第2話 クラス会議

 出藍学院中等部に入学し、最初の夏休みを目前にして優吾は憂鬱ゆううつな毎日を送っていた。

 新しい部活動を立ち上げようとしたのだが、生徒会から最低5人の部員がいなければ認められないと通知されてしまったからだ。

 元々、昼休みや放課後に快適に過ごせる部室を確保するための部活動申請だったので、積極的な部員集めなどまっぴらごめんな優吾であった。

 生徒数が少ないため兼部OKとはいえ、学校に入ったばかりで知り合いもほとんどいない。

 1学期の間に条件を満たせなければ、部活動新設は来年度に持ち越しになるという期限まで切られてしまった。万事休すである。


 そんな時に、その事件は起こった。

 優吾と同じクラスの野球部員、関本和也せきもとかずやの持ち物が紛失したのである。

 紛失したのは、和也が学生鞄に取り付けていた御守りだった。野球部の先輩マネージャーが部員全員に作ってくれた手作りの御守りである。

 学校に着いて、机の横のフックに鞄を掛けた時に御守りがあったのは、和也が確認している。

 授業が終わり、部活に行こうとして鞄を持った際に御守りがなくなっている事に気付いたとの事だった。


 事を荒立てたくなかった和也は、担任の先生ではなくクラス委員長の蒼未麗奈そうみれいなに相談した。

 麗奈は名前の通り、容姿端麗・才色兼備を絵に描いたような美少女である。生徒からの人気も凄く、生徒会選挙では1年生では珍しい断トツのトップ当選であった。しかし生徒会規約により1年生は生徒会長に就任出来ないので、次点の3年生が生徒会長、麗奈が生徒会副会長に就いた。

 そんな生徒会副会長兼クラス委員長の麗奈は、担任の先生と交渉して6時限目の道徳教科をクラス会議の時間に変更してもらっていた。


「さて、皆さん誠に残念なご報告ですが、我がクラスの関本さんの持ち物である野球部マネージャーさんから頂いた御守りが、紛失するという事案が発生致しました。本日6時限目の道徳教科は、この事案に関するクラス会議と致します」

 麗奈が会議の趣旨を説明すると、面白がった者達が一斉に各々の考えを述べて騒然となった。

「意見のある人は、挙手をしてから自分の意見を述べて下さい」

 麗奈の凛とした声が響き渡ると、騒然としていた教室が一瞬で静まり返った。

「はい」

「はい、堀川さんどうぞ」

「これは関本さんの持ち物を盗った犯人を特定する会議なのですか?もしそうであれば、他のクラスや他の学年の人も対象になるんじゃないですか」

「教室に防犯カメラが設置してある訳ではないので、誰が盗ったかという物的証拠はありません。もし、その様な行為を見かけたという方がいらっしゃれば教えていただければと思います」

 和也は事を荒立てたくなかったんじゃないのか?

なんかすでに荒立ちまくってる気がしてるのは俺だけか、と優吾はひとりごちた。

 いつも冷静沈着で合理的な判断をするクラス委員長の麗奈にしては、随分な力業だと優吾は思っていた。これでは6時限目だけでは収まらずに、延長戦突入もあり得るのではないか…。

 ここまで考えて優吾は、それはないと判断した。優吾の卓越した洞察力で麗奈が何らかの落としどころを持って、この場に立っている事を見抜いたからである。


「めんどくさいな!盗った奴が名乗り出れば、済む話だろうが!」

「それは、このクラスに盗った人がいるって言う意味?」

「いや…そこまでは言ってないし…」

 おやおや、レベルの高いエリート校にしては、なんとも情けない犯人探しごっこに成り下がっちゃったよ。優吾はこうしたクラス会議の典型的な迷走に頭を抱えた。

 そんな優吾の憂鬱を見透かしたかの様に、麗奈が発言した。

「そもそも、なぜこのような事案が発生したのでしょうか?」

「他人の物を盗む人が、この学校にいるって事?」

 最初に発言した堀川さんが答えると、

「それは結果にしか過ぎません。なぜ、関本さんの物だったのか?野球部のマネージャーさんが作った御守りだったのか?ここら辺が、この事案の謎を解くカギだと思われます」

「確かにクラスの他の野球部員の御守りは、盗まれてないよね」

 また、ザワザワとする教室。

「これは、嫉妬ですか?野球部のマネージャーとはいえ、他の女が作った御守りを関本っちが鞄に着けているのが、我慢ならなかったとか」

 おいこら!なんでそこで『とか』で終わる?その場合「我慢ならなかったとか、許せなかったとかが理由だと思う。」と言う様に2つ以上の事柄を並べる時に『とか』は使え!と見当違いなところで優吾がいぶかっていると、麗奈が優吾を見て、

「謎と言えば、ミステリー。そういえば、飛後さんは生徒会にミステリー研究部の新設を申請していましたね。どうですか、この謎解けそうですか?もし解けるのであれば、部の新設に助力してあげましょうか」


「にゃにおう!」

 急な無茶ぶりに優吾の声は裏返ってしまった。

 優吾にはあだ名がいくつもある。その内の1つ『猫キング』が、誕生した瞬間であった。このあだ名を聞くと、皆大概、母親のペンネーム黒橡猫くろつるばみねこから来たと考えがちだが、違う由来があったのだった。本人は絶対に認めないが…

「にゃ、にゃにおう?猫キングですか。かわいいですね」

と麗奈があっさりとあだ名を進呈しまったのだ。教室内に笑っていいとこなのか、不謹慎なのか微妙な空気が流れていた。

 まさか麗奈の落としどころが自分だとは思っていなかった優吾は、声が裏返ってしまう程の動揺を与えて来るとは、クラス委員長侮れぬ!と気を引き締めていた。


「それで、飛後さん。この謎解けそうですか?」

 麗奈は容赦なく畳み掛けて来る。

「こんなのは謎でも何でもない。教室内の人間関係や各自の性格や動向を観察し、データとして蓄積していれば、自ずと結果に至った過程ぐらいは推察できるよ」

 優吾はまた、自分の推察が関係する人達以外の考えで、ねじ曲げられた解釈をされる危険性を排除しておかなければならないと考えて、

「俺が出来るのはあくまで結果に至った過程の推察であり、証拠を記しての犯人特定ではない事を確認しておきたいな」

「当然の確認事項ですね。他にもありますか?」

 優吾はお釈迦様ならぬ、お麗奈様の手のひらの上で踊らされている気持ちになった。

「推察を述べた後は、当事者同士のみの解決に委ねてもらいたい。その解決手段が、例え人の物を盗っても罰するに値しないと結論付けてもだ」

「それはこのクラスの中に、その解決方法に不満があった人がいたとしても口を出すなと言う事ですか?」

「そうだね、そもそもこの件に関して、裁量権を持つのは被害者である関本さんだけだと思う。それが守られないなら、俺はこの場で何も話す気はないよ」

 麗奈が期待以上だと満足げな笑みを浮かべ、

「わかりました。この件の裁量は当事者に一任しましょう。また、この話をSNS等に許可なく掲載する様な事をしたら、生徒会規約に基づき退学処分と致しましょう。この決定に不服な方がいらっしゃれば、挙手をお願いします。1人でもいらっしゃったら、クラス会議をこの場で終了と致します」

と述べた。


 まるで、俺が要求する条件がわかっていたような手際だな。当然、挙手をしてこれ以降の話から疎外される事を望む様な偏屈はいなかったようだ。

「クラスみんなの理解を得られた様なので、飛後さん続きをお願いします」

「では俺の推察を述べます。そもそも今回の件、関本さんに関心があるか、野球部に関係する人以外に該当者はあり得ません。何しろ御守りですから、経済的な価値はほとんどありません」

 自分が該当しないとわかって、ホッとため息をつく生徒が幾人か見られた。

「俺は御守りその物より、そこに縫い付けられていた目標に問題があったと推察しています。なんて縫い付けられていたか、覚えている人はいますか?」

 他の野球部員の御守りを見た1人が、

「目指せ地区大会ベスト4って縫い付けられてるね」

「そう、その通り。俺の記憶に間違いがなければ、関本さんの御守りにも同じ目標が縫い付けられていたと思う。関本さん、間違いないかな?」

 優吾が関本の方を振り向くと、

「ああ、野球部全員、同じ物をマネージャーから貰ったからな」

と、関本が頷いた。 

「なるほど、であれば関本さんに好意を持っているか、関本さんの可能性を見抜いている人が疑わしいね」

「え?どーゆうこと」

「その人物が許せなかったのは、御守りそのものじゃなくって目標設定が低すぎる事だったんだろうね」

「いやいや、ウチの野球部の実力じゃ、この目標だって怪しいはずだぞ」

 関本が、自分の席の両端を掴んで立ち上がった。

「ん~、関本さん、君のその謙虚過ぎる自信のなさも原因の1つかもね」

「俺はまだ1年だぞ、そんなに期待されるほどの戦力にはなれないよ」

「中学1年で身長190㎝、体格的には充分恵まれていると思うよ。ねぇ東雲菜々子しののめななこさん」

 優吾の突然過ぎる指名に、クラス中が教室の後方扉に近い席に座っている東雲菜々子を注視した。 

 普段あまり目立つ事のない菜々子であったが、懸けているメガネを少し指で押し上げると、

「身長の割に痩せすぎ」

と、クラス中の視線が集まっている事など、意も介さず言い放った。これ程、肝の据わった印象がまるでなかったため、鳩が豆鉄砲を食らった様な表情を浮かべた生徒が大勢いた。

「東雲さんは、栄養学に興味があるんだよね?」

 優吾が尋ねると、

「なぜ、それを知ってる?さてはストーカー!」

「ちげ~し!よく、スポーツフードアドバイザー関連の本を読んでるだろ」

 ストーカー扱いされた優吾が慌ててフォローする。

「せっかくの逸材なのに勿体ない。男子は中学3年間で最も身体が成長する。筋トレやランニングも大事だが、最も大事なのが食事!今から身体作りの食事に着手すれば、プロに行っても充分通用するはず」

 菜々子が普段あまり喋らないのは、興味のある事以外どうでもいいと思っているからなんだと皆が納得していた。

「つまり、東雲さんは野球部の関本さんが、それだけのポテンシャルを秘めてると思った訳だ」

「そう、その通り!お前よくわかったな。でも、性格が真面目過ぎるから、無茶な練習でも黙ってやりそうなのが心配」

「それは、俺の身体作りにおいて問題があるのか?」

 今まで黙って聞いていた関本が、思わず口を開いた。

「恵まれた身体だけに注意が必要。急激な成長に伴う関節痛、膝のオスグッド病、投球障害肩などの症状が少しでも出たら、練習メニューを見直す必要がある。根性だの気合いだのの精神論で、ムチャをさせたら台無しになる」

「詳しいな…」

 関本は自分の身体について、クラスメイトがここまで考えていてくれた事にビックリした様だった。

「私は関本君の恵まれたカラダに興味があっただけ、御守りなんて気がつきもしなかった」

 東雲の率直な意見を、変に誤解した生徒が何人か顔を赤らめていた。


「さて、これで関本さんの可能性を見抜いている人物がいる事がわかってもらえたかな?これが東雲さん1人だったら、御守りを盗ったのは君だ!で済むのかも知れないが、俺の知ってる範囲ではもう1人関本フリーク…というよりは野球部フリークがあと1人いるんだよな」

「その人にも、御守りの目標設定が低すぎると考える動機があるのかしら?」

 麗奈がそろそろ落としどころかしらと聞いて来た。

「ああ、その人物はSNSで野球についての評論や戦術論を掲載してるから、もっとわかり易かったけどね。でもプロ野球についての評論には、結構アンチなフォロワーも多いみたいだけどね」

「その人とウチの野球部との関連はなんなの?」

「架空の野球部だと注釈が付いているんだけどね、選手のイニシャルや身長、体重、利き手、現在のポジションがウチの野球部にドンピシャはまるんだよ」

「そこに俺はなんて書かれているんだ?」

と、関本が聞いて来たので、

「1番ファーストでクローザーって書いてあった。クローザーって何?」

 とっくに調べてあるはずなのに、あえて優吾が尋ねると、1人の男子生徒が立ち上がった。

「クローザーってのは、抑えのピッチャーの事だよ。日本じゃストッパーの方が通りがいいかも知れないけど、和製英語なんでメジャーリーグでは通じないよ。」

と席を立った、藤田昭彦ふじたあきひこが説明した。

「やっぱり、ハンドルネーム・ベスボルギャラリーは藤田さんでしたか。いつも楽しく拝聴しています。もちろんフォローもさせていただいてますよ」

「よくわかったな、今まで誰にもバレなかったのに?」

「ん~?なんとなく」

 優吾がとぼけると藤田がすかさず、

「うそつけ!」

「それは良しとして、関本さんのポジションを1番ファーストでクローザーとした根拠は何ですか?」

 優吾が尋ねる。

「さっき東雲さんも言ってだけど、中学1年の段階で負担をかけ過ぎるリスクをなくすためだよ。ウチの野球部には現在3年生でエースが1人、2年生のリリーフが1人いるから、ピッチャーとしてよりもバッターでの経験を積む方が良いと判断した」

「なるほど、俺は野球には詳しくないが、関本さんが1年生の内からレギュラーポジションを担う素質があるという認識で良いのかな?」

「中学3年間なんてあっという間だよ。身体作りを行いながら、試合経験を積む。そっからが勝負だ!ウチはエスカレーター式に学院の高等部に上がれるから、受験のタイムラグがない。高校からの関本さんの活躍を考えるとワクワクするね!」

「やっぱ、藤田さんも立派な関本フリークだったね。ところで藤田さんのサイトで熱心に質問してるKoShibaInu1982、通称KSI1982さんをご存知ですか?」

「もちろん大事なフォロワーさんだし、質問がやたら具体的だから良く知ってるよ。それが何か?」

「俺の持ってる情報によると、KoShibaInu1982さんはウチの学校の小柴正雄こしばまさお先生らしいよ。ちなみに1982は先生の生まれ年だ」

「野球部の顧問じゃん!」

 藤田が驚いた声を上げた。

「そう、野球部顧問の小柴先生」

「いや、マジか~?なんか偉そうな講釈たれてしまった様な気がするよ」

「その小柴先生から伝言なんだけど、師匠にぜひスコアラーとして野球部に入部してもらいたいって」

「師匠…そんな呼ばれ方されてた様な気もする」

「いいんじゃない、SNS上では年齢も性別も国籍も関係ないもんね。俺はいい師弟コンビになると思うよ」

 優吾が軽く右手の親指を挙げて言うと、藤田が嬉しそうな笑みを浮かべて、

「…考えてみる。あ!でも関本の御守りは盗ってないよ」


「さて、委員長。以上が俺の過程の推察です。関本さんの御守りに対して憤りを感じる可能性がある人が2人いた。だが証拠がないので2人のうち、どちらかに特定するのは不可能。本人達も否認しているしね。なのでここからは、関本さんの判断に委ねるべきと考えます」

「わかりました。あくまで推察の域を脱しないと言う意味も理解しました。ここまでの内容で関本さんが納得出来なければクラス会議を継続しますが、関本さんいかがですか?」

 麗奈が見事なタイミングで落としに入った。もともと、犯人探しなんて意味がないと優吾も思っていた。

 関本が席を立ち、委員長とクラス全体に頭を下げると、

「俺のために、みんなの貴重な時間を割いてもらって感謝する。後は俺がそれぞれの人と直接話して解決をはかりたいと思う。委員長それでいいですか?」

「裁量権は関本さんにありますので、全く問題ありません。それではこれでクラス会議を終了致します。皆さんご協力ありがとうございました」

 6時限終了のチャイムが麗奈の締めの言葉と同時に鳴った。

 見事な時間配分に、麗奈はテレビ局のキャスターでも成功するんじゃないかと思いつつ、優吾は自分の役目が終わった事に肩の荷を下ろして、ため息を吐いた。




 

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