藤本タ◯キになりたかった

森林梢

第1話

「ひょっとすると、私は藤本タ◯キじゃないのかもしれない」

リビングにて。

ソファに腰掛け、アイスを食べながら。

人生最大レベルの衝撃に打ち震える私を、妹の可奈子が薄目で睨む。

「逆に、今まで自分のこと、藤本タ◯キだと思ってたの?」 

「うん。自分のこと、超絶怒涛の天才漫画家だと思ってた」

「ヤバすぎ」

すげなく言って、冷蔵庫へ向かう可奈子。

紺色の短パンから伸びる剥き出しの脚。

黒のノースリーブから覗く二の腕。

形の良い丸いお尻。

いずれも程よく肉が付いていて、歩くたび微かに揺れる。

これを堪能できることこそ、姉の特権だ。

眼福眼福がんぷくがんぷく

この状態になると、もはや何も手につかない。

可奈子と、いちゃあまラブラブドロドロセクースをする妄想で、脳内が埋め尽くされてしまった。

最高だね。

ネームを書くのは諦めて、可奈子の観察に集中。

わずかに毛先がカールした、黒の長髪。風呂上がりだからほんのり濡れており、そこから蒸れたシャンプーの匂いがする。

ピーチローズの香りだ。くんかくんか。

サファイアを彷彿とさせる瑠璃色の瞳。

手足は細くしなやか。

肌はなめらか。

ボディクリームを塗ったのか、全身がしっとりとした光を放っている。

総括。

マジ半端ねぇ色香。マジ半端ねぇ妖艶さ。

食べてしまいたい。

エロい意味で。

要するに、可奈子は美少女である。

めっちゃ可愛い。

死ぬほど可愛い。

加奈子に比べれば、橋◯環奈なんて、ヘドロゴミカスクソムシである。

橋◯環奈で思い出した。

以前、一度だけ、可奈子にヌードモデルをしてもらったことがある。

渋る彼女を、私はハーゲンダッツ(棒アイスタイプ。【キャラメルピーナッツなんちゃらかんちゃら】みたいな名前のやつ)で説得した。

ついでに、裸のまま、アイスを食べてもらった。

じっくり、時間をかけて、アイスと私の脳みそが溶けるまで。

裸でアイスを食べる可奈子。

これ以上に、エロくて可愛くて美しい存在が他にいるか? 

否。

断じて否。

絶対に否。

否否否否否否否否否。

否い否い否い否い否い否い否い否い否い否い否い。

余談だが、私はあの時のデッサンで、これまでに1000回くらい一人エ○チしている。

閑話休題。



引き続きリビングで、水を飲む妹を視姦なう。

――それはさておき。

藤本タ◯キになりたい。

そう願う瞬間が、年に200回くらいある。

藤本タ◯キ。

皆さんご存知の天才漫画家。

鬼才という表現が、日本で最も似合うクリエイター。

勿論、私も加奈子も、藤本タ◯キの漫画が大好きだ。

チェン◯ーマンも、ファ◯アパンチも、短編集も揃えている。

ルックバック? さよなら絵里? 

知らないね。あるいは忘れた。

多分、私には刺さらなかったんだろうよ。

それでも、トータルで、私は藤本タ◯キの漫画が大好きだ。

彼の漫画を初めて読んだ日のことを、今でも鮮明に覚えている。

【面白すぎる! こいつぁ天才だぜ!】

【でも絶対に売れないだろうな!】

本気でそう思った。

どうにか生き残ってほしいと願ってはいたが、まさかここまで売れるとは。やり過ぎじゃ。

あの尖ったセンスを残したまま、どころか遺憾なく発揮して、日本屈指の人気漫画家となっちまった。

カッコよすぎる。

憧れる。 

あんな風になりたい。

そして私は漫画家を志した。

一応、大学一年生のときに、ちょっとした賞を貰って、現在は担当さんが付いている状態。

通っている大学の文化系サークルへ行くと、チヤホヤしてもらえる程度の人間。

当然、藤本タ◯キには全く及ばない。

大学生活も、残り一年。 

出来れば、あと一年で、藤本タ◯キになってしまいたい。

漫画を描いてるフリーター状態は嫌だ。

社会的地位が欲しい。

金も欲しい。

すべてが欲しい。

……藤本タ◯キになれば、全てが手に入る。

逆説的に、藤本タ◯キになれなければ、全てが手に入らない。

藤本タ◯キになれなきゃ終わりだ。

藤本タ◯キになれない人生なんて、何の意味もない。

クソだよ。

無駄無駄。

藤本タ◯キになりたい。

なれないならさっさと死にたい。

柄にもなくネガティブ思考に陥っていると、可奈子が呆けた声で言う。

「おねーちゃん、お風呂、入ってきなよ」

「……うい」

端的に応答してスタンダップ。浴室へ向かう。

溢れんばかりの情欲は、欠片も感じさせない。

嫌われたくないから。

可奈子の前では、完璧な姉でいたいから。

……あぁ。

死ぬ前に、可奈子とセクースしてぇなぁ。

ドロッドロに甘やかして、グッチョグチョに蕩けさせて、唇フヤフヤになるまでキスしてぇ。

浴室には、まだ可奈子の痕跡が残っている。

浴槽には7割ほど湯が張られた状態。

バスボムの類が入っているようで、乳白色に色づいている。

……この色に【乳白色】って名付けた奴、絶対スケベだよな。

乳白色のせいで、スケベなことしか考えられなくなった私は、室内の水蒸気を全力で吸い込む。気分は除湿機。

今、私の身体の約2%は、可奈子から分泌された微粒子的な何かで構成されている。

そう思うと、興奮します。すごく。

一しきり可奈子を摂取して満足した私は、可奈子の煮汁もとい乳白色の湯舟に身を浸す。気持ちええ。

――私は。

可奈子が好きだ。

恋愛的な意味で好きだ。

性的な意味でも大好きだ。

世界で一番大好きだ。

マ◯マさんより好きだ。

◯ゼより好きだ。

パ◯ーちゃんより好きだ。

コ◯ニより好きだ。

クァンシより……とか挙げ始めるときりがないので割愛するが、どんなものよりも、可奈子が好きなのだ。

妹が、好きなのだ。

……余談だが。

藤本タ◯キには、妹がいるらしい。 

でもって、藤本タツキの作品(特に初期の短編)には、妹が頻出する。

……なのに。


藤本タ◯キは、妹のことが、そんなに好きではないらしい! 


妹とキスしたいとは、思わないらしい!

妹の全身をくまなく舐め回したいとは、思わないらしい!

妹が出てくる短編、あんなにいっぱい書いてるのに!

裏切られたよ!

あんなのばっかり書いてたら、私と一緒の人間だって思うだろ! 酷いよ! あんまりだよ! 

ちくしょうめ!

ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!

藤本タ◯キの描く妹が大好きだぁぁぁぁ!

きゃわいすぎるぅぅぅぅぅ!

ナユタぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

絶頂。しばし待たれよ。



藤本タ◯キの妹は、【ながやまこはる】という名前だそうだ。

いい名前だ。名前だけで可愛さが伝わってくる。

結婚したい。

ながやまこはるさん、私と結婚してください。

お返事、待ってます。

無論、可奈子とも結婚したい。

故に、万が一の場合は、複数人と結婚できる国へ引っ越すつもりだ。

……それが難しいことだとは、流石に理解している。

だが。

藤本タ◯キになれば、姉であろうと、好きになってくれるはず。

だって藤本タ◯キだぜ?

天才だぜ?

きっと惚れてくれる。

姉妹だからとか、女の子同士だからとか、そういうのを超えるパワーが【藤本タ◯キ】という名前にはあるはずだ。

だよね? ながやまこはるちゃん?

見ず知らずの御仁ごじんに心中で問う。と同時。

突然、爆音を伴って、眼前に眩い発光体が出現した。

光の玉は、グニョグニョと伸び縮みを繰り返し、少しずつ人の形へ近づいていく。

そして、信じがたいことに、驚くべきことに、人とった。

まだ微かに輝きを放つ人(?)は、厳かに言う。


「――私は、漫画の神様だ」

治虫おさむぅ!?」


手塚大明神てづかだいみょうじん、風呂場に降臨。

イメージしていた見た目と全然違う。

ていうか性別が違う。

漫画の神様は、女の子だった。

銀髪碧眼へきがん。骨ばった肢体したい。お肌つやつや。唇ぷるぷる。 

結論。めちゃんこきゃわいい。

舐めたい。どこを? もちろん全身だ。

次の瞬間、ドッタンバッタンドドドッタンと、足音が近づいてきて、浴室の扉が荒々しく開かれた。


「おねーちゃん!? すごい音したけど!? 大丈夫!?」


私の身を案じた可奈子が、神前へ駆けつけてくれたのだ。

彼女は治虫を見て驚く。


「誰こいつ!?」

「私は漫画の神様だ」

「ヤバい奴だった!」


可奈子の酷評を無視して、手○治虫が私に言った。


「望み通り、貴様を藤本タ◯キにしてやる」  

「え! マジで!? やったぁ!」 

「待て待て待て! そんな訳わからん奴の提案に、簡単に乗っかるな!」

「いやいや、手○治虫だよ? 知ってるだろ?」

「たぶん違うって!」


可奈子は怯えた様子で私を説得しようとする。

だがすまん。止まれない。

だって藤本タ◯キだから。

治虫は変わらないトーンで続ける。


「その代わり、最も大切なものを、捧げてもらう」

「大切なもの? いーよいーよあげるあげる! じゃんじゃんどんどん持ってちゃって!」

「具体的には、貴様の人生から、妹の存在を消す」

「……ど、どういう意味?」


多分、質問の仕方を間違えた。もっと理路整然と、論理を整理して、問いかけるべきだった。

ただ、それでも治虫は答えてくれた。


「藤本タ◯キになったら、貴様は二度と、妹に会うことが出来ない。死ぬまで他人として生きていくのだ」

「あー……、そういう感じね……………………」


そっか。

藤本タ◯キになったら、もう可奈子に会えないのか。

……え? 

どういう意味? え? ……っとぉっ、え?

やべぇ。何か、こんがらがってる頭。

っあれ? 

私、何で藤本タ◯キになりたいんだっけ?

可奈子がいない世界で、藤本タ◯キになったとて、意味なくね?

藤本タ◯キになる意味なくね?


混乱混濁困惑錯綜こんらんこんわくこんだくさくそうの最中にある私の首が、強く掴まれる。

可奈子の右手が掴む。

撃ち殺したかもの首を持つみたいに。

万力まんりきみたいに締め付けてくる。

なのに苦しくはない。不思議と。

目前の可奈子は泣いている。

鼻水ダラダラ流して泣いている。

不細工で可愛かった。

ブサカワじゃない。

死ぬほど不細工で、死ぬほど可愛いのだ。

案外、この二つは両立するみたいだね。

いや、世間一般には常識なのかもしれねぇけどよ。

可奈子がグチャグチャの顔で聞いてくる。


「……藤本タ◯キになれるなら、あたしなんか要らねぇのかよ?」

「えぁ? ……い、いや、そ、んなことないよ?」

「何だよっその言い方っっ! ちゃんと言えよ!」


人殺す時の剣幕。てか殺されるのかも。

ちょっと喉奥まっできだ。


「……ぅえ、えぉ、えっとぅっ」

「あたしと藤本タ◯キ、どっちが大事なんだよ! 言えよ!」

「えぇぅぁっ、ぅ、そりゃぁ、そのぉ……っ、」

「ちゃんと言わないと、あたしのパンツ盗んだこと、お父さんとお母さんにバラすよ!」


何で知ってんだよぉぉぉぉ!

うぎゃぁぁぁぁっ!

死にてぇぇぇぇっ!

パパパンツのことは、パンツはダメ! パンツはヤバい。引かれる。家追い出される。パンツダメ絶対。いやパンツは好き。パンツは好きだけどダメ。何がダメ? パンツ盗んじゃダメ。パンツ盗ンだ奴はダメ? 人生終了? キ◯グオブコ◯ディ? パンツは人生? ノーパンツライフイズビューティフルライフイズハッピーライフハッピーホームタ◯ホーム?

……。


「っか、か、か可奈子の方がぁっ、一億倍っ、大事だよぉぉぉぉぉぅっっ!」


何でこの流れで、21年間ずっと抑え込んできた言葉を口にできたのか、我ながら謎だった。

生後11か月の時から我慢してきた言葉を、何で言えたのか謎すぎた。

2年前、可奈子から告白された時さえ、うそぶいたのに。

何で今だよ。

何で治虫の見てるタイミングだよ。

今が、人生で一番、死にたかった。


「最初からそう言え! バカ!」


可奈子は私の首から手を離し、湯舟に叩きつけた。私は湯舟の煮汁を400ミリリットルくらい飲んだ。界面活性剤の遠い親戚みたいな味がした。

湯舟から顔を出した私に、能面のまま、手○治虫が確認する。


「貴様は、藤本タ◯キになる機会を永久に失うのだぞ? それでもいいんだな?」

「ぜ、ぜぜぜぜぜ全然いいよ! っ、幸せだからぁ、オッケーですっ!」


言い終わる前に(具体的には4文字目の【ぜ】くらいで)、漫画の神様は消えた。

跡形もなく。音もなく。最後まで名も名乗らず。

荒れた喉を軽く鳴らして、私はほんのり赤い顔の可奈子に聞く。

「……とりあえず、一回ベロチューしていい?」

「死ね」

赤面したまま、可奈子は吐き捨てた。

このあとめちゃくちゃベロチューした。

流れでセクースしようとしたら殴られた。



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