第14話 鷹は弟たちを愛でる
雪が降る中、ディルは俺の離宮に遊びに来た。今年の秋以来、一ヶ月に一度の頻度である、第二王子のちょっとしたお出かけだ。もちろん十分な数の騎士と侍従を連れ、母上に話を通したうえで訪れている。前触れを受けていた俺が玄関で迎えると、ディルは嬉しそうに抱き着いてきた。かわいい、かわいい俺の弟。
子供部屋に入ると、ディルは一目散にベビーベッドに駆け寄った。あらかじめ用意してある踏み台に乗り、興味津々で覗き込む。そこにいるのは、異母弟であるジルだ。三ヶ月経つ今ではずんぐりと丸く、口を半開きにしてこちらを見詰めている。
「わぁ、かわいい……。ジル、久しぶり」
ディルが手を伸ばすと、ジルはその指先を掴んだ。同時に手しゃぶりもしており、何ともあどけない。
「私も、小さい頃はこうだったんですか?」
「うん、そうだよ」
「兄上も?」
「うん、きっとね」
俺は夜泣きをしない大人しい赤子だったと聞いているが、差し出された指を掴むのはどの子も同じだろう。ディルもリーヴェも、俺が人差し指を見せれば不思議そうに触れてくれた。そのときの感動は、一生忘れられそうにない。
ジルをひとしきり愛でた後、俺とディルは部屋にあるソファーに腰掛けた。対面ではなく、隣り合ってぴったりと寄り添う。ディルの琥珀色の目は、きらきらと輝いて俺を捉えた。
「兄上、今日はリーヴェと一緒に手紙を書いてきましたっ」
「本当?嬉しいよ。ありがとう」
現在、ディルは五歳、リーヴェは三歳だ。驚くべきことに、二人共すでに文字を書ける。
己の教育係から二枚の封筒を受け取ると、ディルはそれらを俺に渡した。親愛なるヴェル兄上へ、とそれぞれかわいらしい筆跡で記してある。俺は緩む頬をそのままに、イオからペーパーナイフをもらい慎重に開く。
ディルからの手紙には、何でもできるところが格好いいとか、たくさん勉強して早く俺みたいになりたいとか、ほぼ箇条書きで嬉しい言葉が続けてあった。一方のリーヴェからの手紙には、大好き、ありがとう、と二言だけ。文を書くことは、まだできないのだろう。それでも、二人共一生懸命書いてくれたことが伝わってくる。小さな紙にたくさんの文字を書くのは、とても難しかったはずだ。
「……ディルは字が上手になったね。前は丸を書くのが少し苦手だったけれど、今はきれいに書けているよ」
「はいっ、頑張って練習しました!」
「リーヴェも、一つ一つの字のまとまりが良くなった。本宮に帰ったら、私が喜んでいたと伝えてくれる?」
「はい!」
俺が頭を撫でてあげると、ディルは照れたようにはにかむ。今日の夕食時に、リーヴェも直接褒めてあげよう。手紙の返信も用意して、二人にまた書いてほしいとねだっておこう。きっと、こうして素直に接してくれるのも今だけだ。俺も未だ七歳なのだから、目に見える形で愛情を欲しがっても罰は当たらないに違いない。
それからしばらく、俺とディルはお茶をしながら話をした。ジルの乳母であるレイティナには、生後六ヶ月になりぐずりが増えた己の次男を連れて散歩に行かせているので、室内は比較的に静かだ。ディルの楽しそうな声と俺の相槌のみが、空気を穏やかに揺らしている。
用意されていたクッキーが残り三枚になったところで、俺は息を吸った。
「ねぇ、ディル」
「何ですか?」
「――春になったら、しばらくここには来てはいけないよ」
直後、ディルは分かりやすく固まった。膝に両手を置いたお利口さんの姿勢のまま、俺を呆然と見上げた。
「……ど、どうしてですか?」
「少し、厄介なことがあってね。ディルが来てくれるのは私もとても嬉しいけれど、ここに来ると危ないかもしれない」
二日前、フィルシーに付けている部下から伝達があったと、俺はイオから報告を受けた。いよいよ、透過の魔法を会得したそうだ。気配や音までは消えないものの、姿は完璧に見えなくなるらしい。
また、今年最後のお茶会の帰り、フィルシーは第四王子の居場所についてしつこく聞いたという知らせが上がっている。城門までの案内役兼護衛として付いていた騎士に、第四王子のもとまで案内しろと言ったようだ。騎士がしらを切り続けると渋々諦めたが、とてつもなく焦っている様子だったらしい。
十中八九、フィルシーは第四王子が他のアルクシアン王家によって虐げられていると思っている。そして、二年を掛けて透明化の魔法を体得した。その前提をもって今後何をするかは、きっと俺の想像と大差無い。正義感に酔った馬鹿が取る行動など、安直的で短絡的だと相場が決まっている。
「本宮でも、一人になってはいけないよ。必ず騎士を側に置いて、なるべく外には出ないようにして」
「何か、危ないことがあるんですか……?」
「まだ分からない。でも、もしもそうなってしまったときに、私はディルに傷ついてほしくないんだよ。分かるね?」
リーヴェには、母上が付いている。母上には公務もあるので、四六時中共にいるというわけではないものの、守りは万全の体制を敷かれている。それは次期国王である俺も同様であるうえ、俺自身がそれなりに魔法を使える。
最も中途半端で襲われやすいのは、アルクシアン王家の証を持たず、第二王子であるディルだ。誰もが無意識に、ディルよりも俺とリーヴェを優先すべきだと考えてしまっている。加えてディルは一所に留まるということがなく、一日において移動時間の割合が大きい。隙の多さで言えば、存命するアルクシアン王家のうちで間違いなく一番だ。当然俺も追加の守備を手配しておくが、本人の注意を促す以上に優る防御は無い。
俺の言葉に対し、ディルはすんなりとは頷いてくれない。
「兄上は、大丈夫なんですか?」
「私は大丈夫だよ、ここには騎士が十分にいるからね」
「ジルは?」
「私が守るから、心配はいらないよ。ディルは、リーヴェを守ってあげて。いいね?」
リーヴェにはディルが必要なのだと暗に説かれ、ディルは考え込んだ。
「……はい、分かりました。私がリーヴェを守りますっ……!」
ようやく納得してくれたディルを、俺は優しく抱き締めた。実直なこの子を、あの転生者と会わせてはいけない。悟らせることなく、全てを速やかに片づけなくてはいけない。巻き込まないように、泣かせることがないように。
今から寂しがらずとも、俺とディルは春までにもう一度会える。それに、俺は夕食時には毎日本宮に通う予定だ。それでもなかなか戻ろうとしないディルを宥めながら、なんて純情でいじらしいのだろうと、俺は最愛の弟への愛をいっそう深めた。
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