第2話
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三十平方メートルほどの会議室に、みのりは半ば強制的に連れて来られた。
部屋の真ん中に、重厚な茶色の八人掛けのテーブルが置かれている。西側の窓には、ブラインドカーテンがきっちりと閉められていて、外の光は微かにしか入ってこない。だからといって、LED電球の明るさもそれほど感じられない明るさだった。
上座には、今まで一度も話したことのない院長、副院長、顧問の弁護士が順に並んでいる。皆、白髪交じりの恰幅の良い体格だった。
「そっちに座って」
三人のうちの誰かがしゃがれた声で言った。
みのりは手足は震えていて、抑えようと思えば思うほど、震えが激しくなる。追い打ちをかけるように、足がすくんでしまった。
「どうした、早く座り給え」
さっきと同じ声に促された。
みのりは声も出ずにただ目をきょろきょろさせていると、後ろから背中を押された。悪意のある力強さ。
振り向くと、冷たい表情のすみれの顔が目に映る。
すみれも緊張しているのか、さっきまでの威勢はなくなっていた。
おぼつかない足で何とか院長の正面に座った。隣には、すみれが腰を下ろす。
「さて」
弁護士が口を開きかけたとき、会議室に医者の今泉が入って来た。
今泉は頭を下げて、弁護士の前に座る。
「これから、警察が来ますので、それに備えて話をしておかないといけませんね」
弁護士は優しい口調で、理知的に言った。
「その前に、ご遺族の方は?」
弁護士が今泉にきいた。
「さきほど、亡くなった旨を電話で説明しました。これから、こちらに向かうそうですが、一時間ほどかかるそうです」
「その、反応というのは?」
「悲しむわけでもなく……」
「亡くなったことだけをお伝えしたのですか」
「はい、まだこちらのミスの可能性があることは伝えていません」
今泉が引き締まった声で答える。
みのりは、ちらっとすみれを見た。さっきまでの様子なら、「ミスの可能性ではありません。あきらかに、池田さんのせいです」と責め立ててくるだろうと思った。
しかし、すみれは黙っている。
みのりの視線に気づいたのか、嫌そうに横目で見返してきた。
「ご遺族は橋爪さんが亡くなってほっとしているんだと思います」
今泉が言う。
上座の三人の顔が、どういうことだと言わんばかりに、微かに眉が上がる。
「橋爪さんは植物人間状態で、もう長いことこちらに入院しています。橋爪さんには娘がひとりで、結婚していて、大学生と高校生の子どもがふたりいます。平均的な所得で、長期の入院は痛い出費のはずです。ですから、その腹いせもあって、いつも現場の医者やナースたちにはきつく当たっていたんだと思います」
今泉は自信を持って告げた。心なしか、今泉はほくそ笑んでいるようにも見えた。
「しかし、警察はどうしますか? 司法解剖をすれば、池田さんのミスだということが発覚する恐れもあります」
弁護士がすかさず言った。
「あの……」
みのりはまごつきながら言った。
「私のミスではありません。どういう状況なのかもわかっていなくて……」
続けようとしたとき、
「池田さん」
と、今泉の声に阻まれる。
「今さら、責任逃れはできませんよ」
「責任逃れじゃ……」
みのりは反論しようとするが、今泉は弁護士に向って、
「司法解剖になったら、その時に対応して、まだ確実にそうと決まったわけではありませんから」
と、さっきの答えを返す。
「それでは、病院側が隠ぺいしていたと受け取られかねません」
弁護士が納得しない顔をする。
「そのことが一番困る。だったら、初めからうちの看護助手がやったことを認めた方がいい」
院長が言った。
「その通りだと思います」
副院長も同意した。
「ですから、私のせいでは」
みのりは口を開いた。
だが、議論が進んでいて、みのりの声は誰の耳にも届いていないようだ。
議論の間、何度もみのりは口を開いた。
その度に、無視されるか一蹴される。
院長側は早く認めさせた方がいいとの考えを変えない。むしろ、弁護士が過去の医療事故での病院側の対応を説明すると、
「やはり、素直に認めるべきだ。だが、病院側の責任を回避できないものか」
院長が当たり前のような口調で、無責任にも言った。
しかし、今泉は頑として、
「この事故のことを認めるべきではありません」
と、言い張る。
壁にかかった時計を見ると、この部屋に入ってから三十分が経過していた。今泉の携帯も何度か鳴っていた。きっと、現場からの必要な連絡に違いない。それなのに、院長や副院長は電話に出ていいとは一言も言わないし、そんなことをしたら怒りそうな雰囲気を醸し出している。
この議論には、みのりの意見など全く聞かれない。
このままでは、自分の仕業ということで通されてしまう。
時計の針が進むごとに危機感が増していくが、いくらみのりが発言したところで同じことの繰り返しだ。
そう考えると、目頭が熱くなってきた。鼻水も出てきて、ティッシュがないのですするしかない。
院長はちらっとみのりを見たが、何もなかったかのようにすぐに議論に戻った。
頭が真っ白になる。
意識がだんだんと遠のいていく。
このまま、ばたっと倒れるのか。
その時、すみれが立ち上がった。
一瞬にして、静まり返った。
「すみません。さっきから、池田さんのミスだったといっていますが、本当にそうでしょうか」
すみれは一同を見渡した。その流れで、みのりにも目を向ける。どこか恨むようなきつい目。
「どういうことですか」
常に冷静に話していた弁護士が、まごついた口調になる。
「彼女は正直にいって、あまり仕事ができません。それで、常に看護師から注意され続けてきました。その腹いせを橋爪さんにしていたんです。ですから、今回のことはミスではなく故意にやったと思われます」
すみれは静かに座った。そして、再びみのりを横目で見る。これであなたは終わりなのよというようなとどめを刺す目つきであった。
「違います! 私はやってません!」
みのりは自然と耳を突くキンキンした声を発した。
自分でもびっくりするような、今までに出したことのない声。でも、本当に言いがかりがひどいのだから。
弁護士が何か言っている。
だが、そんな言葉も認知できず、
「やってません!」
と、何度も何度も叫び続けた。
不意に自分の体が椅子の背もたれにぴたっとくっついたかと思うと、今泉が傍にいて、両腕をがっちり掴みながら、
「落ち着きなさい」
と、耳元で怒鳴った。
同時に、会議室の電話が鳴る。
みのりは声が出なくなった。
副院長は受話器を取って、一言返すとすぐに切った。
振り返るなり、
「警察が到着したようです」
と、重たい声で告げた。
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