お召し上がりください

 ミズキさんはパチリと音がしそうなくらいのウインクをして、さっき私に渡した小瓶を奪った。

 カウンターの中からまな板や包丁、色々な調理器具を取り出して、ミズキさんはおもむろに料理を始めた。

 とんとんとん、と小刻みの包丁の音、ジュウジュウと鳴る鍋の音、そして晩ごはんの時のようないい匂いに、どこか懐かしさを覚えた。

 ミズキさんは迷いのない動きで、テキパキと進めていく。

 箸で鍋を定期的にかき混ぜながら、ナスを取り出してスパスパと包丁を入れると、鍋に放り込んだ。徐々に油が回って、ナスの皮に艶が出てくると、ミズキさんは火を止めた。

 そして、私への贈り物らしい小瓶を開けて、パラパラとひとつまみほど撒いた。


「愛情が充分あるのであまり心配しておりませんが、もしかすると麻里様には辛く感じるかもしれませんね」


 と、ミズキさんはもう一度、今度はとろりとした鍋の中をかき混ぜながら言った。


「はい?」

「食べてみれば分かりますよ」


 ニコニコしながら、お玉でナスを掬い上げ、お椀に入れて差し出した。


「お待たせしました。特製麻婆茄子でございます。熱いのでお気を付けてお召し上がりくださいませ」


 出来立てなので、まだほかほかと湯気が出ている。いい香りがして、お腹が空くのが分かった。


「いただきます」


 ナスを持ち上げると、柔らかく、箸が実に沈んでいくのを感じた。

 口に入れると、ほろりと形が崩れていくようだ。ナスってここまで柔らかくなるのか…。


 美味しい。


 ナスだけでは物足りないが、細かく切って炒められたお肉が、充分な噛みごたえと辛味を与えている。噛むたびに、肉汁がじわりと溢れてきて、いくらでも食べられそうな気がする。


 とろりとしたナスをそのまま飲み込んだところで、異変は起きた。


「げほっ、ごほっっ、げほっ」

「ああ、やっぱりダメでしたか……」


 辛い。

 とにかく辛い。

 辛いを通り越して痛い。

 喉元がヒリヒリしている。

 辛いものを食べた時に妹がよく「火を吹きそう」と言うが、その意味そのままだ。本当に火が吹けそうだ。口内全体が痛く、吐く息も熱い。

 必死に肩で息をしていると、ミズキさんが心配そうな顔でコップに入った水を差し出した。


「すみません、もう少し少なめにするべきでした」


 受け取って水を飲み干すが、まだ喉と舌はヒリヒリしている。


「な、なんですかこれ」

「それが、麻里様へ贈られた思いです」

「辛いものを食べろってことですか」

「違いますよ、ナスは食べなくてもいいので、もうひと口食べてみてください」


 言われるがまま、今度はスプーンで掬って飲み込んだ。思いの外、今度はそこまで辛くなかった。


『新月、泣くのは甘えてる証拠なんだぞ』


「え?」

「聞こえました?」

「い、今のって……」

「そうですね。依頼人は、あなたの担任の先生ですよ」

「な、んで」

「阿部先生が麻里様に、どうしても伝えたかったからだと思います。残念ながら、私には聞こえないんです、麻里様への贈り物ですから。何かお力になりましたか?」


 途中からは、ほとんど聞こえていなかった。

 鼻の奥がツーンとする独特の感覚に包まれて、目からボロボロと涙が溢れた。もう自分の感情もよく分からなかった。

 何年か前に、阿部先生から一度同じセリフを言われたことがある。先生の正論の代表だ。

 昔はその通りだと思い、多少は落ち込んだが、今は悔しさしか湧いてこなかった。

 先生に何が分かる、甘えられる場所なんてない。

 泣きたくて泣いてるんじゃない。

 あんな家族に甘えたくなんかないし、あんたに甘えてる訳でもない。

 泣けば許されると思って泣いてる訳ないじゃないか、それこそ甘えだろうが。

 ここまでして伝えたかった思いが得意の正論かよ、笑わせるな。


「ぅ、ぁ、ああ…」


 ぶつけたい思いが次から次へと涙になって流れ落ちた。

 ミズキさんはそんな私を、少し離れたところで麻婆茄子を食べながら、優しく眺めていた。




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