第13話 井の中の蛙、釣瓶の中の餌に気づく

 転生者という存在は、大きく二種類に分けることが可能だろう。目立つか目立たないか、その二つだ。前世の記憶を使って文明に革新をもたらすか、大人しく世界の秩序を保つか。誤解を恐れずに言うなら、俺は前者よりも後者のほうが好ましい。なぜなら、俺は国を統治する立場にあるからだ。国民が凡人であればあるほど、こちらの手は煩わされずに済むに決まっている。


 つまり何が言いたいかと言うと、俺はこの世界のフィルシー・レオ・クラッドコードがそれなりに嫌いだ。


「こちらはベッドメリーというおもちゃでして、寝ている赤ちゃんの上に設置して使います。本当は自動で回転して音も出るようにしたかったのですが、この世界に魔導具はありませんものね……」


 一言目は俺に向けてはっきりと、二言目は独り言なのか尻窄みにフィルシーは言った。その手が持っているのは、前世で誰もが目にしたことがあるだろう揺れるおもちゃだ。熊が二つと兎が二つ、合計四つのぬいぐるみが背中から吊られている。


「こちらは布で作った積み木です。羽毛がたっぷりと入っておりますから、当たっても痛くありません。それに、全ての面で柄が違うのですよ」


 侍女から次のおもちゃを受け取り、フィルシーは自慢げに話した。子供の手の平くらいの大きさをした立方体が、全部で六個。花柄だったりリボンが付いていたり、制作者の創意工夫が窺える見た目だ。


「他にも、ガラガラという音が鳴るおもちゃや、布でできた絵本を今作っているところです。完成したらお持ちしますね」

「そう」


 話が終わったと見るや否や、侍女はおもちゃを抱えてそそくさと引き下がった。その顔色がひどく悪いことに、主人たるフィルシーは気づいていないらしい。頼まれてもいないのに、個人の趣味で作ったものをアルクシアン王家に贈るなど、当然周囲は血相を変えて止めただろう。それを正当性無く押しきってしまうのだから、やはりこの転生者はアルクシアン王家の王妃に不適格だ。


 主人公が生まれて以来、初めての冬が始まろうとしている。俺は第四王子が生まれて間もないことを言い訳に、来年の春までフィルシーとのお茶会は行わないつもりだったのだが、本人が強く望んでいると聞いたので一度だけ会うことにした。てっきり婚約者の座が危ないことに感づいたのかと思ったら、ありがた迷惑な施しを行うためだったようだ。どこまでも期待外れで、どこまでも期待通りの動きをしてくれる。


 幸いにも、フィルシーは前世の科学技術を持ち込んだり、商人と結託して荒稼ぎしようとしたりはしていない。クラッドコード公爵が対人関係を厳しく制限していることに加え、そもそも有用な知識を持っていないからだと考えられる。

 ただし、だからと言って安心はできない。十歳になれば、貴族子女は公式のお茶会やパーティーに出席せざるを得ない。そこで味方を増やされたら面倒だし、何なら俺はそれよりも早く婚約を解消したい。さもなければ、アルクシアン王家の王妃にふさわしい優秀な娘は、婚約という形によって売りきれてしまうだろう。さすがのアルクシアン王家とは言え、すでに結ばれた婚約を解消させてまで妃を確保するのは憚られる。


「第一王子殿下、第四王子殿下とは、仲良くなさっていますか?」


 したがって、そろそろ仕掛け時だ。


「……まぁ、それなりにね。――それよりも、王妃教育は順調?」


 一瞬だけ、顔をしかめる。視線を逸らし、泳がせる。言い淀み、曖昧な肯定を返す。話題を変え、さもそれ以上の追及を嫌がっているかのような雰囲気を醸し出す。

 そう俺が思わせぶりな態度を取れば、フィルシーは大袈裟なほどに眉根を寄せた。


「殿下。まさか、第四王子殿下にひどいことをなさっているのではありませんよね?」


 なぜ、そうなるのだろうか。普通は、第四王子の子育てが上手くいっていないとか、第四王子の出自のせいで何らかの不都合が起きているとか、そういう疑問を覚えるはずだ。なぜ、俺が悪だと決めつけるのだろうか。なぜ、婚約者である俺ではなく、会ったこともない第四王子の味方をするのだろうか。


 質問には答えず、俺はティーカップを傾けた。すると、フィルシーは瞬く間に眉を吊り上げる。


「第一王子殿下、第四王子殿下をお救いになったのはあなた様でしょう?第一王子殿下には、その責任を果たす義務がおありなのですよ」


 どうやら、事の次第を正確に知ってはいるらしい。それにも関わらず前提を覆せないのが、この転生者らしいと言えばらしいが。どのような理由があれ、即刻刑が執行されるはずだった女性を保護し、いるかいないか定かでない子を守ったのは俺だ。であれば、俺の人格は物語と異なるのだと捉えて然るべきではないか。ところが、フィルシーはそうは思えないということか。この世界のヴェネルディオ・レオ・アルクシアンはむしろ善行を積んでいるのに、些細なことでなじられなくてはいけないようだ。


「第四王子殿下はまだ幼く、何を選ぶこともできません。ですから、兄君である第一王子殿下が第四王子殿下のことを心から考え、慈しむ必要があるのです」

「……」

「殿下、聞いておられますか?第四王子殿下は殿下の弟君なのですから、優しくなさらなければなりませんよ」

「……」


 もちろん聞いている、俺ではなく、宮廷書記官が。まさに今、証拠品として過不足無い記録を残している最中だ。フィルシーの無礼に慣れたのか、近頃は涼しい顔で手を動かしている。勤勉なことで何よりだ。


 フィルシーの話は、いつも同じだ。第四王子がいかにかわいそうか、第四王子がいかに愛されるべきか、俺がいかに兄として不適切か、場の空気を無視して一方的に説く。今日は屋外ではなく室内でのお茶会なので、使用人たちの気配も普段よりは感じやすいと思うのだが、この公爵息女はなかなか図太い神経をしているようだ。ネイがまとっている怒気と己の侍女たちに走っている怯えに、ちっとも気づかない。

 弟のほうはそれなりに優秀だそうだから、クラッドコード公爵家の教育が良くないというわけではあるまい。一家の未来を潰す娘を持って、クラッドコード公爵夫妻はさぞかし胃が痛いことだろう。


 テーブルに置いてある砂時計は、最後の砂を落とした。俺はわざと大きな溜め息を吐き、席を立った。


「時間になったことだから、先に失礼するよ。また春に」

「お待ちください!……第一王子殿下、第四王子殿下は……!」


 俺が廊下に出ても、フィルシーの声はよく聞こえた。しかし、それも扉が閉まれば届かなくなる。


 クラッドコード公爵一家は、明日に王都を出発して領地に向かう。どれだけ反発しようと、未だ七歳であり問題児でもあるフィルシーは、それに同伴させられ王都から離れざるを得ない。ところが、最後に会った際、第一王子は第四王子に対して何か含むところがあるようだった。しかも、繰り返し聞かせている道徳的な忠言にも、耳を傾ける様子が無かった。となれば、きっとフィルシーは考えるだろう、もしや漫画の通りに事が進んでいるのでは、と。第四王子の命を助けたのが第一王子であることも、己の態度がアルクシアン王家の怒りを買っていることも忘れ、前世の記憶という妄想にいっそうのめり込んでいく。


 イオの報告によると、フィルシーの魔法の腕前は素晴らしいそうだ。何でも、もうすぐ透過の魔法を体得できそうだとか。一体何のために習得するのか、その理由を聞ける日を、俺は楽しみに待っている。

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