第一ゲーム

2-1 帰還

 工藤彩花は時々他人の指を見る癖がある。

 マニキュアが世界に存在しているのだから、指を見つめるという行為は一般的な行為だとは思っている。だからこそ自分はほかの人よりさらに指を眺めることが多い気がした。

 綾香は指が太いとたまに言われる。綾香自身は太ってはいないと自分で思っているが、指だけが確かに太い気はしていた。男の子の指みたいだとそれなりの頻度で言われた。マニキュアをしていてもそれは変わらなかった。かわいい指、と言われたこともある。

 だからといってコンプレックスを抱いているわけではない。むくみはできるだけ取る努力はしている。一時期黒い手袋をして細く見せようとしてみたが、よく考えると似合わないのですぐにやめた。個性だと言い張るのでもなく、指は指だとそのまま受け入れているのだ。

 ただ長年意識してきたからこそ、指を見つめることが多くなった。爪の長さ、ささくれ、イボの位置、指の細さ。手の形や関節の大きさの違い。

 指というのは人間の一部でありながら観察の対象でもある。指を見て人のすべてがわかるとは言わない。ただわかることもあったのは事実だ。

 例えば――


 ◇ ◇ ◇


 和葉綾瀬奈に加えて、仙谷幹美までいなくなってしまって早数日。部屋の中はがらんとした雰囲気が漂っていた。それを見て工藤彩花はため息をつく。

 いや、幹美に関しては連絡はある。なんでも実家の関係で少しだけ家を開けることになったそうだ。いくらなんでも突然すぎるし、彼女の母親に連絡してみたところ、そんなものは知らないという。

 だから続けて追及をするメールを送ってみたが、「犯罪にはかかわっていないから案してほしい」と逆に不安になるメールが来ただけだった。犯罪に手を貸したとは思いたくないのだが。

 ともかく部屋の中にいた二人の女性が消えてしまったのである。それも二人揃って消えるということは普通はないはずだろうに。

「本当にどこ行ったんだろ?」

 彩花はぽつりとつぶやく。

「まあこういう連中だからこそルームシェアしてるんですよね」

 それを拾うように西塔秋穂が振り返らず答えた。テレビで映画を見ていて聞いていないと思ったからの独り言だったが、しっかりと耳に入っていたようだ。

 ウルフヘアの茶髪で、その顔立ちは太い眉毛も相まっで凛々しいものがあった。

「つまらないですか? その映画」

 いつもは真剣に見ている彼女だが、今日は珍しく気が散っているようだ。

 それを聞いて、秋穂は映画を一時停止にした。 

「面白いからこんな気分で見たくないと思ったからかな」

「そうですか……」

「でもまああいつらなら大丈夫だと思うけどな」

「どうしてです?」

「あいつらはどこかしら変だからだよ。今さらいなくなったところで驚くほどでもないよ」

「そうですかね……もし死んだりしたら」

 数日前の幽霊騒動のことを思い出す。結局あれは見間違えだったのではと思いこもうとしていたタイミングで、今度は幹美の失踪だ。不安になるなと言うのほうが無理な話だった。

「どうして今になって心配しだしたんだ? 何かまた予兆とか?」

「そういうわけじゃないんです。ただ家から連絡があって……叔母が様子を見みくるみたいで」

 それを聞いて、秋穂は顔を苦くした。

「ああ、確かに20歳にもなっていない娘のルームシェア先で失踪者二人はまずいな……」

 彩花は家族には何とかごまかして、ルームシェア相手は清廉潔白な3人であるとごまかしていたし、これからもごまかし続けるつもりだった。

 ただ、今回叔母が来るということはそこまで重要な問題はなかった。母ではないのだから。

「叔母が心配して見に来る、と言うと多分秋穂先輩は厳しい親戚が偵察しに来るみたいなのを想像しましたよね」

「違うのか?」

「叔母は母とは結構歳が離れていまして、私にとって姉みたいなものなんです。だからいい感じに便宜を働いてもらえると思います」

 秋穂は納得すると同時に、何となく嫌なものを感じたのか、少し眉をひそめた。

「本当に?」

「う……確かに何でも言うことを聞いてくれるわけではないです。結構いい加減なとこも結構ある叔母ですが、さすがに失踪者がいる部屋でルームシェアは許してくれないかも」

「まあいいけどな。それであたしはどうしたらいい? 席を外すべきか? それとも立ち会ったほうが?」

「別にどっちでもいいです。……ただできるなら立ち会ってフォローしてくれたほうが嬉しいですね」

「了解。さて服装もなんとかしたほうがいいかね? 少し真面目っぽい雰囲気を出すだとか?」

「いえ、その必要はありません」

 彩花は普段の叔母の格好を思い出しながら言った。

「秋穂先輩と似たような格好してますから」


 二人から連絡がこないまま、数日が経過し、叔母がやってくる日になった。

 そのために部屋に転がっているアナキー寄りの器具――例えば大型のシャーレやB級スプラッタ映画のポスターなどは念のため一旦仕舞うことにしたり、叔母の好きな紅茶を買ったりした。一応掃除機をかけて、それなりに綺麗にしたが――果たしてうまく行くかどうか不安だ。

 そして午後2時、インターホンが鳴る。

「来た……」

 彩花が玄関を開けると、ジーンズの上に革ジャンを着たボブカットの女性が現れた。年齢は20代後半で、タレ気味の瞳をしている。身長は彩花と同じ程度だ。

「おー、久しぶり。元気にしてた? ちょっと見ない間におっきくなったねえ」

 そんないかにもな親戚のおばさんみたいな口調で言ってくる。しかし、服装とのギャップがありなんともおかしみを感じた。

 この人が東堂紗奈とうどうすずな、母の妹であり、彩花の叔母にあたる。

 紗奈は挨拶もそこそこに部屋の中に入ってきてきょろきょろと見渡した。

「へえ、ちゃんと生活してるじゃん」

「まあね」

 彩花は割とここ数日の掃除の成果が見ためられた気分になり、すこし照れて見せた。

「彩花は料理できたっけ?」

「まあ人並みには……」

「ふうん。じゃあお茶でも入れてよ。紅茶がいいかな?」

「はいはい、わかりました」

 彩花は言われるままにキッチンに行き、湯沸かし器に水を入れて電源を入れる。

 お茶のパックと急須を取り出し、緑茶のティーバッグを入れ、電気ポットのお湯を注いだ。その間もリビングにいる紗奈のことをちらりと確認すると、彼女は相変わらずきょろきょろとして落ち着きがなかった。何か探しているようだが……。

 そこで自分の部屋から秋穂が出てくる。先日似たような格好と言ったが、部屋内でスカジャンを着ているわけではない。ジーンズの上にTシャツと、かなりラフな格好をしていた。

「あ、工藤さんの叔母さんでしたか。いらっしゃったんですね」

 すごい白々しくもそんなことを言いながら近づいてくる。敬語に慣れていないのがすぐわかるイントネーションだ。

 叔母はそれを見て、目を丸くした。そしてこちらに彩花に耳打ちをしようとしてくる。

 何かまずいことでもあっただろうかと不安になりながら近づいたら、

「やば、めっちゃかっこいいじゃん。こんな人と同棲してるの?」

 同棲とルームシェアは別だ。彩花はとりあえず落ち着けと言わんばかりに彼女の腕を押さえる。

「ただの先輩です。いろいろとお世話になっているだけで」

 それを聞いて、紗奈はにやっと笑ってみせる。何か良からぬことを考えているのはわかったが、ここでそれを言及してややこしくなっても面倒なので黙っておいた。

「あの……お茶が入ったけど」

 彩花が話を買えるように声をかける。叔母はそれに答えず、「ねえねえ、君いくつ?」と秋穂に訊いていた。

 秋穂は苦笑いしながら、「24歳です……」と答えた。

「ええー。わたしとも結構年齢近いじゃん」

「そうなんですか」

 秋穂は意外と愛想よく返事をした。彩花に対してはタメ口なのに叔母には丁寧に接しようとしているところは当然ではあるのだが、彼女らしいと言えば彼女らしかった。

「今度遊びに行かない? お酒とか飲める?」

「大丈夫です。いいですよ」

 秋穂はそう言って、にこっと微笑んだ。

 叔母は嬉しそうにしている。やはり秋穂とは割と話が合うようだ。ただ、彩花としては気が気ではなかった。いつボロを出すかわからないからだ。秋帆のほうを見ると、困っているような笑みを浮かべていた。フォローしてやりたいが、どうすればいいのか分からないのだろう。いや、そもそも彩花はフォローをしてもらってる最中だ。

 それから、紅茶が3つ、お菓子が少々机に置かれたところで会話が落ち着いた。秋穂とかなり話が盛り上がっていたようで、やはりアーナキー寄りの器具は残していても問題なかったのではないかと思われた。

 秋穂は食器をかたずけながら、これなら母への報告も穏便なものにしてくれそうだとひとまずは胸をなで下ろせるだろう。

 そう思っていたところだった。

 しかし

「さて、本題にはいるね」

 突然叔母が声色を急に変えて来たのだった。


 ちょっとちょと、きゅうにかしこまっちゃってー。私と叔母さんの仲じゃんー。みたいな声色で彩花はおどけて言ったが、紗奈は特に表情は変えない。

 上滑りして白けた空気が漂った気がした。

「彩花、ここはだめだよ」

 紗奈が唐突にそんなことを言ってきた。何の話だかさっぱりわからなかった。

「な、何でですか? 特に問題はないはずですよ」

「あるよ。ここは危ない」

 その瞬間、紗奈の瞳が怪しげに光った。秋穂がそれを見て割り込んでくる。

「あの、あたしがダメってことでしょうか? こっち方面に理解あるふりして、探ってたとか?」

「いや、そんなことはないよ。秋穂ちゃんはいい子だよ」

 いきなり自分にとっては年上の同居人をちゃんづけにしていることにこそばゆいことを感じながらも、彩花は不満を口にした。

「だったらなんで」

 口答えをしつつも、やはり失踪者が現状二人いることがばれているのかと不安になっていた。そこを突かれたら反論できなかった。

 しかし叔母の口から出てきたのは意外な言葉だった。

「やばいよこのマンション。三流程度の霊感しかないわたしでもやばいってわかる。それぐらいやばい」

「はあ?」

 何を言っているのだこの人はと思わざるを得ない。だが彼女は真剣な顔だ。ふざけて言ってるようには見えない。しかし彩花にとっては全くの逆だ。冗談じゃないとすら思う。

 しかしこんな霊感だとかオカルトじみたことを言う人だっただろうか。確かにアングラなイメージがそれなりにあったが……。そういった雰囲気も含めて好きだったが、曖昧な物言いで実害が出るとなると変わってきた。

 「どういう意味なんですか、それは……」

 思わずきつい口調になってしまう。紗奈は肩をすくめた。

「そのままの意味。あんまりこの家には関わらないこと。姉さんには報告しておくから」

 紗奈はそう言うと席を立ち、帰ろうとした。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 秋穂は紗奈を呼び止める。紗奈は振り向く。その眼光の鋭さに、まるで刃物を突きつけられたかのように、秋穂は息をのんだ。

 どうしてこういう流れになったのだろうか。

 叔母は28歳だが現代フリーターで、結構いい加減なところがあった。歳が離れていて厳格な姉とは正反対で、衝突しているのもしょっちゅうだ。だからそのせいもあって彩花は反抗期だったころは紗奈によくなついて、彼女の部屋に入り浸ったりもしていた。そして、叔母もまたその状態を悪く思わないたはずだった。

 だから今回も自分の味方をしてくれているはずだと思っていた。

  確かにこの家の3人は――いや自分含めて四人はろくでもない部分もある。しかし、だからこそいつでも崩壊してもいいという気楽さが心地よかった。いつ崩壊してもいいといっても今じゃない。そんな気がしていた。

 何か叔母を止める方法はないだろうか。突然地震が起きてうやむやになる、そんな現実逃避時見ていて不謹慎な考えがよぎる。

 そこに突然持っていたスマホに連絡が来た。


 視線が彩花に集まる。

 本来なら重要な会話中に確認することではないし、マナーモードにしておくべきだ。

 それでも何か事態をよくしてくれる可能性にかけて、彩花は端末を起動した。


『心配かけてごめん。荷物を取りに一旦帰ることにする。 幹美』


 彩花はほっとしたのと同時に、言いしれのない怒りもあった。散々迷惑をかけておいてこんな短いメッセージで帰ってくるつもりなのだろうか。

 それに加えてこのタイミングだ。叔母とかち合ったら余計にややこしいことになりそうだ。起死回生の連絡ではなかった。

 と、さらに追い打ちのようにインターホンが鳴る。

 もしやもう帰ってきたのだろうか。幹美は確かにこういうギリギリのタイミングで連絡してくることが結構あった。そういう時はだいたいトラブルの種を抱えている。

「……どうやら立て込んでるみたいだし、いったん帰ったほうがよさそうね」

 混乱してる中、叔母がそんなことを言い出す。まずい、このままでは本当に帰ってしまう。

 助けを求めるように秋穂を見たが、何が渋い顔をして考え事をしているだけだった。なんだその表情は。

「あ、あ、多分宅配便ですよ! 大したことないですし、先に取ってきます! 叔母さんはゆっくりしていてください!」

 我ながら時間稼ぎにしかならないことを言っているなと思いながら、制止する声を振り切って彩花は玄関に向かって走った。

 何はともあれ、幹美であるのなら、別のところで時間をつぶしてもらう必要がある。

 扉の鍵を開けるのにもたつきながらなんとか開いた。


「やっほー、ただいまー。心配かけてごめんねー。あと幹美は今いる? ちょっと話したいことがあって」

「えっ……」


 彼女は気の抜けた軽い声で部屋に入ってきた。

 彩花は目を丸くして固まってしまう。黒いジャージを着ていて、どこか汚れている。大きなバックを背負っているので、旅行にでも行ってきたかのようだった。茶髪でウェーブのかかった髪は、幹美の黒いショートヘアとは全く違う。


「あ……彩花、やっぱり怒ってる? ごめんね。本当に反省してるんだけど……」


 ――和葉綾瀬奈が玄関の先に立っていた。

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