第8話 蒼未家

 麗奈は家に帰ると、優吾からの報告を祖母にどう伝えるか考えていた。

「凛子先生から母親の潤子さんに、帰国したら自宅のマンションに滞在して欲しい旨、連絡入れてもらうから特に報告する問題はなかった…で大丈夫ね」

 頭の中で考えをまとめると、あいつはよくもまぁ見事に解決してくれたものだと感心した。

 麗奈も凛子先生のマンションの状況の詳細は、聞いていない。その方が良いとの優吾の判断を、いつもだったら受け入れられないはずだったが、優吾に真剣な顔で言われて、素直に受け入れた自分が不思議だった。

 祖母に報告に行くために、麗奈は自分の部屋のドアを開けた。


 麗奈の家は、出藍グループを経営する蒼未そうみの本家である。

 そのため学院施設内に唯一存在する住居であり、蒼未家の迎賓館を兼ねている。

 その敷地面積は広大であり、他の学院施設に見劣りしない建物の規模を誇っている。

 駅の西側にあるサステナブルタウンと同じ様に耐震性を備えたRC造りの建物であるが、外壁は豊かな陰影を表す深彫が施されていて、パッと見これがコンクリートなのかと思ってしまう。

 内部は見上げる程の天井高、断熱性と耐久性を兼ね備えながらの大開口により極上の解放感を演出している。

 出藍グループ総理事長を務める祖母の那智を筆頭に、蒼未家の家族は一部の例外を除き、この家に住んでいる。


 ドアを開けた麗奈の形のいい耳に、一部の例外である伯父の蒼未龍樹そうみたつきの声が聞こえて来た。

「おい、孝博たかひろ。なんで学院の新しい研究施設の建設に、ウチの会社が入っていないんだ」

「競争入札だから、仕方ないだろ。兄さんとこの見積りは、他社と比べても断トツに高過ぎるんだよ」

 孝博と呼ばれたのは、蒼未孝博そうみたかひろ。龍樹の弟で、2人は麗奈の母樹里の兄である。麗奈にとっては、龍樹伯父さんと孝博伯父さんになる。

 兄弟ではあるが、性格は正反対で弟の孝博は学院の事務局長を務めている。

 兄の龍樹は蒼未の家に縛られるのは御免だと、家から飛び出し、不動産事業と建設事業、そして警備事業の会社を経営している。

 サステナブルタウンは、ほぼ龍樹の経営する会社の独占事業である。出藍学院駅西側の開発を一手に手掛けた龍樹の会社は、かなりの利益を上げている。

 蒼未の家に縛られるのは御免だと言いながら、出藍グループの関連事業ばかり受注しているのは、どうなのかしらと麗奈は常々思っている。

「あら、龍樹伯父様。いらっしゃってたの」

「おう、麗奈か。しばらく見ないうちに随分色っぽくなったじゃないか」

 この人は実家をキャバクラか何かと勘違いしてるのかしら?もちろんわたくしは、キャバクラなんかには行った事ないですけどね。と内心では激オコな麗奈である。


「めったに顔を出さない伯父様が、今日はいったい何のご用件で要らしたのでしょう。おばあさまへのご用でしたら、ちょうどこれから伺うところなので、お取り次ぎ致しましょうか?」

「え、婆さんいるのか?」

「婆さんと言う方はいらっしゃいませんが、出藍グループ総理事長の那智おばあさまならご在宅ですわ。それに龍樹伯父様にとってはおばあさまではなく、おかあさまではないのでしょうか?」

 少しは蒼未家の一員としての言葉をたしなめと、麗奈はやり込めた。

「い…いや、今日は弟に用事があっただけなんで、これで失礼するよ」

 しどろもどろになりつつ、龍樹はあわてて玄関から出て行った。

 しょうがない伯父さんだと思いつつ、もうひとりの伯父に麗奈は視線を向ける。

「麗奈さん、申し訳ない。学院で門前払いをしていたら、家にまで来てしまった」

 孝博がすまないと頭を下げている。

 腰の低い孝博だが、1度だけ兄の龍樹に食って掛かったのを麗奈は知っている。

 それは孝博の妻の弘美に対する、龍樹の思いやりの欠片もない言動だった。


 もともと旧姓、佐野弘美さのひろみは兄の龍樹と見合いをセッティングされていたのである。

 龍樹の女性関連に対するトラブルに業を煮やした母親の那智が、知り合いに頼んで紹介してもらったのが弘美であった。

 蒼未家は代々、女系に傑物が生まれる家系である。その反動なのか、男系には少々問題のある人物が生まれる傾向がある。実際、何代か前に男性が家督を継いだ時には、家が潰れかけた事もあったらしい。蒼未家の都市伝説とまで言われている。


 結婚すれば、龍樹の女性トラブルも鳴りをひそめるだろうと考えた那智であったが、その考えは根底からひっくり返される事になる。

 そう、龍樹は母親の言いなりにはならないとばかりにお見合いをすっぽかしたのである。

 これにはさすがの那智も慌てた。

 恩のある知り合いに無理言って、紹介してもらったお嬢さんである。それが当日キャンセルなどという失態をおかしては、いくら名門の蒼未家でもかなりな痛手である。

 そんな状況に陥っていたお見合いの場に、颯爽と現れたのが弟の孝博である。


「いや~遅れてすみません。ごねる兄を説き伏せていたら時間がかかってしまいました」

「孝博!このお見合いはあなたではなくて、兄の龍樹のためなんですよ」

 内心、予想外の助っ人にほっとしながらも、たしなめた那智であった。

「それは重々承知しているんですが、自分の気持ちには逆らえなくて、無理やり兄にお願いして代わってもらっちゃいました」

「自分の気持ちと言いますのは?」

 両隣で口をあんぐりとさせている両親とは違って、弘美が落ち着いた口調で孝博に問いただす。

「あなたを妻に迎えたい、という気持ちです」

 何の躊躇いもなく孝博が言い放った。

 兄の龍樹が母親に反発して、お見合いをボイコットするであろう事は長い付き合いの兄弟として、弟の孝博には容易に察知することが出来た。

 兄の事を母は少しも理解出来ていないと孝博は思っている。親の欲目かも知れないとも。

 問題はそうなることを予想出来たとして、どう対処すべきかである。出藍グループ総理事長の母に恥をかかせる訳には行かない。

 だが、単純に兄の代わりに弟が行ったところで事が収まるとは思えなかった。

 なので、孝博はお見合いの相手である弘美について、徹底的に調べあげた。

 自分が結婚するにふさわしい相手かどうか調査して行くうちに、兄の代わりがどうとかは関係なくなってしまい、孝博自身が弘美に対して興味を抱くようになってしまっていた。

 それほどまでの魅力が弘美に備わっていたのであろう。孝博はこれもミイラ取りがミイラになったと言うのかなと、自らの心境の変化に戸惑っていた。

 もし、最初から自分へのお見合い相手としてだったら、ここまで真剣に調べなかったかも知れないなと孝博は思った。

 それほどまでに、決意を固めた孝博が放った言葉が先程の弘美を妻に迎えたい、だったのである。


「孝博さんの気持ちはわかりました。ですが、突然お見合い相手が代わった私の気持ちもわかって下さい」

「それは、もちろんです。お見合いそのものを、拒否されても仕方がないと思っています」

 これは面白い展開になったわね、と弘美は思っていた。実は兄の龍樹とであれば、絶対に断ろうと決めていた弘美である。

 孝博がしたように、弘美も当然事前の調査をおこなっていた。兄の龍樹においては問題がありすぎて、いくら名門の蒼未家といっても、これはないんじゃないと早々に決断していた。

 龍樹に関してあまりに時間が掛からなかったため、弘美は興味本意で弟の孝博も調べてみたのである。

 弟も問題ありなら、蒼未家の男系は噂通りにダメンズしかいないと結論付けられると弘美は思ったのであった。

 ところが予想外に、弟の孝博には心惹かれるところが多かったのである。本当に兄弟なのかしらと思ってしまったくらいである。

 孝博にはこちらからアプローチを仕掛けるのもありね、と弘美は兄の龍樹とのお見合い前に考えていたのだった。

 その孝博が、ダメンズの兄の代わりにお見合いの席に来てくれて、自分を妻に迎えたいとまで言ってくれたのだ。

 弘美は天にも昇る気持ちであった。

「プロポーズまでしてもらって、拒否するなんて出来ません。ちょっと気持ちを切り替える時間が欲しかっただけです。それじゃあ、お見合いを始めましょうか」

 これが蒼未孝博と佐野弘美夫婦のなれそめである。

 後日、孝博と弘美の婚約発表の席で龍樹が、

「すまなかったな、弟を押し付けてしまって。まあ、そちらの家柄だったら蒼未家の次男でも、もったいないくらいだがな」

と、弘美に対して言い放ったのである。

 それを聞いた孝博は兄の胸ぐらをつかむと、

「兄さん、僕は今とても兄さんに感謝しているんだ。下らない暴言で台無しにしないでくれ」

「私も龍樹さんにとても感謝しています。これからよろしくお願いしますね、お義兄様」

 挑発して婚約発表の席の雰囲気をぶち壊そうとしていた龍樹であったが、2人から感謝されてしまい当てが外れてしまった。


 あの時の龍樹伯父さんの顔は見ものだったわね、と麗奈は思い出しながら、

「気にしないで下さい。孝博伯父様、伯父様と弘美さんの婚約発表の席での事を少し思い出しましたわ」

「え?勘弁してくれよ」

「いえいえ、あの時のお二人はとても凛々しかったですからね。一生忘れません」

「まいったな」

 孝博が照れ臭そうに頭をかいている。

「それではわたくし、おばあさまと話があるのでこれで失礼致しますね」

 麗奈は孝博に会釈すると、その場を離れた。



 


 

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