第12話 鷹の弟は鷹

 ジルが生まれるまで、俺は夕食時以外にもディルとリーヴェに会いに行っていた。昼食は母上も含めた四人で取り、他にも長めの休憩時間の度に顔を出していた。自ら離宮に居を移した身で言うのも何だが、弟たちとは殊更に仲良くしていたかったからだ。あとは、いまいち座学を好めないディルにやる気を出させるためでもあった。俺が励ました直後の授業だけは、それなりに意欲的に取り組むらしい。


 しかし、ジルが生まれて以来、俺は頻繁に離宮を空けることをやめている。夕食時以外は離宮に籠もるようになってから、今日で十日ぐらいが経つだろうか。

 父上とそういう約束をしているとか、本宮にいづらくなったとかではない。第四王子として認めるべきだと提言したのは俺なのに、生後間もない赤子を放置するのは外聞が良くないだろうと考えてのことだ。無責任なことを言わせてもらうと、ディルとリーヴェもこちらで暮らせばいいのにと俺は思っている。そうしたら、俺は弟たち全員の顔を満遍なく見て生活できるというわけだ。


「ディル、私がディルとリーヴェに会いに行かなくなったのは、ここに生まれたばかりの弟がいるからだよ。前に父上からお話があったけれど、覚えているかな?」

「……私と兄上とリーヴェとは母上が違う、第四王子?」

「うん。ランジル・レオ・アルクシアンという名だよ」


 ディルとリーヴェには、ジルが生まれた翌日に、父上から端的に説明がされた。幼い二人はまだ犯罪意識や生殖に関する知識が足りていないので、母親が異なる弟ができることが事務的に教えられた。

 ただし、それだけだ。喜びの言葉どころか新しい弟の名前さえ、その場では口にされることがなかった。固い表情を崩さない父上と、リーヴェを連れて早々と立ち去る母上を見て、ディルはそれがめでたいことではないと直感したのだろう。夕食の席で俺と会っても、ディルはジルのことを決して聞こうとしてこなかった。その疑念と不安が溜まりに溜まって、今日爆発してしまったのかもしれない。


 俺はディルを立ち上がらせ、ソファーに場所を移した。一方で、全ての他人にこの部屋から出ていくように命令する。いっそう身を寄せるディルを、俺は優しく抱き寄せた。


「ディルは何が怖いの?」

「兄上が、会いに来てくれないのが嫌です……。夕食のときだけでは嫌です。もっと兄上とお話ししたいっ」

「そうなんだね。私もディルともっと話したいと思っているよ。もちろん、リーヴェともね」

「では、どうして会いに来てくださらないんですか?」


 潤んだ瞳で、ディルは俺を見上げた。これはずるい。責任も道理も放り投げ、何でも叶えてあげると言ってしまいそうになるではないか。


 現在の母上は、随分とリーヴェに構っているらしい。それには人見知りをするリーヴェへの心配もあるだろうが、何よりも根本をなしているのは、アルクシアン王家の証を持つ我が子への依存心だろう。アルクシアン王家の王妃として選ばれた母上には、俺の想像では及ばないほどに強い矜持があるはずだ。他の女性が不正をして産んだ金眼の王子に、これでもかというほどの脅威を感じているに違いない。

 近親相姦に目を瞑れば、血統はジルが最も優れている。もしかしたら次の国王は我が子ではないかもしれないと、母上は嫌な妄想をやめられないことだろう。俺はとっくに親離れをしてしまっているから、もう一人の金眼の我が子であるリーヴェを側に置き、精神世界で独り相撲をしていると推察される。


 比較的に素直なディルも、どこか心を乱している母上に対し、無理矢理甘えることは憚られたのだろう。それに、父上は昔から朝夕の食事時にしか子供と会おうとしない。つまり、狭い視野で現在の状況を断じてしまえば、ディルは五歳にして親からほったらかしにされているわけだ。それが生まれたときからのことであればともかく、突然の変化だった。俺と違い根っからの子供であるディルは、理解できないししたくもないだろう。


 しかし、俺たちはアルクシアン王家だ。たとえ分からないとしても、常に最善の選択肢を選ばなくてはならない。


「それはね、私たちの新しい弟は、私以外の味方を持たないからだよ。――私が側を離れれば、あの子は殺されてしまう」

「……」

「あの子はね、最初は生まれることが許されなかったんだよ。それを私が無理を言って、父上に許してもらった。だから、私が一緒にいてあげないと、あの子は……殺されてしまうんだよ」


 父上に。母上に。二人が本気で動けば、まだ王子でしかない俺には止められない。


 少し、怖い話だっただろうか。ディルはびっくりとして息を詰め、首をすぼめた。


「……王子、なのに?」

「王子とて、死なせる方法はいくらでもあるよ。特にあの子はまだ赤ん坊だから、突然息が止まったとか、階段から落ちたとか、事故に見せかけることは簡単だろうね」

「……」

「ディル、王子が殺されないのは、それがいけないことだからではないよ。王子を殺した後に面倒なことがたくさんあるから、誰も王子を死なせないんだよ」


 王子が死ねば、国が揺れる。それによって恩恵を受けられるのは、そもそも国が崩壊を始めているか、王子そのものが国の害である場合だけだ。だから、王子は大量のお金と人によって守られている。それは、王子を殺させないためではない。王子を死なせないために、人々は王子の命に重きを置いているに過ぎない。

 今のジルは、強いて言えば国の害だ。ジルの誕生によって、当代アルクシアン王家の均衡が崩れかけている。俺がほんの少しでも興味無さげな言動を取れば、ジルは容赦無く死なされるに違いない。


「ディルとリーヴェには、父上と母上がいらっしゃるよね。でも、新しい弟には私しかいない。だから、私はしばらくの間、あの子の側にいなければならないんだよ」

「……」

「……少し、難しい話だったかな?」


 まだ五歳の子供には、少々酷な話だったかもしれない。己の命が奪われる危険性など、この歳ではさすがに想像できないし、無意識に目を逸らしてしまうことだろう。

 だが、ディルは小さく首を横に振った。俺の服をぎゅっと掴み、分かりました、とはっきりと答えた。やはり、ディルもアルクシアン王家の一人だ。その返事が思いのほか嬉しく、俺はにっこりと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る