第11話 飛後家

 優吾が家に入り、リビングを見ると母親の飛後華ひごはながフローリングの床に突っ伏していた。


「おや、こんなところに美女の死体がある。争った形跡はないから、顔見知りの犯行か?はたまた自然死か?年齢は30代前後、死斑が出ていないところを見るとなくなってから30分も経っていない」

 優吾は冷静に状況を観察すると、首の付け根に指を当てる。

「ん、脈もある。母さん、また死体の真似事?あんまりってると狼少年になっちゃうよ」

「あ~ん、狼少年になりたい。野っぱら走り回ったら気持ち良さそう」

「母さん、狼少年は狼じゃなくって少年なんだけど」

「少年でもいいや、すっぽんぽんで野っぱら走り回ったら…」

「すぐ、補導されるね」

「あん、もう!ネタに困ってるママを、少しは哀れに思わないの?」

「慣れた」

「でも、美女で30歳台前後は良かったわね」

「以前にオバサンの死体が…でやらかして、学習したからね」

 優吾が手を差し出すと、華はその手を掴んで起き上がるとそのまま優吾をハグした。

「優吾、お帰り~」

「ただいま、母さん」


 人気ミステリー作家、黒橡猫くろつるばみねこでもある華が、家にいるのは珍しい。取材旅行や出版キャンペーンなどであちこちに引っ張りだこだからだ。

 その反動か、家にいるときはやたらと優吾や妹のあやにスキンシップを取りたがる。

 優吾とハグをしていた華だが、玄関が開いて彩が小学校から帰ってきたのを見つけると、すっ飛んで行って彩をハグしている。

 彩のお陰でお役ごめんとなった優吾は、長いスロープを歩いて、2階の自分の部屋に向かう。

「そうそう、パパも今日は早く帰って来るはずだから、皆で一緒に夕食を食べましょう」

 華が優吾とハグ中の彩に言った。

「わかった、じゃあその前にホシの散歩に行って来るよ」

「よろしくね~」

 彩と楽しそうに話しながら華が返事を返す。


 ホシとは、最近飼い始めたグレートピレニーズの仔犬だ。白いもっふもふな感じがとても可愛いらしい、大型の犬種なので成犬になれば50~60㎏にはなるだろう。

 今は仔犬なので、散歩も長い時間は出来ないが、大きくなったら1時間から1時間半は散歩出来るだろう。散歩好きな優吾の楽しみの1つだ。

 ホシの首輪にリードを取り付けると、散歩に行けるのが嬉しいのだろう、ホシの白い尻尾がブンブンと激しく左右に振られている。

 優吾は自分の左側にホシを並ばせて歩く。時々、立ち止まるとホシも止まって優吾を見上げている。優吾は、ホシの喉元をわしゃわしゃとするとおやつを与えた。

 そんな事を繰り返しながら家の近くにある公園を目指す。この住宅地には様々な大きさの公園が配置されている。

 その1つであるこの公園にはドッグランの出来る芝生エリアがある。ホシの大好きな場所で、優吾もホシと一緒に走るのがとても気に入っている。

 時間を忘れてホシと遊んでいると、街灯のLED ライトが灯る時間になったようだ。電柱がないために広く感じる空が、夕暮れに染まっている。

 散歩を充分に堪能した優吾はホシと家路につく。


 家に着くと、父親の飛後大吾ひごだいごがすでに帰宅していた。

 大吾は、出藍グループの管理する地区を含む地域を管轄する警察署の刑事課に勤務する刑事である。階級は警部補である。

 管轄している地域のかなりの部分を出藍グループが占めているため、治安に関して言えば、かなり高い水準が保たれている。

 なので、刑事といってもわりと早い時間に大吾は帰って来る事が出来るのだ。ましてや多忙な愛する妻が家にいるとなったら、何をおいても帰宅する大吾であった。

 更に、それに拍車をかける存在が最近増えたのである。

 優吾がホシの脚を玄関で拭いてあげると、ホシが大吾めがけて走って行く。

「お!ホシちゃ~ん。お散歩でしたか~。会いたかったですよ~」

 そう、ホシである。大吾が知り合いから譲り受けたのであるが、その愛くるしさに家族全員がやられてしまった。特にやられたのが父親の大吾だったのである。

「父さん、お帰りなさい。今日も街は平和だったようだね」

「おうよ!とは言っても、この地区を警護してるセキュリティガードのおかげなんだがな」

 ホシとじゃれあいながら、優吾の問いに大吾が答える。

 大吾がこの地域の警察署に配属になったのは、ミステリー作家黒橡猫に依るところが大きい。

 黒橡猫のミステリーは、あまり警察組織の内部事情には踏み込まず、探偵に刑事が協力して事件を解決するパターンが多い。

 そのため、警察上層部にも隠れファンが存在しているらしい。

 あと1番の理由が、セレブ御用達のこの住宅地に住んでいる事が大きい。

 出藍グループは、警察にとっても忖度すべき存在であり、学院という教育組織の扱いにも慎重を期さなければならない。

 だが、ここは公務員の給料で住める様な場所ではないし、子供を学院に通わせるのもかなりハードルが高い話である。

 だが、この困難な課題をクリアしていたのが大吾なのである。いわば、出藍グループの管理地域に何か起きた場合に対処するため、大吾は配置されていると言っても過言ではない。

 管理地域には、セキュリティガードが常時配備されていて、パトロールカーによる巡回やセキュリティドローンによる上空からの監視も徹底されている。周りの地域も都心部からは少し距離があるので、事件らしい事件はここ最近ほとんどない。

 刑事である大吾が忙しくなく、定時に退署出来ていることが、この地区の平和が保たれているあかしであろう。


 華と結婚する前は、ワーカホリック気味な大吾だったが、子供が2人できると、このゆとりのある状況も悪くないと考えられるようになった。

 今では、すっかり家庭第一の刑事となっていた。

 大吾と華が知り合うきっかけは、ミステリー作家である華の取材である。

 現役刑事の体験談が聞きたいと出版社に華が駄々をこね、その頃警視庁の第一線で活躍していた大吾にそのお鉢が回って来たのであった。

 昔から、面倒毎に巻き込まれやすい体質の大吾であったが、その時はいつもの比ではなかった。

 適当にあしらってお帰りいただこうと考えていた大吾だったが、華の取材に対する執念にすっかり感化されてしまったのである。

 何しろ華の知識欲は半端なく、刑事が普段どんな食事を好むのかに始まり、取調室での雰囲気から、聞き込みの際のコツ、どんな書類を書くのかなど多岐に渡り質問を浴びせかけて来たのである。

 華の真摯な態度に感銘して、いつしか大吾は許される範囲で、刑事としての自分の体験と考え方を華に率直に語っていた。

 2人にとって予想外に濃密な時間を体験する事になった取材であったが、終わる頃にはかけがえのないパートナーに出逢えた喜びを感じ合うようになっていた。

 そこから付き合いが始まり結婚に至るまで、さほど時を要することはなかったのである。


 ゴハンをもらい満腹になったホシは、まだ仔犬なので散歩の疲れもあり、大吾のひざの上でうつらうつらし始めていた。

 ホシをペットベッドに寝かせると、大吾は家族の待つ食卓に座った。

 食卓の上には、家政婦の西田さんが用意しておいてくれた夕食が並んでいる。

 華も料理はするが、創作における気分転換の意味合いが強いので、普段の食事や家事は家政婦さんにお願いしてしまっている。

「華は、そろそろ新作に取りかかるのかい?」

 食卓についた大吾が、皿に盛られた料理を取り分けながら聞いた。

「そうなんだけど、まだ取っ掛かりがつかめないでいるの。また、しばらく取材で留守にするかも知れないからよろしくね」

「まかせといてよ」

 優吾が答えるとすかさず妹の彩が、

「家事は家政婦の西田さんが全部やってくれてるじゃない。お兄ちゃんに一体何をまかせるの?」

「ん~ホシの朝夕の散歩?」

「それはお父さんの日課でしょ」

「あらあら、彩ちゃん。今日はお兄ちゃんに随分厳しいのね」

「だってお兄ちゃん、この前生徒会長の麗奈お姉様とお話した事を自慢気に言っていたのよ」

「いや、別に自慢した訳じゃないし」

「キーッ!その態度が気に食わないのよ。お兄ちゃんごときが、軽々しく口を聞いていい方ではないんだからね」

 どっちかって言うと口を聞いて来るのは麗奈の方で、俺は利用されてるだけなんだがな、と優吾はぼやいた。

「あらまあ、彩ちゃんの麗奈ちゃん推しは相変わらずなのね~」

「お母さん、麗奈お姉様はそこら辺に転がってるアイドルなんかとは別次元な存在なんだから、推しとか言わないでよね」

「あ、ママ、彩ちゃんの地雷を誘爆させた気がして来たわ」

「誘爆誤爆の優吾の母親だから仕方ないんじゃないか?遺伝だろ」

 大吾が、フォローしてるんだかしてないんだか微妙な考えを述べた。

「そうか、誘爆誤爆は遺伝だったのか。俺のせいだけじゃないなら少し気が楽になるな」

「優吾なに言ってんだよ、優吾のがママに遺伝したに決まってるだろ」

「え、遺伝って逆流すんの?」

「お兄ちゃん、それって遺伝じゃなくて伝染じゃない?」

「ついに病原菌扱いかよ!」

「お兄ちゃん、絶対麗奈お姉様に近づかないでよ。誘爆誤爆菌をうつしたら、ただじゃ済まさないんだから!」

「彩、マジで怖いんだけど…お前も来年、中学生だろ。もう少し冷静になろうよ」

「へへん!そうよ来年になったら、麗奈お姉様と同じ中等部に通えるんだから」

「彩さん、ドヤッてるとこ申し訳ないんだけど、来年は俺も麗奈も高等部だぞ」

「オーマイガー!!」

 彩が頭を抱え込んだ。

「マジで気がついてなかったのか、お前ホントに天才数学少女なの?麗奈が絡むと、ほんとポンコツだよな~」

「そうよ、私は数学に関しては天才なのよ!飛び級して大学に行けばって、追い越してどーすんのよ」

「俺に言うな、ポンコツシスターよ」

「ライトノベルによく出て来る、デカパイ修道女みたいに言うな!大学まで飛ばずに高校で止めれば、麗奈お姉様と同級生になれるんじゃね。エヘヘ」

「妄想中悪いんだけど、飛び級すんなら大学か大学院まで行かないと、数学オンリーじゃすまないぞ。高校で数学以外の単位取れないと、留年か退学だぞ」

「ムリ!やっぱ飛び級しない。麗奈お姉様の後をついで、立派な生徒会長になって見せるわ」

「あら~、彩ちゃんなら立派な生徒会長になれるわよ~」

 華がフォローを入れると、

「だいたいなんで、お兄ちゃんと3歳違いなのかな~もうちょっと早く産んでくれたら、麗奈お姉様と一緒の学校に行けたのに!」

「え、まだ産んで欲しいの?私40歳で、パパ43歳でしょ…パパ、まだ行けそう、種残ってる?」

「おうよ!まかせろ。最近、時間があまりまくってるから警察署の道場で鍛えてるぞ」

「やだ、パパったらタフネス刑事」

 なんかよくわからんうちに、弟か妹が増える事になりそうな話になってるな。

 これが誘爆誤爆の実例か、今まで全く自覚がなかったなと優吾は家族の会話を聞いていて思った。

 あっちこっちで大変な事になるみたいだから、今後は少し気をつけた方がいいかもしれないと優吾は密かに誓う。

 そんなこんなで家族が揃うと、賑やかな飛後家である。

 周囲のうるささなど我関せずで、スヤスヤと気持ち良さそうに眠るホシの姿が癒しであった。



 

 

 

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