第1章 聖女の祝福の儀

第3話「母と娘の馬車の旅。時の流れは加速して……。」

 ゴロゴロと馬車が動いて、ときおり、車輪が小石を踏んでぐらぐらと揺れる。馬車の中には、私たちを含めて7名で、次の駅がある山村の人たちらしい。左側にある窓から、夕暮れ時の光が差し込んできた。


 私はミトラ。聖フィリス教の司教。


 私の右隣りに座っている、ご高齢のおばあちゃんがよく話しかけてくれる。お尻が痛くならない様に、手持ちの布袋を貸してくれた。私の太もも辺りにちょこと座っている、白い少女にアメをあげていた。もらってからかなり時間が経ったけど、ノルンちゃんはまだ口の中でアメを動かしている。小さなリスの様で、とても可愛らしい。



 馬車の前後で、騎士団の方が2名、警護しながら馬車を誘導してくれている。大陸にある百十国の中で、最もおおきい国は聖フィリス教国で治安はとてもいい。ただ、どの国でも人混みから離れる時は用心しないといけない。


 基本的な旅の心得。私はノルンちゃんの前に地図を広げて、一緒に見る感じになる。白い少女は何も喋らない。地図上で、馬車で移動してきた地域を見て、私の視線は地図の南の方へずれていく。



 1週間ほどかけて、私たちは馬車を乗り継ぎ、大陸を南下している。


 これから聳える山脈の谷を通れたら、海にでられる。馬車以外にも船という選択肢が増えるので、今はこの順路でいい。それにいつまでも、無事に駅馬車を利用できると、あまりにも楽観的に考えるのをやめておこう。


 霧の大陸まで、とても距離がある。私が持っている地図では、ロンバルト大陸の一部しか描かれていない。



 これからの順路を想像してみる。南下して海沿いの街に着いたら、今度は船か、馬車で西方へ。南の海の沖合は、名も無き大陸(魔物の支配地)の影響もあって、危険海域とされているので、騎士団の戦艦ぐらいしか航行していない。



 地図上で西方へ視線を動かしていく。


 聖フィリス大陸の西にある海は、海の魔物が殆ど生息していない。「女神の祝福」と呼ばれる、その海域には、ロンバルト大陸への安全な航路、人の交流が盛んで、多くの遊覧船が行きかっている。霧の大陸は、この地図にはのっていない。ロンバルト大陸のさらに南。霧の海峡を越えて、ようやく辿り着ける。



 「……やっぱり遠いね。目的地を聞かれたら、エルミストと答えておこう。エルミストはロンバルト大陸の最南端にある海洋国家だし……。」天候の悪化や魔物の出現とか、もし悪いことが起こって、人が少ない場所で足止めはされたくない。いろんなルートを考えておいた方がいいでしょうね。



 私の足の上に座っている白い少女。不思議なことに、私の膝や太ももは痛くない。少女の体重がかかって、痛みがでても普通なのに……。



 ノルンちゃんのことで分かったこと。この子の素性は何も分からない。いくつかの村の教会で聞き込みをしてみたけど、収穫はなかった。


 この子は小食だ。ほとんど食事を食べようとしない。最近心配になって、食べなさいと促す様にしている。そして、この子はあまり喋らない。知らない人から話しかけられると、大抵首を動かして答えている。



 私が聞くと、必ず口にだして答えてくれるので、知らない人が怖いのかなと、よけい可愛く思う。この子とは仲良くなりつつあるけど、私がこの子のことで知っているのは、今これだけ。少しでも、何か情報を得て、この子の将来のことを考えてあげないと……。


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 駅馬車は山村に着いた。私が馬車から先に降りて、ノルンちゃんを抱き上げて、ゆっくり降ろしてあげる。やっぱり軽い。小さい子だから、軽いのは普通だと思うよ。「それにしても軽すぎる……持ち上げた時だけ、一瞬だけ、軽くなっている様な……。」


 白い少女が私の手を握った。顔をあげて、透き通る海の様な青い瞳で、私を見つめている。



『これからどこに行くの?』



「この村にも駅があるから、そこで新しい馬車に乗りたいけど、

 

 もう日が暮れたから……。

 こっちに行こう、この村にも宿屋があるから。」



 私が、ノルンちゃんの手を引っ張って、村の中へ進もうとした時、馬車を護衛していた騎士団の方に声をかけられた。彼は、自分の馬から降りて、気さくに話しかけてくれる。



【ミトラ司教、この村の宿に泊まられるのですか?】 



「ええ、もう日が暮れてしまいましたし……。

 夜中に、馬車に乗るのは、この子がかわいそうなので。」



【実は俺、この村に家内と一緒に住んでいるんです。


 家内からよく愚痴を聞いていて、

 ここの宿、夜は酔っ払いの声がうるさいって……。

 いい宿だと保証しますが、小さい子にはあまり……。】 



 「そうなんですね……。」 彼は、自分の身元を証明する札をみせてくれた。私の心配事が分かったのでしょう。



 彼は第六騎士団所属、地域護衛官 アラン・ウォルター、歳は32才。茶色の髪や髭は切ってあって、騎士団の正装もあわさって、小奇麗にみえる。騎士団の証明札は金属製、騎士団の特殊な刻印もされているので、そう簡単には偽装できない。


 昔、騎士団の隊員を保護観察したことがある。女性の隊員だったけど、その任務の時に、騎士団の証明札、第1から第13の刻印、全て覚えた。私の記憶違いでなければ、彼の証明札の刻印は本物だと思う。鑑定士ではないので、絶対とは言えないけど……。



【ミトラ司教、俺の家内に会ってみませんか?

 

 今日は俺、家内の愚痴を聞きたくない気分なんで、

 司教様がいてくれたら、愚痴なんて、でてこないでしょう?】



 彼は笑いながら、そう言ってくれた。


 言葉を選んで、私が不安を感じない様にと配慮してくれている。信用し過ぎるのはだめだけど、今の状況なら、彼の話を一方的に拒否した方がいい、明確な理由もない。「確かに、この村の宿屋で、この子が怖い思いをするのはいや……もし、何か危ないと感じたら、魔術を行使すればいい。少なくともそれで、この子の身の安全は守れる……。」



「じゃあ、お言葉に甘えて、アランさんの素敵な奥さんに、

 会わせて頂いてもよろしいですか?」



【口煩いんで、素敵かどうかは……まあ、行きましょう。】



 私が、アランさんと世間話をして、アランさんにはセシリアという素敵な奥さんと、ナディアとエイミーという可愛い姉妹がいる、素敵な家庭とのこと。


 家族写真も見せてくれて、皆笑顔でとてもいい写真だった。何より、娘さんのことを話す、アランさんがとても嬉しそうだった。なんだか、こっちまで自然と笑顔になってしまう。



 アランさんが家の呼び鈴を鳴らしてから、玄関の鍵を開けて、我が家に入っていった。石レンガの一軒家。ガス灯も設置されていて、夕暮れ時でも明るい。庭には家庭菜園があって、いろんな野菜や、食用の赤い実が育っている。


 黄色や青色など、色とりどりのお花もあって、素敵なお庭だと思う。



 私と白い少女が庭を眺めていると、アランさんが奥さんと一緒に外に出てきてくれた。セシリア・ウォルターさん、金色の髪の綺麗な女性で、心配そうな感じで、私たちのところに駆け寄ってきてくれた。「? あれ、セシリアさん……ご様子が……。」


《あ、貴方がミトラさん、それに、ノルンちゃん……。》



「はい、私はミトラ。この子はノルンです。」



《その……ごめんなさいね、凄く聞きにくいんだけど、

 司教様なのね? その、なにかあったら……。》



「そうですね。私も何か、証明できる書類を―。」



『お母さん、ここに泊まりたい。セシリアさん、だめですか?』



「あっ、ノルンちゃん……。

 うん、大丈夫だからね。心配しないで―。」



《ご、ごめんなさい、ミトラさん、大丈夫。

 ぜひ泊まっていって欲しいわ。

 

 貴方が乗っていた馬車に、

 話好きなおばあちゃんがいなかった?



 貴方が司教様で、お子さんと一緒に旅をしていること、

 もう村中に広がってしまっていると思うわ。皆噂話が好きなのよ。》



 「え、はい。えっと……。」セシリアさんが私の背中に触れて、我が家へ誘ってくれる。人情というのかな、温かくて凄く嬉しい。アランさんが、玄関のドアを開けてくれたので、お言葉に甘えてお邪魔させて頂くことになりました。



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 温かいスープをご馳走になりました。ノルンちゃんはやっぱり小食で、あまり食べようとしなかったけど、私に見られていることに気づいて……残すのはよくないと思ったのかな、時間をかけて何とか食べきってくれた。「うーん、小食なのは気になる……悪い病気じゃなかったらいいけど……。」



 ドタドタ、ぱたぱたと少女たちが走って、自分たちの部屋に入っていく。


 ナディアとエイミーの姉妹は白い少女を引っ張って、一緒に遊ぼうとしている様だ。テーブル越しにウォルター夫妻が座っている。


 世間話をしながら、私は宿泊代をお渡しするタイミングをさぐる。もし受け取ってくれなかったら、すぐに見つからないところに置いていこう。人の善意に対して、私も誠実に答えたい。


 セシリアさんが、心配そうな感じで聞いてくれる。



《ミトラさん、大変ね。旅は、どこまで行くつもりなの?》



「海洋国家エルミストまで行こうと思っています。」



【エルミスト、それはまた、えらく遠いな。

 ミトラ司教、飛空船への乗船、その申請をだされたんですか?】



 アランさんは、第六騎士団所属―地域護衛官だから、普通の人より、飛空船の乗船について詳しいのでしょう。



「いえ、申請はだしていません。

 許可がおりるか分かりませんし、それに……。」



【試す価値はあると思います。


 ミトラ司教が、その地位を私的に利用するのを避けておられるのは、

 とても素晴らしい心構えだと思います。


 でも、この旅には貴方だけじゃない。

 貴方の大切な子も、関わってくることなんですよ?】



「品行方正とか、清廉潔白とか、そういうことではないんです。

 私が、あの子と、気長に旅をすることを望んだので……。」



【だからって、エルミストは遠すぎませんか?

 貴方が、ただ旅をするだけで、そんな遠い―。】



《あなた、やめなさい。母親が、我が子を連れて、長旅をするなんて……。

 


 他人には言えない事情があるの。


 ミトラさん、きっとよくないやつに騙されて……許せないわ。

 こんな可愛らしい人から逃げるなんて……。》



 「えっ? セシリアさん?」話が変な方向に脱線し始めました。私が慌てて軌道修正しようとしましたが、ウォルター夫妻は、会話にどんどん熱が入ってしまいます。



【そう言うことか、許せないな。エルミストまで逃げたのか。

 男の風上にもおけないやつだな。】



《そうよ、許せないわ。貴方、なにかミトラさんを助けてあげられない?

 魔術師協会、私の知り合いに頼んでみようかしら……。》



【魔術師か、騎士団にも専属の隊員はいるし、俺の友人にも話をして―。】



「いえ、アランさん、違うんです。あの子は―。」

 


 あの子は■■。そう言えば、誤解だと分かってくれる。私のサインがある、教会の保護申請の書類の写しを見せればいい。そうすれば、あの子は自分の子ではなく、■■だと分かる。でも違う、もう違う。「あの子は……あの子は……。」



「アランさん、セシリアさん、あの子は私の子です。

 あの子は私が守ります。お気持ちは、とても嬉しいですが、

 私の手で、私とあの子で、エルミストまで行きたいんです。」



 『お母さん、何のお話?』ぴたっと会話が止まった。ギィと音が鳴って、扉が開く。白い少女が透き通る海の様な青い瞳で、じーと私を見ている。



 この子と会ってから、1週間ほど、1ヶ月も経っていない。この子のことは、殆ど何も知らない。普通で考えたら、あまりにも短すぎる。それは分かる。私自身、それを理解しているのに……。



 どうして、この子を、こんなにも愛おしく思ってしまうのかな? 



 私は、この子がいないと生きていけない。私のこの子の母親。誰かにずっとそう囁かれている様な感じがする。この子と過ごしていると、時間の感覚がいつもより違うのかもしれない。1週間が1ヶ月。1ヶ月が1年に。



 1年が10年とどんどん変わっていく。「そう……その感覚……10年以上、ずっと一緒に暮らしていた……私の心がそう言っているの。」



 私は、この子を優しく抱きしめて、絶対に守ると心に誓いました。母親として、我が子を守る。白い少女も、私にしっかりしがみついてくれた。



 私は、この子を絶対に失ってはいけない。


 例え、たくさんの国を失ったとしても……。



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 次の日の朝、しかも早朝。私たちが乗っている馬車が、ゴロゴロと勢いよく飛ばしている。駅馬車の速度にしてはかなり速い。操縦している人が急いでいるのが、外から見たら分かったでしょう。



 私が何度も大丈夫です、大丈夫ですからと言っても、あの夫婦は止まりませんでした。宿泊代なんて受け取ってくれるはずもなく……なぜか、私たちと一緒に馬車に乗っているのですから。こうと決めたら、押しがとても強い夫婦なのだと感心していると、馬車を操縦する、アランさんの叫び声が聞こえてきます。



【馬車は久しぶりだからな、ナディアとエイミー!

 絶対に窓の方に近づいたらだめだぞ!】



 「はーい」、「はーい」姉妹の可愛い声が、セシリアさんの近くから聞こえた。馬車の速度がはやくて、かなり揺れている。姉妹は両側からセシリアさんに抱きついていて……ノルンちゃんも横から、私に抱きついて、私がぎゅっと手で支えてあげる。



 セシリアさんと眼があった。何でか分からないけど、とても楽しくて、微笑んでしまった。その後、その馬車から、笑い声や叫び声が聞こえてくるのでした。



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 飛空船ミルドレッド。大空を飛び、雲海の中を突き進んでいる。



 彼は枢機卿に対峙した。彼の教会の正装は、見た目は軍服の様で、黒と赤の特殊な刺繍もあり、教会におけるある地位を証明している。教会内部の腐敗を監視するもの、彼は監察官。ある書類を、高齢の女性の枢機卿に手渡した。



『ロゼッタ枢機卿、彼女の調査を許可して頂きたい。』



《ジョナス監察官、軽く説明してくれるかしら?》



『飛空船カーディナルは、依然として消息不明です。

 乗組員、1256名。当然のことですが、安否不明です。

 教会や騎士団に従事していた者は、1週間前に足取りが途絶えています。

 1名を除いて……。


 冒険者も乗船していましたが、

 全員、冒険者ギルドから派遣されていた者で素性の確認がとれています。


 魔術師の才があるものであれば、生存している可能性はあります。

 ですが、乗船リストを信じるのであれば、

 冒険者が、転移魔術を行えるほどの魔晶石を、

 飛空船の中に持ち込んだという証拠はありません。』



《監察官、私は彼女と話したことがあるのだけど……。

 ああ、そうね、思い出したわ。貴方は、昔の学友だったわね?》



『はい、彼女は転移魔術を行使できません。』



《それなら、いくら彼女が、司教の杖を持って行ったとしても……。

 彼女は共犯者だと、そう言いたいのかしら?》



『一つの可能性です。飛空船が消息をたった、当日。

 或いは1日後に、彼女は、教会にて少女の保護申請をだしています。


 担当した者が、日付を1日間違えて記入した。

 飛空船に乗船する前に、彼女が書類をだしたのかもしれません。


 骨折り損で、失敗するリスクはありますが、調べる価値はあると思います。

 孤児の少女について、目撃情報が奇妙です。』



《人の記憶なんて、信用できるものではないわ。

 それに孤児の少女……。


 ジョナス監察官、貴方は親友の濡れ衣を、

 彼女の噂話を、ただ消したいだけなのではなくて?》



『違います。自分は……少しでも、手掛かりを得ようとしているだけです。

 それに学友だったのは、随分と昔の話です。今の私には関係がありません。』



《そう、私情を挟まない、素晴らしい監察官ね。

 いいわ、彼女の調査を許可します。いい報告を期待しているわ。》



『……それでは、失礼致します。』



 彼はもういない。高齢の女性の枢機卿は、少女の保護申請の書類に視線をおとす。書類の一番下には、少女の目撃情報のことが、まとめて記入されていた。



 宿屋の従業員、教会の担当者、通行人、馬車の乗客、騎士団の隊員は、ミトラ司教と思われる女性を目撃している。孤児の少女について、皆がよく覚えていないと、事前に口をそろえたかの様に、同じことを供述した。


 少女は黄色の髪で、血色が良さそうで、とても元気そうな娘さんだったと……。


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