると、自分に何か取柄が無いのかと焦ってしまっているんだろうな。
自分と向き合うのも山登りの理由の一つだ)
趣味・特技・今まで生きてきて周りより少しでも知識や熱意の持てるもの。
何かないかなぁと、自問自答している。
景色を楽しみながらも男は
(このままで良いのか?皆と再会した時、昔みたいに肩を並べて笑い合えるだろうか?仲間達は気にしないだろう、いらない心配なのも分かっている。だが、そんな状況を自分自身が認めないだろうな。後々、卑屈になっていくのが見える(笑)
こんなモヤモヤした気持ちを晴らすのも山登りの理由の一つだ)
考え事をしながら。でも足取りはしっかりと、ゆっくりでも進んでいる。
雲の中だろうか、気付くと男の周囲が白い。数メートル先の木がシルエットとして認識できるレベルの靄。
今の男の気持ちの中の世界みたいだ。
足元ははっきり見えるから、斜面沿いを歩いて行く。
雲の切れ間から景色が見え隠れしているが中々晴れないまま、段々と薄暗くなってきた。
時間としても夜になったのか。世界が白から黒へと変わる。
ヘッドライトの明かりと熊除けの鈴の音だけが男の居場所を教えている。
しばらく暗闇を進んで行くと、遠くに明かりが見えた。
下山者のライトかと思っていたら建物の明かりの様だ。もう山頂への一泊する山小屋へ着いたのか?時間にしては早すぎる。
男は足元にライトを当てながら確実に近づいて行く。
何度かこの山は登っている。毎回このルートだ。しかし、こんな山小屋に見覚えは無かった。
真っ暗な山中で灯りを放っている山小屋の外には看板が立ててあった【食事処】と。
レストランの様で、営業もしているみたいだった。男は(ここで休ませてもらえればいつもの山小屋を通り越して山頂に行けそうだ)
念の為、ノックをしてドアを開く。
店内は広めの無柱空間。壁際に椅子とテーブル、中央に段差を付けて畳が広がっている。その真ん中には囲炉裏があり炭に火が点いている。ジャズが小さめの音で流れている。他に客はいない。囲炉裏から鼻を刺す様な灰の香りが広がっている。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな所でおくつろぎ下さい」
私はドアの前に立っている男を案内した。
男は、中央の畳に腰かけた。
「お決まりになりましたらお呼び下さい」
メニューを渡して、私は厨房に入って行った。
しばらくして、「すみませーん」と呼ばれたので私は男の所へ向かった。
「このレストランっていつ開店したんですか?」
メニューに目を通して注文すると共に男が訪ねてきた。
「建物自体はずっとありますよ。ただ営業している事が少ないですかね、大体今の時期位にちょっとだけって感じです」温かいお茶を男の傍らに置きながら私は笑みを浮かべて答えた。
「じゃぁ本当にたまたまだったんですね。運が良かった(笑)」
(だからか)男も笑顔で記憶に無い店がある事に納得した。
山菜の天ぷら蕎麦とニジマスを注文を受けた私は「ニジマスは塩・醤油・味噌がございますが」と聞くと
「味噌でお願いします」男はメニューを私に戻してきた。
「少々お待ち下さい」私はメニューを受け取り、厨房に戻った。時折、囲炉裏で焼いているニジマスの焼き加減を確認しに行く。
男は窓の外を見ている。外はまだ雲が晴れていないのか暗闇だった。
――――――――――――――――――――――――――
「お前らは大学卒業したら就職はどこ行くんだっけ?」
「俺は北海道で酪農」
「オレは考古学の研究だから場合によって全国色々」
「就職組の予定に合わせてもらって遊んでたけど、いよいよ会う機会が少なくなるなぁ」
「卒業旅行じゃないけどどこか行くかい?」
『いいねぇ』
・
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あれから10年か。
自分は何か変わったのだろうか。男はお茶を啜りながら物思いに耽っている。
「お待たせ致しました」
私は受けた注文の、山菜の天ぷら蕎麦と囲炉裏で焼いたニジマスの味噌焼きを男の横に運んだ。
男は音を立てて蕎麦を啜った。天ぷらを食べ、ニジマスはそのまま串を持って口に運んだ。
男が食べ終わった食器をお盆に乗せて厨房に持ってきた。
「ごちそうさまでした」
私は「わざわざありがとうございます」お盆を受け取ると。
「すみませんが少し休ませてもらってもよろしいですか?」男が訪ねてきたので
「大丈夫ですよ。おくつろぎ下さい」私は快諾した。
靴を脱いで囲炉裏の前に座って男がスマホで時間をチェックしているのを目にしたので。
「頂上まで3時間位ですかね」
私は男の元へ話し掛けながらデザートを運んで行った。
「サービスのデザートです。よろしければここで仮眠を取られてはどうですか?」
「良いんですか?」聞き返した声に喜びの感情が乗っていたので、構わないと伝えると、
「ではお言葉に甘えて、少し寝かせてもらいます。あっこれ、ありがとうございます」
男はデザートを受け取りながら礼を言った。
日の出の時間から計算して出発時間をスマホのアラームにセットした男はデザートを食べようと皿を手に取った。
上から見ると黒い・・・濃い紫?何味だろう?
食べようとスプーンを入れようとしたら三層になっている事に気付いた。
皿を目線の高さまで持ち上げると、上が濃い紫・下が白・真ん中が透明で細かい粒々が囲炉裏の灯りに反射してキラキラと輝いている。
綺麗だった。
男はスマホで写真を撮ってから三層のゼリーを食べた。
BuBuBuBu……
店に迷惑なのでマナーモードにしていたスマホのアラーム。
震えて畳の上を小刻みに滑っているのを、ぼやけた視界にしばらくの間、入れていた。
男はスマホを手に取り、起き上がるとアラームを解除してウェアに仕舞った。
囲炉裏の火はまだパチパチ鳴っている。
男は身支度を素早く済ませて、私にお礼を言ってから出て行こうとしたので
「お気を付けて、あなたの登山を楽しんで下さい」男の背中にエールを贈った。
仮眠を取って正解だった。
身体が軽い。時間も十分あるから急がずに登れる。
心地よい疲れが出始めた頃、知っている山小屋が見えてきた。普段ならこの山小屋で休憩する所だがトイレだけでそのまま通り過ぎる。
もうすぐ頂上だという所で周りが晴れている事に気付いた。が、このまま頂上まで登り切ってから景色を見ようと男は振り返らずに自分の足元と進行方向を交互に見て進んでいる。
標高の標識のある所まで辿り着いた。
日の出まで小一時間と言った所だろうか、向こうの山筋がうっすらと見えてきたがまだ夜と言っていい時間。
目の前に広がる景色に男は息を飲んだ。
頭で分かっていても実感しないと府に落ちない時が多々ある。
皆と同じじゃなくていいんだよな。
同じ景色を見なくてもいいんだ。
こんな景色は、俺しか見れないだろう。
それで良いんだよな。
これからの自分に希望を見出した男の目に映っている景色は。
後方から頭上・眼前にかけて濃い紫色が大半を占める空色へのグラデーションのある星空・俯瞰すると白い雲海が穏やかに広がっている。それらを力強く照らすように、遠くの山筋から朝日が昇り始めていた。
男はその情景の中、こう思った。
まるでさっきのゼリーの中の世界みたいだ
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