第6話 能ある鷹は犠牲を払う
冬が来た。アルクシアン王国には雪が降り積もり、王城はいつにも増して人気が無くなる。移動手段が馬か馬車なので、王城に寝所を持つ一部の官僚や使用人以外は、王都の別邸か各々の領地で雪解けまでを過ごす。クラッドコード公爵一家も、冬の間はフィルシーを連れ領地に帰った。よって、俺はしばらくあのくだらない説教を聞く必要が無い。それは予想以上に気楽なことで、ネイもどこか機嫌が良くなっている。
ところが、ここで新たな事態が動き始めた。
天蓋付きのベッドで寝ていた俺は、イオに揺らされて目が覚めた。寝室には窓が無いので、空の明るさを確かめることはできない。どうしても開かないまぶたを鑑みるに、まだ夜のうちではありそうだ。理想としてはきりりと起き上がって威厳を見せつけたいのだが、何せ六歳児なので無理がある。
「お休みのところ、申し訳ございません。――シュネーゼ女史が動かれました」
「……!」
イオの知らせを聞いた瞬間、俺はぱっと起き上がった。
「……続けて」
「例の公爵令嬢と共に、陛下の私室へ入られました。恐らく、陛下の私室の見張りはシュネーゼ女史の手の者かと」
通常、アルクシアン王家の私室に入ることができるのは、部屋主に直接招かれた人物だけだ。事前に通達が無い限り、見張りの騎士はいかなる理由があっても誰かを通すことはない。しかし、その見張りがシュネーゼと通じているとなれば、二人は父上の許しを得ずに堂々と侵入できたことだろう。
国王の護衛に就くのは、ただの宮廷騎士ではなく近衛騎士だ。その中にも息が掛かった者がいるということは、シュネーゼは己の味方を増やすことに意外と成功していたのだろう。
「道中、城内の見張りが目撃しております。まるで陛下に呼ばれて参る途中かのような会話を、これ見よがしになさっていたとのことでございます」
俺は、己の胸元をくしゃりと掴んだ。思った以上に、心臓が音を立てている。それは物語が始まることへの恐れか、父親を嵌めたことへの罪悪感か。
今一度、前世の記憶を思い返す。たった数コマとモノローグだけで描かれた、全ての始まりの記録を思い出す。
「……日が昇ったら、父上の寝室を訪ねる。ネイと騎士も連れていくから、伝えておいてくれ。それまでは誰も近づけず、見張りの騎士も逃すな。シュネーゼは自分の部屋に戻るだろうから、引き続き監視してくれ。それから、目撃者には噂をさせないように」
「かしこまりました」
イオは、従順に頷いた。いつもと変わらず、柔和な表情を浮かべている。俺が横になれば、毛布をそっとかけ直してくれた。
俺は素直に寝直そうとして、けれどイオの内心が気になり、息を吸った。
「人でなしだと、思う?」
「……どなたについてでしょうか?」
「私が。実の父親を、この国の国王を、見捨てようとしている」
父上は、今から望まぬ女性と床を共にする。あの人は気弱なところがあるが、アルクシアン王家の者として、アルクシアン王国の国王として、気高い心を持っている。俺を含めた家族を愛しているし、母上を一途に思っている。何より、アルクシアン王家の血を分け与えることに分別を有している。それを、俺は、目的のための贄として差し出そうとしている。
所詮はキャラクターだと、感情を持たない人形だと思っているわけではない。俺は父上の息子であり、父上は俺の父親だ。ただ、アルクシアン王家の繁栄を考えたときに、これが最も大きな利益を生むと思っているだけ。ヴェネルディオ・レオ・アルクシアンとして、俺は父上を捨てる。
――ふと、イオの目元が和らいだ気がした。
「主君。あれほど嫌っておられましたのに、いつの間にか婚約者様の毒牙に掛かっておられるのでございますか?」
「……?」
「主君は父君を見捨てなさるのではございません。アルクシアン王国第一王子殿下として、戦いの渦中におられるのでございます」
「……」
「未来の国王陛下。あなた様がなさることに、罪も間違いもございません。あなた様だけが、我が国の真実なのでございます」
それは、字面だけ見れば甘言だ。しかし、本意は違う。
アルクシアン王家への不敬は、許されない。アルクシアン王家の決定への異論は、認められない。それは、アルクシアン王家の傲慢では断じてない。単純に、アルクシアン王家は決して罪を犯さず、間違いをせず、常に最良の結果を導くからだ。アルクシアン王家はいつの時代も正しいのだから、アルクシアン王家の歴史に否定が存在する余地は無い。
俺は、アルクシアン王国の第一王子だ。次代の国王である、ヴェネルディオ・レオ・アルクシアンだ。俺は、すでに引き戻せないところまで来た。だから、迷うことも覆すことも許されない。俺はただ進み、道を切り開き、俺の行動が正しいことを証明しなくてはならない。――そうでなければ、俺はアルクシアンの名を名乗れない。
俺は、目を閉じた。そして、開く。
「そうだね。ありがとう」
「いえ。では、夜明けの半刻前に再び伺います。おやすみなさいませ」
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