またのご来店を
ぶつけたい思いが次から次へと涙になって流れ落ちた。
ミズキさんはそんな私を、少し離れたところで麻婆茄子を食べながら、優しく眺めていた。
「落ち着きましたか」
はい、と返事をしようとして声が掠れたので、こくりと頷いた。
「こちら、よかったらどうぞ」
ミズキさんは私の前にことりと、バニラアイスを置いた。
「言葉は不使用ですので、ご心配なく」
少しだけ溶けかかったアイスに、スプーンは抵抗なく潜った。甘すぎず、冷たすぎない。美味しい。トッピングも何もないただのバニラアイスがちょうどいい。
泣きじゃくって熱くなった体と頭痛が、ひんやりと治まっていくのを感じた。
「美味しいです」
「ありがとうございます」
ミズキさんが想像以上に明るい顔をして喜ぶものだから、つい付け足した。
「あの、麻婆茄子も、不味かったとかじゃなくてほんとに美味しかったです、飲み込んだら辛かっただけで」
「分かっております」
ミズキさんは少しだけ、顔を歪めて続けた。
「言葉は、一つとして同じものはありません。たとえ同じセリフだとしても、言う場面や相手、込める思いは人それぞれだからです。だから味も、全て違います。麻里様への贈り物は、量をもっと気を付けて使うべきものでした。誠に申し訳ございません」
「いえ、そんな、気にしないでください、本当に美味しかったですから」
「ありがとうございます」
しばらく、無言でアイスを掬う時間が続いたが、ふと疑問に思ったことがあって聞いてみることにした。
「あの、言葉から取れる調味料は世界に一つしかないんですよね」
「その通りです」
「じゃあ、あの棚に売ってる調味料は全部、普通の調味料なんですか?」
「いえ、あれは全て贈り物から取れた言葉でございますよ」
「一点ものですか?! 相手に渡していないんですか?」
「ご安心ください、当店ではどの言葉も、責任を持ってお渡ししております。麻里様、よく見ていてください」
そう言うとミズキさんは、さっきの私への贈り物から一粒取り出すと、カウンターから小さな植木鉢を取り出して、その小さな赤い粒を埋めた。
「ここからが面白いんです」
ミズキさんは心底楽しそうに呟くと、ぽんと手を叩いた。土が盛り上がり、にょきっと緑色の芽が出た。驚く間も無く、その芽はまだにょきにょきと伸び続け、青々とした葉が茂り、その間から一際長く伸びた茎に、真っ赤な花が咲いた。
「えっ」
「この花が大事なんですよ」
ミズキさんが花に触れると、花びらだと思っていたものはみるみる閉じ、ふわりと膨らんだ。ミズキさんはその実を遠慮なくむしり、お皿の上で割った。すると、中から、真っ赤な粒が五粒ほど出てきた。
「これが、麻里様への贈り物と同じ種類の言葉です」
「……」
驚いて言葉も出ない。今日は魔法のような何かを見せられてばかりだ。
「もちろん、阿部先生からの言葉は唯一無二ですので、食べる人によって思い出す言葉は違いますが、辛味のある言葉が聞けるというのは同じになります。普段からこのペースで育てると私も体力が持ちませんので、いつもはこうして店内に飾っております」
私がこの店に来た時に観葉植物だと思っていたものは、全て『言葉』だったのだ。
「ところで、麻里様、贈り物は受け取れましたか? 辛味のある言葉というのは、消化に時間がかかるものが多く、先ほどのように取り乱すお客様もよくいらっしゃいます」
「あ、いや、あの、……分かりません」
「と言うと」
「分からないんです、どうしてあんなことをどうしても伝えたかったのか。昔言われたこともありますし、大した助けにもなりません」
「そうですか……」
「泣くのは甘えだ、て言われたんです。そう言われても、私は泣きたくて泣いてる訳じゃないし、だからって今すぐ泣き止める訳ないじゃないですか」
「麻里様への贈り物ですから、麻里様が解釈するべきものですが……それは、泣くなと言いたい訳ではないのでは?」
「どういうことですか」
「私は今までも何度か阿部先生からの贈り物をお預かりしたことがありますが、生徒に向かって甘えるなと切り捨てるような方ではないと思うのです。その言葉を甘えるなと取ることも出来ますが、他にもっと伝えたいことがあったのではないでしょうか」
「そうなんですか」
ミズキさんは困ったように、だが少し楽しそうに笑った。
「これ以上は私の口からお伝えするべきではありません。贈り物は代金をいただきませんので、持ち帰ってお好きなように使っていただいて構いません。是非、きちんと消化してくださいね」
「は、はい。頑張ります」
ミズキさんはまだ何か言おうとしたが、突然どこからか、
ガラン、
という音が鳴った。
鐘が鳴ったような音だ。
ミズキさんはハッとした表情で当たりを見回した。
「今のは?」
「今の音は、ご依頼が入った合図でございます。誰かの思いが、『言葉』としてこのお店に来た音です。大変申し訳ないのですが、私は一仕事しなければなりませんので、本日はこれで」
「は、はい」
慌てて席を立つと、ミズキさんは小瓶を、袋でくるんで渡してくれた。
「ありがとうございました。またのご来店を心よりお待ちしております」
「ありがとうございました!」
お店を出ると、むわっとした熱気に、現実に引き戻されたような感覚に包まれた。
不思議なことだらけで、でも確かに小瓶が私の手の中にあった。
少しだけ心が軽くなったところで、大人しく家に帰ることにした。
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