1-4 彩られた死体
駅舎を出るとそこは森だった。先ほど来た駅の外とはあきらかに全く違う場所だ。フクロウのような声が響き、季節外れの虫の声が聞こえた。
私はスマートフォンを取り出す。電波も来ているが、地図アプリで現在地を確認しても、位置情報を取得できませんと表示される。
『ちょっと、なんでこんなところにいるの!』
女性の声がした瞬間、私は肩から力が抜ける感覚がした。そのあとに安心感が訪れる。
影の中におぼろけな綾瀬奈の姿が現れたとき、私は思わず抱きしめたくなった。昼見たときよりしっかりと見えている。存在感がよりあるような気がした。
「ああ、ごめん。どうしても我慢できなかった」
『我慢できなかったって……犯罪は嫌って言ってたじゃん……』
「それでもこのもやもやを早めに解決したくて……この先綾瀬菜が生きてるのか死んでるのかわからない状態で生活するのが無理だった」
綾瀬菜とはためらいを表に出すかのように大きく揺れている。
しかしやがて決心したようにはっきりとした口調で言う。
『実を言うと今の状況だと意識がはっきりしてる。記憶も?』
「どういうこと?」
『さっき私は一日の一部だけ意識があって、ほかの時は曖昧だって言ってたよね? それは実際は「こちら側」にいる時こそ意識がはっきりしていて、現実だとそれを忘れているってこと。私にとっては現実こそが夢のような存在であやふやなの。頑張ればかろうじで思い出せるから日記をつけているからあなたのことを思い出せるの』
「あなたにとって私は夢の中の存在ってこと? 本当にそれでいて私を信じられるの?」
『うん。信じるよ。だってそのほうが論理的に正しいから。私が現世にいた頃も、夢が論理的に正しかったら、夢が現実だと信じていた。でもそうじゃなかったから」
そんなことってあるのだろうか。確かに綾瀬名は昔から夢見がちなところがあった。だからと言って夢のほうを信じるなんてあり得るのか?
いや、そもそも彼女の言っていることが本当なのかすらわからない。
「それはつまり……自分が何で幽霊になったかもわかってるってこと?」
『うん』
「それはつまり、死んだってこと」
『うん』
嘘だ。と私はつぶやく。目の前にいるものは私を騙そうとしている。彼女は私の反応を見て楽しんでいるのだろう。
……いや本当にそうじゃないのか? そうじゃないと証明できるか?現実を見つめたくなくて疑ってるみたいな雰囲気を出しかけたが、そもそもの話こんなあいまいな姿を信じていいのか?
そう思うと、怒りが湧いてきた。
「あなた、私の質問にいくつか答えてくれる?」
『なに急に……ああ、疑ってるのか……うーんどう証明すればいいのかな……』
綾瀬奈と思しき存在はわざとらしく(?)思案している。私はいら立ちを覚えてそのまま言葉をつづけた。
「高校のころやっていた部活は?」
『ワンゲル部だねえ。女子はうちの県内では少ないから地区大会に参加するだけでインターハイに行けたんだよね。でも全国の強豪には歯が立たなくて、最下位位だったけど』
実に幽霊らしくない具体的な回答だった。たいていの人なら『ワンゲル部の大会って……山登りで何を競うんだよ。あっ、ボルダリングのほう?』と聞いてくる。まあ一番初めにそれを聞いたのは私だったが。
「そういえばそんなこと言っていたね」
『次の質問どうぞ』
「あなたが二作目に書いた小説のタイトルは?」
『えーっと主人公である小説家は「作者の意見と登場人物を混合する者」を殺して回るスラッシャー小説。主人公自体は作品の意見もまた作者が作っているって考えなんだけど、それはそうとして、信念なくネットの書き込みや評論家を殺して回るの。これにより私自身の意見と小説内の登場人物の意見を一致させずに否定できるというメタフィクション構図になっていて……』
「改めて聞くとひどいね……」
怪異的なものは私の記憶を覗き見るだとか、綾瀬奈の記憶を読み取ってるとか無理やりこじつけて疑うことはできるかもしれないが、語ってることがばかばかしすぎて、疑う気にもなれないことだった。どうやっても怖くはならない流れだ。だからこそ私はそのまま確信の質問をする。
「じゃあさ、あなたはどうして幽霊になってるの?」
『あなたが語った怪談が当たりだったんだよ。私はキセルをした。だからその怪談のルールを破ったから』
「なんでまた……お金に困ってたの?」
『なんか世の中のこと全部どうでもよくなって……後先考えずに旅行に行って豪遊したんだけど……でもやっぱり死ぬとかは怖くて……でも帰るお金もホテル代もないし、今更迎えに来てくれなんて言うのは恥ずかしいし……金融機関で借りるほどでもないし……交番で借りるってのもみっともないし……ちょうど数駅分ほど足りなかったから……』
私は頭を抱える。頭痛がしてきた。
「それで死ぬのなら本当にみっともない」
『うん。でも死んでからこう思うんだ。結局私は生きるのがうまくないから、こういうくだらない死に方はふさわしいんじゃないかって。死ぬのは怖かったけど、生きるのも怖かったから、死んでしまったのなら諦めがつくかなって』
「嘘」
怪談の「おばあちゃん」は最後確かに怯えているように思えた。それは辛い目にあっていたからで、『死ぬのも悪くない』みたいな感情では決してなかった。
『おばあちゃんはおばあちゃんで、私は私だって』
「死んだときのことも覚えてるんだよね? じゃあ説明してみて」
『あなたを怖がらせたくないからこれ以上は説明しない』
「ほらやっぱり怖いんだ」
『でも終わったことだよ。あなたはまだ帰れる。だから恐怖に飲まれずに生きて帰って』
「なんでだよ……」
思わず声が出る。私は確かに彼女のことを整理するためにここに来た。だからと言って、こんな物言いで帰れるわけがない。
「ふざけんなよ! そんなんで帰れるかよ! せめて綾瀬奈の死体でも見せてよ! それなら納得できるし受け入れられる」
『――そう、わかった』
綾瀬奈はあっさりと答えた。初めから答えを用意していたみたいだ。そしてその言葉を聞いた瞬間、私の周りに闇が広がる。先ほどまで見えていた綾瀬奈の姿も、駅舎も、空も、森も、すべてが見えなくなる。
暗闇の中で、私は誰かの声を聞く。
『私の死体を見せてあげる。そこまで言うのなら大丈夫だよね。ひどい状況の私の死体を見ても。必死に怖がらせないように軽いノリを維持していたけど、それももう限界』
背筋に冷たい風が吹く。私はつばを飲み込み、強く頭を振る。
「大丈夫だよ。私はあなたの死体を見つける」
『……じゃあ大丈夫。怪談にとってはルールが大切。私がルールを教えながら進むからこれほど簡単なことはないよ。後は覚悟さえあればいい』
私は彼女の声を受けながら暗闇の中に足を進めた。
山道以外は人の進む道ではないから進んではいけない。
山のものは持ち帰ってはいけない。
決して振り返ってはいけない。
木々の隙間から覗く目と目を合わせてはいけない。
山のものは食べてはいけない。
山の者の問いかけに返事をしてはいけない。
開けた場所から見える峰の数を数えてはいけない。
山には自分の持ち物は何も残せない。
九十九折りを登るときは右足を常に前に出して上ること。
尾根を進むときは手を頭より高くして上ること。
これらのルールを守っていれば、無事帰ることが出来るのだという。入り口はセーフゾーンになっているから、このルール説明自体が実は山のものの語りと言うこと自体は決してない。それぐらいはあらかじめ調べていた。
そして結論から言おう。
私はすべてルールを守った。大抵怪談ではうっかりルールを破ってしまう話が多いが、綾瀬奈のサポートがよかったのと、私が優秀なので何の問題もなく進むことができた。
おそらくこれを帰ってから『怖い話をして』といわれてから話すと「ふざけるな!」「逆張りが面白いと思っている」「たまにいるんだよねあなたみたいな『ホラー』舐めてるやつ」とか言われるかもしれない。しかし実のところ言うと怖かったかと言われればすごく怖かったし、こちらは真剣だった。後ろからかけられる声も、視界の隅に見える瞳も、何もかもが私を震わせた。しかしやはり語るほどの起伏があるわけではないので、あえて語る必要を感じないだけだ。
私はただ淡々と進み、やがて開けた場所にたどり着く。
そこにはたくさんの花が咲いていた。赤、白、黄色、青、紫、色とりどりの花々が咲き乱れている。よく見るとそれらはすべて供花に使われるものであり、渦巻きを書くように広がっていた。
私はゆっくりと歩を進める。すると、綾瀬奈のものと思われる声が聞こえる。
『着いたね』
その声が山の中で聞いた私を惑わせる声と同じものかどうかはわからない。結局のところ反応しないのだから、今はどちらでもいい。
中心部分には虫がたかっているので、そこが目的地だとわかった。
初めは盛った土の上に汚れた布が書けてあるだけだと思ったが、次第にそれ自体が綾瀬奈だと気が付く。ただれた茶色い皮膚が辛うじて残っており、骨が露わになっている。目は片方が空洞であり、ムカデが顔をのぞかせていた。口角が不自然なほど上がっており、無理やり引っ張って笑顔を作っているようだった。腹部分の肉は完全に溶けており、彼女が昔作ったビーフシチューの色を思い起こさせる。下半身がないと思ったが、あたりを見渡すと、木々の上にそれらしきものがひっかけられているのがわかる。私は手を合わせることもなく、綾瀬奈の残骸に近づく。
突然花園から物音がした。
警戒してあたりを見回す。音は大きくなり、花園全体がうごめいているように思えた。
(違う……)
うごめいているように見えるのではない。実際動いているのだ。供花一つ一つが虫が擬態している。そして綾瀬奈にまとわりついていく。
菊の花が。百合の花が。桔梗が。水仙が。蘭が。竜胆が。大飛燕草が。
彼女の肉をえぐるように中に入っていき、そして別の穴から出ていく。花たちは綾瀬奈の肉と血で汚れていく。そして定期的に彼女の周りを飾っていく。
この一連の動きに何の意味があるのかはわからない。それで彼女の死体から目をそらせなかった。
そして胸に刃物が刺さっていた。
私は静かに悲鳴を上げそうになり蹲った。
ようやく落ち着いたころ、涙を押し出すように頬から流した。手で地面にこぼれないようにふき取る。なぜか花園に垂らしたくないと思ったからだった。改めて綾瀬奈の死体を見る。その顔は笑っていて、どう見ても不気味だ。とても幸せな死には見えない。
『いや笑いながら死ぬタイプのホラーって、「実は苦しんでるけど顔だけ笑ってる』ってのと、「麻薬的な快楽が一気に押し寄せて笑ってるけど他人から見たら怖い」みたいなのの二種類あるけど、私は後者だったから。客観的に見たら怖いかもしれないけど、主観的に見たらそんなだったよ』
そんなだっった、とか言われても、麻薬で死ぬのは普通に怖いが。嫌陳腐な言葉で矮小化しようとしてるのだろうけど。
『それで納得した? あっ、答えなくていいから』
私は返事をする代わりに、花の集まりに向かって一歩踏み出す。そして彼女と出会った時のことを思い出した。
そんな感傷に浸っているのも花が葬式のように飾られているから?
それとも彼女が目の前にいるからだろうか。
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