第10話 冬眠した蛙は春が来ても蛙

 雪が溶けて貴族が王都に戻り始めてすぐ、父上は事件の概要と罪人たちの処遇を公表した。俺の意向が反故にされることはなく、ミルリアのお腹に子供がいた場合、その子を第四王子あるいは第一王女として認めることも通知された。

 なお、近衛騎士二人の親族は親兄弟のみ斬首による処刑が執行された。シュネーゼとミルリアの親族は四親等まで連座で処刑されるべきところだが、それをするとアルクシアン王家の血を流しすぎることになるので、二人は除籍のうえで当人に限る断罪となった。

 ミルリアの子をアルクシアン王家として認める件については、国中から賛同されたわけではない。特に貴族は懐疑的で、年明けすぐの社交界はその議論で持ちきりだったらしい。だが、一部の賢い人々のおかげで、アルクシアン王家に直接申し入れが来る前に反発は消えていったそうだ。貴族にとっても、アルクシアン王家の証の保持は最重要案件だという証左だろう。丸く収まって何よりだ。


 それから数日が過ぎた、ある日。麗らかな午後、俺はあくびを隠すためにティーカップを傾けた。


「生まれた子供は親の罪など知りません。と言うか、関係無いのです。親の罪を子供にも背負わせ、不遇を強いるのは、あまりに理不尽というものですよ。全ての子供には、無条件に愛される権利があるのです」

「……」


 君は私を無条件に嫌っているようだけれど、と俺は内心で毒づいた。俺の婚約者であるフィルシー・レオ・クラッドコードは、最後に会った日とてんで変わらず喧しい。


 今日顔を合わせるまで、俺は少しだけ考えを改めていた。と言うのも、この世界の父上は不貞をした浮気者ではなく、襲われた被害者ということになっており、けれど子供が生まれた場合はアルクシアン王家の庇護下に置くと宣言したからだ。

 つまり、その実情はどうであれ、今のところこの世界の主人公は救済されたと解釈できる。しかも、それを提言したのはラスボスである第一王子。非常に癪だが、この世界のフィルシーはそれを己の教育の成果だと自惚れ、俺やこの世界への評価を改めるのではないか、と俺はつい二十分前まで思っていた。今日フィルシーと再会するまで、俺はいわば、フィルシーの中の人に期待をしてしまっていた。


 ――ところが、実際はそうでもなかった。何一つ、フィルシーは変わっていなかった。いや、領地にいる間に教育的指導が入ったのか、端々の動作はやや淑女らしくなっているが、その思考回路は冬が始まる前と寸分違わず同じだ。


「悲しいことですが、第四王子殿下は色眼鏡で見られることでしょう。不義の子として、実の父君にも冷たくされることでしょう。本当に、かわいそう……生まれたことに罪は無いのに……」


 なぜ、この婚約者は生まれる子供が男児だと決めつけるのだろうか。そもそも、子供ができていることに関しては厳重に秘匿されている。確かにミルリアには懐妊の診断が下されたが、出産がなされ赤子の無事が確認されるまで、子供の存在は公表されないことになっている。それを知っているということは、今回の事件に加担していたと言いがかりを付けられてもおかしくない。そうでなくとも、アルクシアン王家が認めた子供を面と向かって不義の子と言い表すなど、アルクシアン王家への不敬罪として罰せられる行為だ。それほどまでに、この転生者は処刑されたいのだろうか。


「第一王子殿下は、優しくなさらなければなりませんよ。不倫によってできた子供とは言え、殿下の弟君であることに変わりはないのです。よろしいですか?」

「きちんと聞いているよ」


 俺は、ちらと傍らの男性を見た。使用人や騎士が遠巻きに控えている中、唯一俺とフィルシーの会話を拾える位置に立っている。この者は、宮廷書記官だ。そういえばこういう役職の人もいたと、俺は何となく呼びつけてみただけだったのだが、まさかこれほどまでに働かせることになるとは。

 もしかしたら、フィルシーはこの記録が己の無実の証明になると考えたのかもしれない。将来復讐を決意した主人公に見せて、命乞いをするつもりなのかもしれない。おかげでべらべらと喋ってくれて、こちらとしては大助かりだ。

 たかが公爵息女のくせに、アルクシアン王家の第一王子に向かって随分な態度。この宮廷書記官はまだ若いからか、額に滝のような汗をかいている。少し気の毒なので、あとで俺直々に労いの言葉を掛けておこう。


 さて、そろそろ三十分だ。テーブルの隅に置いてある砂時計は、最後の砂を落とし終えた。俺はティーカップを空にし、別れの言葉を紡ぐ。


「クラッドコード公爵息女、今日も興味深い話だったよ。また一週間後に」

「あら、もうそんな時間ですか。ええ、また来週お会いいたしましょう」


 俺は座ったまま、フィルシーが立ち去るのを見送る。随伴している侍女や騎士が俺に恭しく頭を下げるのは、見ていて悪い気はしない。あの転生者がおかしいのであって、クラッドコード公爵家のほとんどの者はまともなのだろう。かわいそうなことだ。主人の命令に従うしかない人々に、罪は無い。連座での処刑を免れられるように、こっそりと手を回してあげよう。


 俺は次回も呼び出す旨をさらりと伝え、宮廷書記官を下がらせた。代わりにイオが俺の側に来て、紅茶を新しく注いでくれる。他の侍従たちがフィルシーの痕跡を片づけていく中、俺は隣に来たネイを見上げた。その眉間に深い皺が刻まれているので、つい吹き出してしまう。

 お気に入りのハーブティーを一口飲んでから、息を吸った。


「ネイ、私はね、どちらでも良かったんだよ。今日あの子が態度を改めるなら、私はこれまでの全てを水に流して、公爵家には手を出さないつもりだった」


 フィルシーが俺と婚姻する際、クラッドコード公爵領の宝石鉱山が結納金代わりに献上されるのは、誰の目にも明らかな既定路線だ。期せずして力を得すぎたクラッドコード公爵家は、それによってアルクシアン王家への忠義を今一度証明し、他の貴族からの妬みをかわす必要がある。アルクシアン王家としても、臣下が多少頭を出したくらいで叩くつもりはない。黄金の目を持つ娘と鉱山さえ渡してもらえれば、クラッドコード公爵家を見逃す気でいた。


 ただ、俺がそれを壊したくなっただけ。


 記憶と現実の区別が付かないフィルシーは、アルクシアン王家の王妃にふさわしくない。かと言って婚約を解消し、クラッドコード公爵家の手綱を放すわけにもいかない。また、この世界の道理を弁えないフィルシーを野放しにすれば、暴動や革命の着火剤になる危険もある。では、一体どうすればいいのか。――フィルシーに罪を重ねさせ、クラッドコード公爵家諸共破滅させればいい。


 ティーカップを覗けば、揺れる液面に少年の顔が反射した。アルクシアン王家の尊き血を継ぐ、ヴェネルディオ・レオ・アルクシアンの顔だ。


「尤も、それはそれで中途半端になってしまうから、あの子が変わらないでいてくれて良かったのかもしれない」

「……」

「せっかく餌を用意したのに、見向きもしないなんて……生かした意味が無い」


 餌代とて、断じて安くはなかった。父上の尊厳と名誉、母上の自尊心、ディルとリーヴェの価値、そういう細かなものを削り出して買った。しかもただの肉塊ではなく、これからも世話が必要な生き餌だ。今後の経費と手間も加算すれば、最低限フィルシーには食らいついてもらわなくては、元手すら回収できない。そのような終わり方を、次期国王である俺が許して堪るものか。


 かわいい、かわいい俺の弟。居場所も愛情も俺がたっぷりとあげるから、早く、早く生まれておいで。

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