第7話 鷹の親は必ずしも鷹ではない

 指示通り、イオは夜が明ける少し前に俺を起こした。ネイと騎士たちも問題無く待機しており、俺は手伝われながら身支度を調えた。雪が降り続ける薄暗い庭を、悠然と歩いて進む。


 父上の私室の前の見張りは、見知った顔の近衛騎士二人に代わっていた。まだ幼い第一王子が夜明けと共に現れたことに驚き、二人は何事かと気を張り詰める。


「この時間に目が覚めたのは偶然なんだけれど、侍従から気になる話を聞いてね。私だけで構わないから、通してくれ」


 シュネーゼは、人目を忍んでここまでやって来たわけではない。噂を素早く広めるためか、城内の見張りに目撃されるようにして移動していた。しかも、それらしい会話を公爵息女としながら。そちらはイオの部下にすでに抑えてもらっているが、俺が何も手を下さなければ、今から巻き返すことは困難だっただろう。


 父上は、家族には無断で私室に入ることを許可している。俺一人だと言えば、見張りの近衛騎士たちは恭しく扉を開けた。


 主室を通り抜け、俺は寝室に入る。どうにも暗いので、右手にはランプを提げての入室だ。一応ノックはしたものの、深く寝入っているのか返事は無かった。

 そっと近づき、寝台を覗き込んだ。


「……父上、起きてください。父上」


 父上は、ぼんやりとした眼で俺を見上げた。飲まされたワインがまだ残っているのか、薬でも混ぜられていたのか。


「……ヴェル……?どうした?」

「父上、どうか落ち着かれてくださいね。昨夜に何がおありだったか、覚えておられますか?」

「……昨夜……?」


 父上は、うわごとのように俺の言葉を繰り返した。記憶を探るためなのか、視線をさまよわせ、己の隣を見てしまう。――ややあってから、父上は大きく口を開けて飛び退いた。


「……!」

「父上、お静かに」


 叫ばせないために、俺は父上の口内にハンカチを突っ込んだ。口を押さえられれば良かったが、六歳児の手は小さいし力も無いので仕方無い。少々手荒であるものの、父上には耐えてもらおう。


「ヴェルは全て分かっております。嵌められたのでしょう?父上は何も悪くありません。ね?」

「……!……!」


 俺は父上を抱き締め、耳もとで言い聞かせた。何度も、何度も、父上は悪くないと繰り返す。これは精神的な安定を取り戻させるためなので、洗脳では決してない。そもそも、父上が無実なのは本当のことだ。

 段々と、父上は落ち着いてきた。体が小刻みに震えているのは変わらないものの、俺が味方だというのは理解できたようだ。もう叫ばないと判断し、俺はハンカチを取り出した。


「父上、私に全てお任せください。父上がなさらねばならないことは、たった二つです」

「……」

「一つは、この不届き者を捕らえること。もう一つは、これは父上の意に沿わぬことであり、シュネーゼの謀略であると訴え続けること」


 俺は父上を立たせ、床に放られていたガウンを羽織らせた。それだけでは寒いだろうから、主室に連れていき、ソファーに置いてある毛布も渡して座らせる。

 俺は隣に腰を下ろし、父上の手を両手で握った。テーブルに置いたランプの明かりだけでは、随分と心細いだろう。しかも、第三者のせいで圧倒的な窮地に立たされている。側にいるのは、息子一人だけ。だが、誰もが手放しに称賛するほどに完璧な息子だ。その息子が無実を保証し、道筋を示している。ならば、父上はそれにすがるしかない。


「父上、昨夜、シュネーゼが寝室に入ってきたのではありませんか?」

「そ、そうだ」

「入室をお許しになっていましたか?」

「いや、いや、許しておらぬ。許しておらぬのに、姉上はいつの間にか私の前におったのだ。そして……私は……」

「……サイドテーブルにワイングラスがありました。勧められ、お飲みになったのでは?」

「ワイングラス……。そ、そうだ。飲まぬと言ったのに、姉上は一杯だけと……!それで、それで……その後、私はどうした……?」

「恐らく、ワインに薬が混ぜられていたのでしょう。意識を混濁させられ、父上はシュネーゼが連れてきた女と無理矢理……。あぁ、父上、何と許しがたい。シュネーゼは、アルクシアン王国国王たる父上を貶めたのですよ!」


 父上は瞠目した。その心にあるのは、姉への疑念か、己への疑心か。父上にとって、シュネーゼは己を支えてくれる良き姉でもある。だからこそこれまで邪険にできず、近くに置いていた。

 父上には、競争相手がいなかった。兄弟姉妹は全員黄金の目を持たず、王位を次ぐのは父上一択だったからだ。唯一として持ち上げられた父上は、誰も彼もが己の即位を認めていると信じて疑わなかったのだろう。

 しかし、実際は断じてそうではない。父上の周囲には、身の程知らずの愚か者がいた。黄金の目さえあれば己が次期国王になっていたに違いないと、独善的な思い込みを捨てられない者がいた。それが、シュネーゼ・アルクシアンだ。


 シュネーゼが用意した公爵息女は、父上の歳が離れた兄の娘だ。隔世遺伝によって、黄金の目を持っている。


「他の女が生んだ父上の子など、母上がお認めになるはずがありません。シュネーゼはそこに付け込み、生まれた子を己の傀儡になるように育て、国王の座に座らせるつもりだったのでしょう。そしてその子を操り、まるで己が国王になったかのように振る舞うつもりでいるに違いありません」

「待て。しかし、ヴェルがおるであろう?次の国王はヴェルだ。これは何があろうと覆らぬ」

「ええ、ですから、近いうちに私を殺すつもりでいるのかも……」

「何だと!?」

「私だけではありません。ディルは見逃されても、リーヴェもきっと……!」


 およよ、と俺は泣き真似をした。我ながら迫真の演技だ。いや、弟たちを殺されるかと思ったら、本気で涙が出るし怒りも溢れてくるのだが。

 ただし、脳内は割と冷静だ。リーヴェはともかく、この俺を廃せると考えているとはなかなか信じがたい。黄金の目を持つ第一王子が、そう簡単に死なされるわけがないだろう。俺を守るべき父上が使い物にならなくなったらなったで、シュネーゼの手が回るよりも早く俺が王位に就いている。そうしたら、俺はシュネーゼも生まれた子供も問答無用で殺す。父上がその存在を認めたとしても、俺はそれを先代の罪だとして断罪する。アルクシアン王家の権威は多少揺らぐが、俺の脅威をのさばらせておくよりはずっとましだ。揺らいだ分は再び引き締めればいい。


 シュネーゼの作戦の肝は、父上が流されやすいことにある。本来の想定では、薬を飲んでいない公爵息女のほうが先に目覚めて、父上を言葉巧みに言いくるめることになっていたのだろう。城内の見張りを発端に噂が広まっており、何より信頼するシュネーゼが証人。もしかしたら、私室を見張っていた近衛騎士たちも、父上からの許しがあったと虚偽の申告をするかもしれない。そうして外堀を埋められてしまえば、記憶が定かでない父上は己を信じられなくなる。お腹に国王の血を引く子がいるかもしれないとさえ言われてしまうと、とうとう公爵息女を妾として正式に認めてしまうはずだ。


 ところが、俺が横槍を入れた。シュネーゼの企みは、もう修復不可能なほどに破綻している。


 わなわなと、父上は両の拳を握り締めた。その黄金の双眸は、憤怒で染まっている。


「姉上、いや、あの者はすでにアルクシアン王家の誇りを捨てた!シュネーゼを捕らえる!あの女を生かしてはおけぬ!!」

「父上、私も共に参ります。アルクシアン王家の裏切り者に、ふさわしい罰を与えましょう」


 父上は、予想以上に御しやすかった。その姿は獅子と言うよりは鳶なので、俺が鷹と称されるのもあながち間違いではないのだと思う。

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