第3話


 頭の中が目まぐるしく渦巻、心が落ち着かない。

 さっきの会議室では話はなんだったのだろう。みのりの話をろくに聞かずに、ただ一方的に病院側が被害を被らない方法を模索していただけだった。

 自分のミスと言われるだけでも心外なのに、ましてや故意にチューブを抜いたと言いぐさをつけられた。

 橋爪を殺す理由なんかひとつもない。

 虫だって恐くて殺せないのに、人間を殺めることなどできない。

 でも、すみれは罪を被せようとしてきた。

 病院側も、そうすれば自分たちの責任ではなくなるような雰囲気になりかけていた。

(どうすれば、いいの?)

 すべてが嫌になってしまう。

 まさか、このまま、すみれの意見が採用されて、警察にも自分がチューブを抜いたかのように伝えられるのだろうか。

 そしたら、警察もそれを受けて、捜査に動く。そして、みのりがやったことに……。

 いやいや、警察はちゃんと判断を下してくれるはず。そんな言いがかりがまかり通るようなら、世の中、他人に罪を被せ放題になってしまう。

 そう強く思っていたが、心の奥ではどこか不安が残る。

 そんなことをずっと考えていると、 

「池田さん」

 すみれが休憩室入ってきた。

「さっきの会議室へ行って」

 すみれはなんとも感情が読み取れない顔つきだった。ヒステリックに怒っているわけでもなければ、橋爪の死に気持ちを沈めているわけでもなさそうだ。

「もう終わりね」

 すみれはすれ違いざまに、ぼそっと言った。

「どういう意味ですか」

 みのりは思わず足を止めた。

「早く警察のところへ」

 すみれは急かした。

 だが、みのりはその場に留まっていた。

 どこか、吹っ切れていた。

 うまく言葉が出てこないが、目一杯、すみれを睨む。今まで一方的に叱られてきたが、もう彼女に気を遣うこともない。今日をもって、自分はこの病院を辞めさせられるに違いない。明日のことは何も考えれないが、自分のミスで橋爪が死んだわけではないことだけは警察にはっきり言おうと決めていた。

 少しでも気を緩めたら、いくら相手が初めて会う刑事だとしても、今まで病院で受けてきた差別的な待遇を聞かれてもいないのに喋ってしまいそうだ。

 だが、病院が医療ミスを隠したいのなら、はっきりと病院側のミスを告げよう。

 あの院長、副院長の無責任な対応には思い出しても、虫唾が走る。

 自分だけが不利を被ることだけは避けたい。

「早く行きなさいよ」

 すみれは足を蹴ってきた。

 みのりは舌打ちをして、更衣室を出た。

 廊下を歩くと、すれ違う医者や看護師が変なものを見る目つきをする。

(なに? 根も葉もないことを言われたの? でも、医療ミスを起こした医者が前にもいたけど、皆あれは可哀想だってやけに擁護していたのに)

 思い過ごしならいいと思いながら、会議室の前に来た。

 ドアを三回ノックする。

「どうぞ」

 中から野太い男の声がした。

 会議室に入ると、さっき院長が座っていた場所には、四十代後半のやせ型だが、銀縁の眼鏡が神経質そうなうりざね顔の男がいた。その隣には、三十代前半くらいのセンター分けで、大きな目に、通った鼻筋で、薄い唇の男が座っている。

 自然と、顔立ちの良い男に目が行った。

 好みではないが、どこか魅力的。男くさくなく、女性らしさもある顔。やさしさがにじみ出ていた。

 その男は、藤波啓人と名乗った。もうひとりは三谷彰というらしい。

 三谷は高圧的に見てきて、

「お座りになってください」

 と、指示したり、

「池田みのりさんですね」

 と、確認も彼がする。

 三谷とたった数言交わしただけなのに、さっきまでの意気込みが急に萎んでしまった。

「緊張しないでください」

 藤波は穏やかに言う。

「さきほど、亡くなった橋爪さんの担当医の今泉さん、それと看護師の木島さん。ふたりにお話を聞きましたが……」

 三谷が話し始めた。

「あの」

 みのりは藤波の言葉を遮る。

「私のせいにしていたかもしれませんが、その当時、私は休憩に入っていました」

「その前に、床ずれを防止するために、橋爪さんを動かしたのでは?」

「しましたが、チューブは抜けていませんでした」

 みのりは答えた。

「あなたが気づかなかっただけでなくて?」

 三谷がきつい目できいてくる。

「違います」

「どうして、それが言えるんです?」

「チューブが抜けていたら、普段であれば気が付くはずです」

「どうやって、気が付くのですか?」

「アラームが鳴るんです。でも、アラームが鳴っていませんでしたから」

「そのアラームは切ることができるんですよね」

「え?」

 みのりは予想外の質問に、きき返した。

「先ほど、今泉さんと木島さんが話したところによると、チューブは抜けたら鳴るようですが、その設定はそちらで出来るそうですね」

「いえ、そこまでは……」

 みのりは首を傾げた。

 本当に、その仕組みは知らない。

 だが、三谷の目つきは、みのりがさも知らぬ振りで誤魔化そうとしていると疑っているようだった。

「私のミスではありません」

 みのりはきっぱりと否定した。

「ミスではなく、故意だろうとあのふたりは言っていましたが」

 三谷の目つきがさらに鋭く光った。

「調べてもらったらわかると思いますが、私が橋爪さんを殺す理由がありません。それどころか、私が看護師や医者にどれだけ不憫な思いをさせられてきたかも」

「……」

 三谷は何か考えるような目つきで斜め上を軽く見上げた。

 そして、小さく頷く。

「とにかく、私が死なせたとなるのは心外です」

 みのりは力強く言った。

 三谷はまだ何か考えているのか、黙っていた。

「まあ、落ち着いてください」

 藤波が柔らかな口調で、間に入った。

「我々としましても、そのような証言があれば、事実はどうあれ、こうやって聞き込みしたり、調べなくてはなりません」

 しっかりと説明してから、

「まずは、池田さんのお話を聞かせてください。休憩に入っていたといいましたが、どちらにいらっしゃったのですか」

 と、きいてきた。

「休憩室で、仮眠していました」

 なぜか三谷の時とは違って、少し穏やかになって答えた。

 すると、再び三谷が口を開いた。

「休憩室には、あなた以外にも誰かいましたか」

「いいえ」

「ひとりだったんですね」

「そうです」

「そこから、橋爪さんがいた203号室まではどのくらいで行けます?」

「一分もあれば」

「すぐ近くだというわけですね」

 三谷は納得したように、大きく頷いた。

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