3.1:Kidnapping - Epi39
8時方向……って、軍隊用語でもあるまいに、亜美も自分の頭の中で時計を描きながら、8時方向になりそうな角度に、チラッと、視線を向けてみた。
あまりわざとらしくなく、目立つような仕草でもなく。
階下には、前列に並んだ紳士達や淑女達がたくさんいる。でも、ほとんどの男性が黒いタキシードを着込んでいるから、タキシードだけで探す相手となると、無理がある。
「こっち、向いてる人?」
隣に座っているクインが更に亜美の方に顔を近づけてくる――まるで、仲の良い恋人同士の振る舞いであるかのように。
「足を組んで、偉そうなヤツがいるだろ?」
「いる、かもしれないなぁ……?」
「ヤツから目を離すなよ」
「見張ってろ、ってこと?」
「見張る必要はない」
亜美は素人だ。そんな人間に、テロリストに関わりのある男を見張らせるほど、クインも落ちぶれてはいない。
「ただ、下手に近づくなよ。絶対に関わるな」
これは、ただの指示――なんてものじゃない。絶対命令に近いはずだ……。
それで、クインの話を聞いているような素振りを見せながら、亜美は微かにうつむき加減で、クインの顔の方に自分の耳を寄せていく。
「危ない、人なの……?」
「そうだ。ラディミル・ソロヴィノフ。要注意人物だ」
クインが警戒を露にするほどの人間――なんて……、テロリスト絡み以外、絶対に考えられない。
それを理解してしまって、亜美の背筋が一気に水を浴びせられた気分だった。
ラディミル・ソロヴィノフという男は、年をとった老人でもないし、年配の感じのする男でもなかった。30代前後のまだ若さがみなぎっている、見るからに、金持ちの男だった。
ラディミル・ソロヴィノフの隣には、タキシードを着た他の男性が数人座っている。そこの輪で、なにか軽やかな会話をしているのか、なにかの音らしき声は聞こえてくるが、何を話しているかは解らない。
ロシア語を理解していなくても、そこまで聞き取れるほどの音量でもなかったのだ。
クインは亜美の方に顔を寄せて、恋人が甘えているような、そんな様子で少し寄りかかっているような仕草を見せるが――その瞳だけは、全く違っていた。
ちらっと、クインを見返した亜美の前でも、その瞳だけは隙が無く、警戒を露に緊張した雰囲気がちらほらと浮かんでいる。
亜美の気のせいではなくて、たぶん、今のクインなら、その全身から警戒している気配を隠していたとしても、亜美には全く不思議はなかった。
だって、さっきからずっと……クインの隣に座っているだけで、なんだか落ち着かなく、ソワソワとしてしまう気持ちが抜けなくて、それでいて息が詰まりそうな感じで……あまりいい気分だとは言えなかった。
(クインが、本気みたいだよ…………)
ファッションショーが始まろうが、輝かしいドレスがオンパレードで紹介されようが、今の亜美は、とてもでもないがパーティーを満喫できるような余裕などなかった。
* * *
時間を確認すると、会場入りしてパーティーが始まってから、1時間半ほどが過ぎていたのだろうか。
今は30分の小休憩に入り、それからセカンドパートのショーが始まるらしい。
30分もの休憩があるから、ゲスト達はバーに向かってドリンクを注文したり、軽食が並んでいるビュッフェへと向かったり、賑やかな喧騒が降りている。
亜美とクインが座っているテーブルには、他のゲストも一緒にいたが、ショーの間は、特別、その人達と喋る必要もなかったので、全く見知らぬ人に囲まれていても、誰一人、亜美とクインを不審がる者はいなかった。
その事実にホッとしたのも束の間。1時間半程のショーを見ても、エンジョイする気分でもなく、余裕もなく、きれいなドレスで着飾ったモデル達が次から次へと出て来たものだが、亜美はその半分以上を覚えていない。
「休憩の間、おトイレに……行ったら、ダメかな……?」
この会場に入ってからずっと、亜美は緊張のし過ぎでソワソワと落ち着かないので、テーブルの席に着いたまま、次の30分を黙って座っているのも、亜美には無理があった。
ちょっとお化粧直しとか、廊下で気分の入れ替えとか……その程度の違った動きでもしないと、長々と座ってなどいられない。
クインは無言で立ち上がる。どうやら、亜美のお願いは聞き入れてくれたようである。
「俺は階下を確認してくる」
「うん、わかった」
「俺がいなくても、先にテーブルに戻ってろ」
もしかして……クインの“確認”は、時間を要するものなのだろうか。
「わかった」
「もし――」
ドアを通り抜けて、廊下に出て来たクインは、そこで、一度足を止めていた。
そうやって……言葉を濁したり、中途半端に言葉を切ると――サスペンスが長引いて、心臓に悪いじゃないか……。
「なに……?」
「万が一の際は、脱出方法を説明しただろ」
「うん、したね……」
ホテルを出る前に、口早に、ペラペラペラペラと、一気に説明されたことだ。おまけに、それだけ早口で説明し終えているのに、そのたった一回の説明だけで、
「しっかり覚えておけよ。絶対に忘れるな」
なんて、念を押してくるクインの理不尽さに、亜美も閉口ものだった。
「万が一、非常事態だと判断したら、躊躇せず脱出しろ」
「あなたの、ことは……?」
「俺のことは構うな。合流できなければ、俺を無視して、脱出しろ。ホテルに戻れば、救援部隊が待ってるはずだ」
いつでもどこでも準備万端で、“お助けマン”だって、遅刻もせずにやって来る、と……?
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