チュートリアル
1-1 ルームシェアの幽霊
シェアハウスをする場合、他人というストレス要素をトラブルへとつなげないためには関係をしっかりと定義する必要がある。特に信愛もなく、メリットだけを優先し、互いに無関心を貫きたい場合でも、生活圏が重複しているのだから半端なルールでは、ふとしたきっかけが諍いへとつながる。信頼できる者同士であるのなら、互いのリスペクトにより価値観の違いを自身のアップデートにつなげる、と言うのが理想ではあるが、理想でしかなく、そうありたくはあるが、限界はある。
過去二回のルームシェアをへて二種類の関係を構築したが、それでなお三回目にいどむのは過去から学び「今回こそは大丈夫だ」という自信から、というわけではなく、単に経済的な理由だった。
「ちなみに、片方はどんな理由で崩壊したのですか?」
と新しいルームシェア相手は訪ねてきた。情報の共有である。
「片方だけでいいの?」
「話したくなければいいんですけど、比較的話してもいいほうだけでも聞きたいなって」
「なるほど……」
何が成程なのかわからないが、確かに両方話す気はなかった。私はできるだけ簡潔に話を頭の中でまとめようとする。
「無線RANが一緒だったおかげで匿名掲示板のIDが一緒になり、自作自演扱いされて、書き込んでいた内容もお互い酷かったから」
「ああ……もう一つのほうはより一層聞きたくなくなりましたね……」
そんな同居人の
「ただグロ系が好きだと、『書いてるものはアレだけど、実はいい人だよ』みたいな評を努力して広めようとする人と、そうでない人がいるけど」彩花は長い髪の毛をいじりながら、こちらを見ている。「幹美先輩は後者ですよね。私は一応前者なんだけど」
「やっぱり気に入らない?」
「そうでもないですよ。ただ理由はあるのかなって。総本山みたいな人が燃えてからもうあきらめた感じですか?」
「いや……理由は特にないけど」
あんまりな回答だったので、もう少し考えてみる。しかし答えは出なかった。
「それはそうと、ソースがべったりついた箸をそのままテーブルに置くのやめない?」
「はい……すみませんね……」
彩花は箸を治しながらも、心ここにあらずと言った表情をしていた。
無理もない。同居人の一人が行方不明中なのだから。
□ □ □
借りていた部屋に幽霊が出ると同居人の一人が言い出した。
「いや本当に出たんだって綾瀬奈先輩の幽霊ですって! 警察行ったほうがいいって!」
少女と言ってもいい外見をした女性が、手を大きく振りながら言い出す。彼女は大学生だが、背が低めで幼さを持った顔をしていた。私たちの中では一番年下なので、少女扱いされることもよくある。
彼女――工藤彩花は怯えた表情で話を続ける。
「夜にちょっとおなかすいてコンビニへ行こうと思ったんです……そしたら綾瀬奈先輩の部屋から物音がして……もしかしたら帰ってきたのかな……ってなって、そのまま部屋に入ったんですけど、やっぱり誰もいなくて……あーやっぱり気のせいかなーと不気味に感じつつもリビングに向かったら見覚えのある後ろ姿が……でも近づいてみたら誰もいなくて、玄関の鍵も締まってたから誰かいた様子はないんです」
それを聞いて一緒に聞いていた、西塔秋穂は玄関に向かいカギを開け閉めしてみる。音が部屋内に響いて、かなり離れていても閉めたらすぐにわかる。
「確かに」と秋穂は言った。「綾瀬奈が実際に帰ってきて、玄関から逃げたわけじゃなさそうだね」
「だからそうだったらすぐにわかるって言ってるじゃないですか!」
「ごめんごめん」
「もう!」
ひょうひょうとした秋穂の物言いに彩花が怒る。それを横目で見ながら私は顎に手を当てて考える。とりあえず思いついたことを口に出してみる。
「その……彩花、あなた何か薬的なものをやっていたとかは」
「やってませんよ! なんてこと言うんですか! わたしは健全な大学生活を送っていますよ!」
力強い言葉だったが、入学当初マルチ系のサークルに引っ掛かりそうになっていたところを、私たちが説得して止めた経験からみると『健全』さの説得力は薄いほうだった。とはいっても、それ以後はおかしい話は聞かないが。
「まぁそれはともかくとして、彩花はやっぱり綾瀬奈が死んだという考えが強いのかい?」
秋穂はそう言いながらリビングの中に隠れられるような場所がないか探している。この部屋の作りだと、クローゼットに隠れることも難しいだろうが。
「そりゃ……いや……そうは思いたくないですよ。でも消えたのは事実ですし……生霊……なんですかね」
「もっとも彼女が本当に帰ってきてていたずらをした。とかのほうが救われるけどね」
「うぅ……」
物思いにふけっていると、電事連時から音が鳴った。秋穂が向かいホットミルクを取り出した。彩花のためにいつの間にか温めていたらしい。
「ありがとうございます……」
「うん。そうなってくると警察に連絡しようと思うんだけど、どうする?」
「そうですね……前のことはありますが、一応入っておくぐらいは」
「ちょっと待って!」
二人が話を進めようとしていたので私はあわてて止めた。「警察を呼ぶのはまだ早いと思うんだけど」
「なんで?」
秋穂がこちらを見る。彩花はきょとんとしていた。
「いや、やっぱり前回のことがあるから、あんまり警察に迷惑をかけると悪いし……また胃が痛い思いをしてご両親に報告するのも結構体力使うし……」
「うーんでもそうやって手遅れになるよりは、多少の面倒は覚悟しておいたほうがいいんじゃないかい?」
「いやまぁそうだけど……」
秋葉は煮え切らない返事をする私にいら立ちを募らせる表情を浮かべた。と、そこで何かに気が付いたのか眉を顰める。
「まさか綾瀬奈と連絡とってんのか?」
私は首を横に振る。「とってないよ」
「えっ、連絡とってるんですか?」彩花が目を見開いた。「じゃあ教えてくださいよ!」
「だからとってないよ」
「いやいや、今さら隠すことないじゃん」
「本当だってば。なんで疑うのっ」二人からの疑いの目線をヒステリックになったふりでごまかしながら、私は逃げるように玄関に向かう。「私だって綾瀬奈のこと心配してるのにそれがわからないのかな? ……ちょっと出てくる」
おい、逃げるなよ、等を叫ぶ秋穂を背に私は財布だけ持って外へ向かった。いくらなんでもこれは苦しいな、と思いつつもいい言い訳が思いつかない。それでも帰ってくる頃にはちょうどいいごまかし方を思いついているだろうと、バイクに乗りさっそうと街に出かける。
ここら一帯は山に囲まれた半分田舎と言った風景で、国道沿いからずれると一気に建物の数が少なくなり、住宅地の隙間を縫うように畑が敷かれているのを目にする。ラブホ外のそばを通り抜け、山間に入り数十分ほど走らせた。目的地は無人駅だった。駅に近づくにつれ、徐々に人気がなくなっていく。平日昼間のせいもあるだろうが、この辺りには住んでいる人が少ない。寂れた雰囲気の中、無人の改札をくぐり抜ける。
ホームを歩くと、錆びたベンチと自動販売機があった。それを見て、自販機で飲み物を買ってからベンチに座って待つことにした。近くの渓谷から川のせせらぎと木々の揺れる音がする。
ポケットから携帯電話を取り出し、メールボックスを開く。着信履歴を見ると、先ほどの二人から何件も連絡があった。私はため息をつく。
『大変そうだね』
私は耳を軽くなでて、眉間にしわを寄せた。ヒバリの鳴き声のように優しい声だったが、私はいら立ちを隠さずに答える。
「他人事みたいに……」
『ごめんごめん。ただ、昔みたいだねって。ほらが高校生だったころ一緒に授業をさぼって』
「あの時も全部私ばっか怒られてた気がする」
私がそう言うと彼女は笑った。
『そういえばそうだね。それであなたが私を怒って』
「怒るのも怒られるのも嫌な私としてはちっとも釣り合ってない」
『そうかな?』
「そうだよ。まぁいいけどさ。いやよくないけど」
『どっちだよ』
彼女がおかしそうに笑う。私は肩を落とした。そしてまたため息をつく。
「もうそろそろいいんじゃないの?」
そう言って目の前の何もない空間に向かって話しかける。するとその場所にノイズのようなものが走り、次第に女性の像が浮かんだ。彼女はダウンジャケットを着ており、ジーンズに包まれた足を抱くように宙に浮いている。ウェーブがかった栗色の髪の間から、アーモンドのような形の目が覗いていた。今にも消えてしまいそうな雰囲気を出しているが、表情は明るい。
『いやー慣れたもんだね。最初にあった時は驚きすぎて腰を抜かしてたのに』
「あんただって、やって会話が通じたって感涙してたでしょうに」
そう言うと、綾瀬奈は口をとがらせて反論した。
『いやいや、それは仕方がないでしょ。ずっと一人だったから……』
綾瀬奈は悲しそうな顔をする。時折走るノイズが表情を照れ隠しのように走る。しかし思ったより長く、二度と晴れないのかと不安になったころに、ようやく元の彼女の顔が現れる。私は自分の手を固く握っていたことに気が付き、慌てて開いた。
「やっぱり死んじゃったの?」
『多分……覚えていないんだけど、生霊とか幽体離脱だといいんだけど……』
「……大丈夫?」
『うん……なんとか……』
綾瀬奈は無理に笑って見せたが、その笑顔はすぐに崩れてしまった。私は彼女の横に移動する。彼女の体がかすかに震えているのを感じた。
「いやいや泣きたいのはこっちだって」
『そうだよね。死んだ人より生きてる人のほうが悲しいよね』
「またまたそういう嫌味を」
私は今日何度か目のため息をつく。
和葉綾瀬奈の霊を見つけたのは彩花と同じような経緯だった。綾瀬奈にゆかりのある場所を探すために実際に無人駅に降りたところ、何か不気味な影を見つけた。そのまま逃げようかと思ったが、どこか懐かしい雰囲気もあったので、近づいてみたらどう見ても和葉綾瀬奈の幽霊と言うべきものだった。最初こそは驚いていたが、すぐに事情を聞くと、綾瀬奈はやっぱ私って死んだのか……』と驚いた様子でつぶやくだけだった。「それにしてもなんでこんなところにいるの?」
『私もわからないんだよ。なんか気づいたらここにいて、でも最初は怖くて動けなかったの。誰か来たら成仏できるかもって思ってたんだけど誰も来なくて。そのうちだんだん落ち着いてきて、あーこれって私死んでるのかって感じで。でも一日の何時間化はなんかこの世界とのつながり?みたいなのがあいまいっていうか、意識がふわっとしてる。だから退屈さとか感じてはいない』
「それって怖くない? 自分が自分でなくなるような感覚とかない?」
『怖いってことを感じる器官が、なんかもうふわふわしてる気がする』
「じゃあ、もうちょっとしたら消えるかもしれないね」
『えっ』綾瀬奈が私のほうを見る。『どういう意味?』
「いや、だってさ。自分の存在が不確かになるんでしょう? それなら、いずれは自然消滅的な? もしくは、存在が消えて無くなる? みたいな」
『やめてよ!』
綾瀬奈が叫んだ。その声は悲鳴に近いものだった。私は思わず耳をふさぐ。
『そんなの絶対やだよ! まだやりたいこととかいっぱい残ってるし、それにみんなにお別れも言えてないし、お父さんとお母さんとも会いたいし、友達と遊びに行きたいし、もっと色んな人に褒められたいし、あとそれから……』
いや全然怖がる器官消えてないじゃん。と言いたいところだったが、幽霊である綾瀬奈の言葉が支離滅裂なのはこの一か月でよく理解していた。
『とにかく私は死にたくないよ。まだまだ生きたい』
綾瀬奈は必死に訴えかける。
「まぁ気持ちはわかるけどさ……でもやっぱ幽霊になってる以上、『まだ死んでない』は望み薄じゃないかな……私だって生きててほしいけど」
『そうだけどさ……』
綾瀬奈は肩を落とす。
「一応……素人考えだけど、何個か案は考えてきたんだけど」
『ほんと!?』
綾瀬奈は目を輝かせる。私はうなずいた。
「まずは解釈を変えてみる?」
綾瀬奈は首をかしげている。どうやらよくわかっていないようだ。私は話を続ける。
「さっき生霊かもしれないって言ったよね。幽霊ってのは観測により成り立ってるから、そう思い込めば変えられるかもしれない」
『あーシュレッダーの猫ってやつだね』
「全然違う」
『えっ違うの?』
「私はね。ただの確率論とか精神論とか信仰の話を量子学的にこじつけるのが嫌いなの」
『シュレディンガーをシュレッダーと言い間違えたツッコミどころ無視してガチギレじゃん』
「いいから聞いて。それで、いろんな方向から綾瀬奈を定義して、みるってこと。例えば、異次元に閉じ込められていて、今見えているのはその断片だとか」
『なんかあいまいだね。もうちょっと設定詰めてもらっていいですか?』
「いやそこまでよくわかってないけど……ただ幽霊だって同じくらい曖昧なものだし、同じあり得ないものであるのなら、同じくらい確率はあるはず」
『それ競馬は当たるか外れるかだから確率は50%って言ってるのと同じじゃない?』
「うるさいな……」
私のぼやき声にかまわず綾瀬奈が急かすようにせかす。私は仕方なく説明を続けた。
「また別の説を出すけど、やっぱり綾瀬奈は生霊じゃなくて、普通の霊だけど、今はまだ生きてるってこと」
『生きてるのに死んでるってこと? さらによくわからなくなったよ』
「霊って言うのは時系列にとらわれないのかもしれない。だから今後死ぬことになるかもしれないけど、今は生きている。はたまた、死ぬことになってるけど、歴史を変えて死なないことに出来るかもしれない」
『できないかもしれない?』
「……結局のところそうだね」
正直大した根拠もなくあーだこーだ言ってるに過ぎなかった。こんな証拠もなしに「かもしれない」だけを並べても何か進展が見込めるとは思えなかった。それでも何かできるかもしれないという思いの元、手を動かしている。わかるのは何もできないということばかりだったが。これがただの幻覚や白昼夢だという可能性もあるが、そうであるのならそれほどまでに嬉しいことはない。
「まぁ、あくまで可能性の話」
『うん、ありがとう。ちょっと希望が出てきたよ。なんか生きる気力出てきたかも』
綾瀬奈は微笑んだ。本当かよ、と私は聞こえないようにつぶやく。
「……やっぱり前回の同じのしかないか」
『あっ、また調べてきたんだ。ありがと』
「まあこれも根拠は薄いけど」
私はそう言いながらプリントアウトした紙を取り出す。紙面には個人サイトなどを巡って見つけた体験談が書かれている。そしてその内容は主に『恐怖』をテーマとしている。つまりは怪談だ。「都市伝説とか、怖い話とか、もしかしたら本当のことが書かれてるかもしれない。からそれをなぞってみる。いつものように」
『ご苦労様です。怖がりのくせに』
「綾瀬奈のほうが怖がりじゃん」
『怖がられる対象になっちゃったからねえ』
雑談で無限に脱線しそうなので無理やり話を戻す。つまりは怪談の中に何かヒントがないか探すということだが、それは私にとってはかなり難易度の高い行為だった。なにしろ怖い話が苦手なのだ。それでも薄目を開けながらホームページを渡り歩き、図書館を探し回った。今日は無人駅に関する怪談で、万に一つこの駅かもしれないかもしれないということでピックアップしてきたものだった。
「じゃあ始めるね」
『お願いします』
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