第2話 志願者

昼でも人通りの少ない道、ましてや夜だ。

照明灯もない一本道を、男が懐中電灯を片手にとぼとぼと歩いている。

頭上に月が出てくれていれば男の影を表してくれる程に明るいのだろうが、雨予報のある空は灰色が一面を覆っている。


暑くも寒くもない季節だが夜な分肌寒い。

しかし男は、出掛けに来たには軽装過ぎる。まるで近所のコンビニに夜食でも買いに来たような身なりで。

うつろな目をした男がとぼとぼと歩いている道は、さらに夜闇が深まっていく。


どれくらい歩いた?


男自身も分かっていないが疲れが出ているのだろう、息が上がっている。

それでも歩いて行く男に


「もしもし」私は声を掛けた。


男は急に話し掛けられた事で驚いた顔をしている。


さっきまで民家の一軒もない、懐中電灯の明かり以外に何も無かったはずなのに、そこにはレストランが建っていた。

声を掛けた私の後ろから温かな光が男を照らしている


「そろそろ雨が降りそうですよ。お急ぎでなければ休んでいかれては」私は空模様を見てから男に視線を降ろした。

「いやっ俺は」男が断ろうとした途端、ぽつぽつと雨が降り始め、直ぐに勢いを増していった。


「どうぞ。雨宿りしていって下さい」私は雨に濡れて、着ている服が斑模様から全身びしょ濡れになっていく男をレストランに招き入れた。


男は恐る恐る中に入ると、そこはログハウスのような木造、シーリングファンがゆっくり回って、奥には薪ストーブ。ジャズが小さめの音で流れている。他に客はいない。


私は男を薪ストーブ近くの席に案内して、「これをどうぞ」びしょ濡れの男にタオルを渡した後、「時期ではないですがストーブを点けましょうか」しゃがんでストーブに薪をくべた。


マッチを擦って薪ストーブの中に放ってから吸気口を全開にして、みるみる火が大きくなっていった。十分燃えだした所で吸気口を半開に、燃え方が落ち着いたのを確認した私は、「少々お待ちください」と、男に軽く一礼してカウンターの方に行った。






徐々に店内が熱を持ち始めた頃、ストーブの上に置いてある やかん からは蒸気と煩わしくない音が出ていた。さっきまで虚空を見つめていた男はタオルを羽織りながら薪ストーブの火を見つめている。


(俺は何をしようとしてたんだっけ?


・・・・・そうだ、自殺しようとして家を出たんだ。


なんで自殺を?


・・・そうだ、ちょっとした事で仕事が無くなったんだった。貯金も無くなり、他にアテもなくて、それで


・・・それで?


それだけか?もっと他にあったはずなんだけどなんだっけ?




あっこの曲。昔よく聞いてたなぁ)


懐かしい曲のジャズversionを聞きながら物思いに耽っていると、「こちらをどうぞ。身体が温まりますよ」

マグカップに入ったコーンスープがテーブルに置かれた。


「!?」頼んでいない。そもそも「持ち合わせが無いのですが」男は申し訳なさそうに言った。

「大丈夫ですよ、気になさらずに」私は厨房に去って行った。


男はためらいながらもスープを一口飲んだ。


口から喉・胃へと空きっ腹にスープが流れていくのが分かる。もう一口飲むと、冷えた身体が内側から温まっていくのを感じる。


ハァ


息を一つ漏らして、肩の力が抜けた。

背もたれに寄り掛かり(何が【優しく】だ、他人の事を気遣っても他人は自分の事ばかりじゃねぇか!!)


男は空腹では無くなったからなのか、今までの事を思い出して怒りが湧いてきたがすぐに落ち着きを取り戻した。



―――――――――――――――――――――


・・・心にあるダムに溜めている水を他人にあげることが優しさ?とか言う話があったような。

優しくされたから嬉しくて同じ事を相手にお返しでも、別の誰かにでもしてあげたいと思えるんだ。


心のダムの水は無限でもなければ、減った分がすぐに湧いてくるものでもなくて、誰かから貰わないと満たされないんだなって。


―――――――――――――――――――――


たしかこんな話だったか。


心に余裕が無くなった時に初めてダムの話の意味が分かった気がした・・・


(みんな余裕が無いんだなぁ、俺もどこかで見返りを求めていたんだろう。勝手に卑屈になってもしょうがないし何か変わるわけでもないもんな。何でこんな事で自殺まで追い込まれてるんだ、馬鹿らしい)




「よろしければこちらもどうぞ」

「!? 本当にお金持ってきていないので、良くされても困ります」

男は手を顔の前でブンブン振って戸惑っていた。


「呼び止めたのは私ですから、お代は要りませんよ」私は男の前にカップに入ったプリンを出した。




戸惑いながらも男がスプーンでプリンをすくって口に入れた。

・・・味わいながら次々と口に運んでいく。


底のカラメルソースと一緒に食べた時、『!?』口の中で弾けた。

(子供の頃に食べたお菓子にこういうパチパチするやつがあったなぁ・・・


そういえば子供の頃は何になりたかったんだっけ?


いつからか只々、働かないといけないと思うようになってたなぁ・・・


たしか発明家とパイロットだったかな(笑)

車のマフラーに付けて排気ガスを綺麗な空気にする装置とかw)


プリンを食べながら懐かしい気持ちが溢れてきた。


自分に余裕がなきゃ何もできないだろ。日雇いでも稼いで今からでも出来そうな事を探してみるか。


決心の付いた男の目に光が灯った。


外の変わり様に意識を向けると雨が止んでいた。




勢いをつけて帰ろうと席を立とうとした男に私は「コーヒーはいかがですか?」


中腰の姿勢になっていた男はもう断る素振りも見せず「頂きます」と座り直して、味わって飲み干してから席を立ち直し「ごちそうさまでした。今度必ずお支払いに参ります」


私は大丈夫だと言ったのだが、男もそこは譲らなかった。


レストランを出た男は来た道を戻って行った。




空は晴れわたり、帰る男の足取りはとても軽やかに見えた。私はそんな男の背中を見送った。


虫の大合唱の中、月の光が男の影を色濃く映し出していた。

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