1-3 おじさんの形の怪異

 私は怪談を話し終わったばかりなので、どこか別の世界に行っていたような感覚を味わっていた。まるで、話に取り込まれたような……。これは怖がり特有の特性かもしれない。秋穂などはホラーが好きだが、やはり数を見てるせいで昔ほどは怖がれなくなったために、私のことがうらやましいなどと言っていた。

『なんか』

 私が語り終えると、綾瀬奈はすぐに口をはさんできた。どこか疑問が残るようだ。

『体験談と言うには結構がっつりホラー系に近いというか。「実際にあったことです」って体だとやっぱりもしかしたら本当にあったかもしれない、という質感を保つために「さりげなさ」があると思うんだけど、これはがっつり怖い目に合ってるせいで逆に信ぴょう性が低いね』

 怪談評論家みたいなことを言い出す。

「それ幽霊として存在してるせいでリアリティもかけらもない綾瀬奈が言う?」

『それはこれこれはそれ。おばあちゃんの電話が切れるくだりなんかは「暴」の雰囲気がすごくて、邪道臭い』

「じゃあこれは作り話と言うことで、再現はしないということ?」

『いや、せっかく徹夜して調べてくれたんだし、わずかな可能性でも確認していきたい』

「じゃあ再現するってことは……もしかしてキセルするの? 犯罪行為はダメだよ」

『もともと無人駅はキセルにあいやすいので、あらかじめ駅を張っていて、無賃乗車を決行する人が現れたとき後をつけるって言うのは?』

 もちろんこれは私が何日もこの駅を張り込むことはできないので、綾瀬奈が幽霊としてとどまりながら見張るということだろう。しかし一日の記憶があいまいなのに張り込めるのか?

「それにこの話の中のおばあちゃんが降りたの本当に現実にある無人駅なの?」

『あー、降りた先は異界だった的な文法? 私も話しながらその可能性はちょっと考えた。まあ細かいこと考えても仕方ないよ。やれることがわからな過ぎて、一個一個やっていくしかないよ』

 実際の所本当にそうなのだろうか? 自分にできることと言いながら、お遊び程度のことをやってるだけではないのか? 本当にやるべきことは警察に届けて綾瀬奈を探すことなのではないのか? 現実逃避……自分のやってることはそれ以外の何物でもないという考えがたびたび浮かぶ。

 しかしそれでも目の前にいる綾瀬奈から目をそらすことのほうが現実逃避なのではないだろうか。あり得ないものが前にいるのならば、あり得ないことを切り捨てることこそ間違っているのではないか。

 私は静かにうなずく。

「……わかったやろう」


 私は無人駅を後にする。曲がりくねった道を進みながらふと思う。

 このまま帰って同居人たちにする言い訳を考えていなかった。憂鬱な気分になり、綾瀬奈と話していたことがいかに楽しかったかを思い出させる。彼女がいなくなってから部屋内に少しギスギスとしたものが漂っていた。部屋に帰りたくない、と言う気持ちが募るばかりだ。

 ならばいっそ帰らなくてもいいのではないだろうか。私は路肩にいったんバイクを止める。

 先ほどの無人駅は山の中にあるために、次の駅にはそれなりの時間がかかる。もしかしたら日が沈む程度の時刻になるかもしれない。それは好都合だった。


 □ □ □


 犯罪行為をしたことがないわけではない。子供のころは近道のために私有地を通ったりもした。自販機に残っていた百円玉を拝借したこともある。しかし無賃乗車ともなると緊張が高まる。監視カメラで見られているので、この後警察が来るのではないかとか、警報が鳴り響くのではないかと不安になる。私は駅の駐輪場にバイクを止めて、ホームに立った。すでにあたりは真っ暗になっており、駅内の光に照らされた場所を人々が行き交っている。観光地でもあるので、結構な賑わいだ。しかし帰宅ラッシュは過ぎているのか、私が向かう方向への利用者は少なかった。私はベンチに座って電車を待つ。

 私がこれから向かう場所には何があるのだろうか。案外あっさりと外に出て、結局何もありませんでした、と言う可能性のほうがはるかに高い。現にこれまでもそうだった。山の中にある祠のお供え物をとるだとか。ご神木と呼ばれている樹木を蹴ってみるだとか。バチなどは当たらず現にこうしてのびのびと生きている。しかし今回に限っては違うかもしれない、という根拠のない予感があった。 

 私は電車に乗り込み、次の駅に向かう。乗車時間は五分もない。バイクで公道を進むと曲がりくねっているので数十分かかるのに。

  偶然なのか、私が乗った車両には自分含めて一人しかいなかった。連結越しに他車両を見ると客がまばらに乗っているのに気が付く。窓越しに外を見ると山の中に入るにつれ。明かりが少なくなっていく。そして、トンネルに入った瞬間、車内が急に薄暗くなり、まるで私だけが別世界に取り残されたような錯覚に陥る。時折トンネルの中に人影が見え、ぞっとした気持ちになるので、あれは自分の姿が窓に映っただけだと言い聞かせる。

 あっという間に無人駅が見えてきた。渓谷を挟む橋の上に立っており、昼とは別の顔を持っているように見えた。暗がりの中ほのかな電灯が点滅している。電車がゆっくりと停車し、扉が開く。私は駅に足を下ろした。


「――キセルか?」


 誰もいなかったはずの車内から男の声がした。完全に不意を突かれたため、声にならない悲鳴を上げてしまった。私は慌てて振り返ると、そこにはTシャツを着た男性が立っていた。中肉中背の中年で外見的な特徴はこれといってない。男は私を追うように、駅に降り立った。私は足を一歩後ろに下げた。

「こんな駅にこんな時間に若い女が降りるなんてキセル以外ないだろ」

 男は責めるようにこちらを見ている。

「いえ、あの……か、彼氏が山登りが好きなんですけど……、この駅に迎えに来てほしいって言ってまして……一緒に帰りたいって……」

 私は必死にあらかじめ用意していた嘘をつく。しかし男は私の言葉を遮った。

「こんな誰もいない場所に彼女を呼び出すの危ないだろ。なあ」

 男が詰め寄ってくる。私はあとずさり、数歩下がった。橋の柵……欄干の部分に背をつく。暗闇で底は見えず、後ろから川の流れる音がしている。このまま下がれば越えてしまえるほど低くはないが、無理やり抱えられば越えられなくもない程度には高くない。

 男の言ってることは一見正論だが、しかしわざわざ降りてまで言うのは奇妙だった。男はいつまでもまくし立ててくる。暗がりで表情はよく見えない。

「じゃあな、その彼氏に連絡して見ろよ。出来ないんだろ? どうせ嘘なんだから。そんなバレバレの嘘で騙せるって世間舐めてるだろ」

 私は完全に逃げ場を失っていた。冷や汗をかき、夜の風が寒気を誘う。私は意を決して言った。

「えっと……その……本当に迎えに来ただけです。だからもう許してくれませんか?」

「許してってことはやっぱりキセルなんだな。やっぱり犯罪者か」

「違いますって。いい加減にしてください」

「おい、何黙ってるんだよ。何か言えよ」

「こ、答えてるじゃないですか。何言ってるんですか?」

「無視すんなよ!」

 何か話がちぐはぐだ。まるで別のものと話しているかのような。今話しているのは本当にキセルを咎めに来た男なのだろうか。いや、そもそもこれは人間なのか。男の顔をよく見ようとすると、どうもしっかりと像が結ばれない気がした。目をそらしたり、瞬きをするたびに別の顔になってるような気分になる。

 私は恐怖心を抑えながら、大きく息を吸った。手を握りながらゆっくりと口を開く。


「証拠がある、って言ったらどうしますか? まあ当然切符を見せるということなんですが」


 男の声が一瞬固まる。しかしまた動き出す。まるで何かのシーンの逆再生のように違和感があった。

「おい、何黙ってるんだよ。何か言えよ」

「もしキセルじゃなかったらどうしますか。責任は取ってくれるんですか?」

「おい、何黙ってるんだよ。何か言えよ」

「私はいきなり詰め寄られて恐怖を感じました。次に電車が来たら駅員に連絡させてもらいます」

「おい、何黙ってるんだよ。何か言えよ」

「――同じこと言ってないでこれを見ろって言ってんだよ!」


 私は切符を取り出し、勢いよく男に見せつける。

「はい、これが何だかわかりますよね?」

 私は男に言い聞かせるように話す。すると男の動きが止まった。

「……」

 男はゆっくりとこちらに近づいてくる。そして私の持っている切符に手を伸ばす。そのまま奪い取るのかと思ったが、男はじっと眺めているだけだった。


「ふべぬか」


 奇妙な言葉をつぶやいたかと思うと、私が瞬きをした瞬間に消えてしまった。

 私は驚き、周囲を確認する。しかし先ほどの男の姿はどこにもなかった。川の流れが響くばかりの何の変哲のない無人駅があるだけだった。電灯に虫がたかっているのがわかる。

 荒い息を整え、鼓動を鎮めようとする。私はその場にへたり込んだ。そして握りこんだ切符を見つめる。駅員に問われたときに、無線乗車じゃないと言い訳するためにはるか先の駅まで取っておいたものだった。おそらく今見たのは怪談に出てきた存在と近いものだったのだろう。しかし私はキセルをしようとしていたが、先のほうまでの切符を持っていたので矛盾を起こして消え去ったのだ。そう考えると、ここは「当たり」と考えてよかったはずだ。

 しかし、恐怖で足がすくんで動けない。まだ実行していないというのに。これで本丸に入ったらどうなるというのだろうか。何とか自身をふるい立てようとするが、どうもうまくいかない。しかし進まなくてはならない。

 アプローチを変えてみようか。恐怖を和らげるにはどうすればいいか。恐怖に強そうな人を思い浮かべる。例えばホラー映画好きの秋穂だとか。

 彼女は私よりは恐怖に耐性があるだろう。フィクションと現実は違うが、自分を騙すのには使えるかもしれない。

 秋穂はホラー映画に慣れてそうだが、そう見えるのは毎回恐怖に対して評価をしているからに見える。『ジャンプスケア使い過ぎ』『怖がらせ方がワンパターン』『質感がチープ』。そんな偉そうに語る彼女を見て、「へーすごいなー」みたいな気分で聞いていたが、これは真似できるのではないだろうか。

 怪談を評価する。そうすることによって恐怖を和らげる。

 昔秋穂が言っていた言葉を思い出す。

「嫌いなんだよね。『本当に怖いのは人間でした』って話。人間が怖いのは認めるけど、幽霊とか超常現象のほうが怖いほうが好きだよ。逆に言うと人間のほうが怖いをやりたくないがために、幽霊として処理したけど、『これ、人間だったほうが怖かったよね』って話はがっかりする。人の想像力の限界を感じるね」

 今起きたことはこれに当てはまるのではないだろうか。正直説教にかっこつけて、一緒に夜の無人駅に降り立つ男のほうが怖い。

 だから今の怪異的なものは大したことがない。

 そう考えると自然と恐怖が薄らいできた。肩を触ってみると、もう震えていない。    

 私は立ち上がり、改札口に向かう。

 古ぼけた駅舎に、不似合いな最新型の改札機が一台だけあるが素通りし放題だった。人の善意を前提とした作りだ。私はそのまま進む。

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