第20話 羽根休め(最終話)
季節は、夏の盛りに突入した。照りつける太陽のせいで気温は高いものの、前世に比べると随分と涼しい。曇りの日を願わずとも、短時間なら日中も外で気兼ねなく遊べる。体力がありあまる子供であれば、なおさら無邪気に駆け回るものだ。
俺が離宮の外に出ると、子供の足音が二人分聞こえた。あとは、付き添いの大人たちの足音も十人分ほど。この離宮を訪れる客のうち、過去一番の大所帯と言えるに違いない。
「兄上ー!こんにちは!」
「……ヴェル兄上、こんにちは」
「ディル、リーヴェ、こんにちは。よく来たね」
誕生日を迎えて六歳になったディルと、四歳のリーヴェは、仲良く手を繋いで俺の前に現れた。正確にはディルがリーヴェを引っ張ってきた様子だが、二人共嫌がっている風ではないのでいいだろう。強いて言うなら、リーヴェは初めての訪問で緊張しているらしい。もじもじと、落ち着きなく足先を揺らしている。
俺は膝を突き、リーヴェを下から見詰めた。空いているほうの手に触れ、両手で握る。
「リーヴェはここに来るのは初めてだね。怖いものは何も無いから、安心してね」
「……はい」
俺の言葉と笑顔に、リーヴェは微笑み返しながらこくりと頷いた。長兄に対する信頼がある程度あることが分かり、俺のほうがほっとする思いだ。夕食のときにしか会わない兄のことなど、他人同然に思っていないかと密かに心配していた。それが杞憂で何よりだ。
二人の頭を撫でた後、俺はリーヴェの手を引いて離宮の側面へ回る。高い生け垣に囲まれたそこは、庭園だ。真っ青なビオラや、純白のユリが咲き誇っている。開けた草地にある即席のテーブルセットには、すでにお茶の用意が整っていた。
不意に、ディルがリーヴェの手を掴んだまま小走りをした。反対側にいた俺も足を速め、リーヴェを転ばせないように気をつけながら後に続く。向かう先は、一台の乳母車。ころんとした頭と丸い肩が覗いている。
「ジルっ、こんにちは!」
ディルが声を掛けると、乳母車の中でおすわりをしているジルは、嬉しそうな笑顔を見せた。
「あう、あー」
きゃっきゃと笑い声を立てながら、ジルはディルと触れ合う。リーヴェは、その様子を一歩遠くから見ようとしていた。俺はその足を前に踏み出させながら、安心させるように囁く。
「リーヴェ、この子がランジル・レオ・アルクシアンだよ」
「……私の、弟?」
「うん。リーヴェにとって、たった一人の弟だね」
リーヴェがジルに会うのは、今日が初日だ。これまでは母上がリーヴェを手放さなかったので、なかなか顔を合わせられる機会が無かった。話だけはディルが母上に隠れて聞かせていたそうだが、己よりも幼い子供を知らないリーヴェは、いまいち想像ができていなかっただろう。ついに相対を果たし、不思議そうにジルを見詰めている。
フィルシーの一件が片づいてから、俺を取り巻く環境はやや変わった。そのうちで一番変化があったのは、父上と母上だ。
父上は、俺を甘やかさなくなった。元々明らかに子供をかわいがる人ではなかったが、俺を心配する素振りや、慈しむような目を一切しなくなった。もしかしたら、本格的に俺を後継者として見始めたのかもしれない。俺が十八歳になり成人するよりも早く、立太子の儀が執り行われる可能性も出てきた。現時点での俺はまだ八歳だからと言って、悠長に暮らしている余裕は無さそうだ。
一方、母上は精神的にゆとりを持ったように感じられる。以前は公務の区切りを多く作り、リーヴェの様子をしょっちゅう見に行っていたが、今は随分と減ったらしい。フィルシーの裁きの傍聴人の口から出た憶測が、母上の耳にも入ったのだろう。
一部の賢い貴族たちは、噂を流した。曰く、第一王子が第四王子を生かしたのは、婚約者の罪を顕在化し、クラッドコード公爵家を潰すためだったのではないか、と。
正直、当たらずといえども遠からずといったところだ。正確に言うなら、第四王子は未だに餌の役から脱していないが。
この世界で俺が確認できた転生者は、二人。俺と、フィルシーだ。――三人目以降がいないとは、限らない。
舞台にも上がらない無能や臆病者なら、どうでもいい。しかし、思い上がった愚か者は必ず第四王子に近づこうとする。なぜなら、漫画では主人公がこの国を滅ぼしてしまうのだから。問題は、そうした転生者が俺に何をもたらすか。邪魔なら、消さなくてはいけない。ジルは、そういう者をおびき出すための生き餌だ。
とにかく、母上はそれと似たような結論に至ったのだろう。俺がジルを道具としか思っておらず、手元に置いているのは宣言通り飼い殺すためだと信じられたのだろう。よって不安が和らぎ、リーヴェが俺のもとへ行くことを許せた。俺がディルとリーヴェを目に入れても痛くないほどに愛していることは、母上もよく知っている。ジルはそれに及ばないと、母上は都合良く決めつけた。そして、きっとそれは他の大人たちも同様に違いない。
「……ジル、はじめまして。リーヴェ兄上と呼んで」
つくづく、馬鹿な人々だと俺は思う。
「あーっ、あうっ」
ジルを道具としてしか愛さないなどと、俺は一度も言っていない。また、ジルしか道具として見ないなどと、俺は一言も言っていない。
「ジル、分かる?私がディル兄上で、この子がリーヴェ兄上だよ」
ディルもリーヴェもジルも、俺のかわいい、かわいい弟だ。俺は大人たちと違い、三人に注ぐ愛情に差を付ける真似などしない。
「ディル、リーヴェ、お菓子があるよ。食べながら、私とジルにお話を聞かせて」
「はいっ」
「……」
俺が二人の小さな背を押せば、ディルは元気良く返事をし、リーヴェはしっかりと頷いた。ジルも含めた四人でテーブルを囲み、賑やかなお茶会を始める。
緑が青々と茂る中、子供たちの笑い声が響く。一生懸命に話す弟たちの声に、俺は和やかな心地で耳を傾けた。
井の中の蛙、空を飛ぶ鷹の恐ろしさを知らず 完
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