第5話 鷹は空から井戸を覗く

 俺がラスボスだと気づいてから、半年が経った。実はいつ物語が始まるかとかなり身構えていたのだが、事態は未だに動いていない。まさかこの世界はあの漫画に似ているだけで、正真正銘の真新しい世界なのだろうか。たまたま名前が同じ、見た目が同じ、立場が同じだけの、まだ何も決まっていない世界なのだろうか。だとしたら、俺は若干滑稽かもしれない。しかし俺の内心は誰も知るべくもないし、やっていることは監視だけなので、少々心配性の第一王子といったところだろう。この世界のフィルシーに比べれば、俺はよっぽど真人間だ。


「婚約者様は、魔法の鍛錬にご執心のようでございます。ただし魔法の教師を付けるわけではなく、ご自身で新たな魔法を発明なさっているとか」

「具体的には?」

「透明人間になりたい、と常々仰せだそうです」


 時刻は、夜が始まってすぐの頃。ソファーに腰掛ける俺に向け、イオは穏やかな声音で報告をした。その藍色の双眸は柔らかく垂れているものの、己の報告内容に半信半疑であるようだった。続けて、クラッドコード公爵夫妻は見て見ぬふりをしていると言った。


 この世界の魔法は、何でも起こせる奇跡ではない。あくまで物質に作用する力であり、無から有を生み出すことはできない。個人によって得意不得意があり、前世風に言うなら超能力という表現のほうがしっくりと来るかもしれない。例えば、水を熱湯に変えるとか。例えば、カードを自由自在に飛ばすとか。例えば、体を浮かせるとか。


「ネイ、姿を消す魔法を、実際に使えた人はいる?」

「ええ。五代前の国王陛下の弟君が、目を凝らさねば分からぬほどにお姿を消しておられたという記録が残っております。しかしながら、権能という可能性も否定はできません」


 あらゆる知識を頭に詰め込んであるネイは、俺の問いに簡潔に答えた。この教育係に質問して、答えが返ってこなかったことは一度としてない。それこそ権能なのではと思うほど、ネイは記憶力に優れている。国王本人ならいざ知らず、その弟のことまでよく覚えていたものだ。


 魔法の得手不得手は個人差があるとは言え、大まかな傾向は共通している。魔法が得意な者ほど離れた物質、多くの物質を操ることができる一方で、生き物や自分自身に作用を与える魔法はかなり難易度が高い。また、現実離れした現象ほど起こすのが難しい。

 魔法を発動するのに必要なのは、それによって命を傷つけることを恐れない精神力と、非現実的な現象を発想できる想像力だ。その点で言えば、魔法というのは転生者の得意分野かもしれない。この世界を見詰めずに前世の記憶頼りで生き抜こうとしている、フィルシーの中の人物なら余計にだ。


「親は見て見ぬふりをしているという話だったけれど、娘に言いくるめられている様子は無い?」

「むしろ不仲になっておられるようでございます。婚約者様の思想の影響を受けさせまいと、ご夫妻はご子息と共に距離を置いておられます。近頃はお食事の席も別々だとか」

「再教育する気は無いということ?」

「ご当主は度々叱責なさっていますが、効果はございません。まるでお話にならず、ですが婚約の解消を申し入れるわけにはまいりませんから、たいそうお困りだとか」


 俺とフィルシーの婚約がクラッドコード公爵家の財力を要因としているのは、あちらも重々承知している。下賜された砂金の採取地を返すのは外聞が悪いし、かと言ってせっかく掘り当てた宝石鉱山をただで手放すのも惜しいから、フィルシーを引き渡しアルクシアン王家との結びつきを強くすることで手を打った。たとえ宝石鉱山を結納金代わりにフィルシーに持たせるとしても、ゆくゆくは国王の外戚という権威が手に入るなら安いものだろう。

 仮にここでクラッドコード公爵家から婚約の解消を申し込めば、アルクシアン王家への叛意ありと見なされる。アルクシアン王家の決定に異を唱えることは、余程の下準備と大義名分が無ければできるものではない。どれだけフィルシーに問題があろうと、今後問題を起こすことが目に見えていようと、まだ何も起きていないのだから、あちら側から手を引くことは不可能だ。宝石鉱山を含め財産の半分を献上したとしても、アルクシアン王家の意に従わなかったという事実が残ってしまう。クラッドコード公爵には、その選択肢を選ぶほどの豪胆さが無い。


「まだ泳がせるのですか?」


 ついにたにたと笑ってしまう俺に、ネイは尋ねた。その神経質そうな顔に不服がにじんで見えて、俺はいっそう口角を持ち上げる。


「ネイはもう十分だと思う?」

「ええ、当然です。ヴェネルディオ殿下がわざわざお時間を割かれているにも関わらず、あの娘は同じ話を飽きもせず……!不敬罪で処刑すべきです!」

「イオ、何を話しているか、毎回ネイに教えているの?」

「はい、知りたいとおっしゃるものでございますから」


 王妃教育のために登城するフィルシーとお茶をするのは、週に一度。三十分というとても短い時間の始まりから終わりまで、フィルシーは家族愛や兄弟愛について熱心に語る。

 あくまで一般論を口にするならまだいいのだが、その話は前提として俺の父上が不倫しているし、不倫相手が子供を産んでいるし、母上が不倫相手の子供を虐待しているという最悪な状況だ。締めの一言はいつも決まっており、第一王子殿下はどなたに対しても良き兄でおられませ、という上から目線な言葉。もしも俺ではなくディルやリーヴェだったら、とっくに洗脳されて思考がおかしくなっているだろう。父上は母上を愛していないのだと思い込み、母上にあること無いことを吹き込むかもしれない。

 フィルシーは、まだ俺の母上に会ったことがない。だから俺に道徳を説いて、未来を漫画の筋書きから変えようとしているのだろう。尤も、それにしてはやり方が下手すぎるが。フィルシーは喋り方がとにかく偉そうなうえ、話の端々で俺の両親を侮辱している。第一王子、ひいてはアルクシアン王家に対する態度としては、処罰されてもおかしくない。俺の父上が望めば、即刻打ち首だ。


 ふふ、と俺は笑い声を漏らした。それはネイの忠誠心への喜びでもあり、井戸の底で泳ぎ続けるフィルシーへの期待でもある。


「まだ、まだだよ。今の時点で動いたところで、精々賠償金を出させることしかできない」


 俺が欲しいのは、クラッドコード公爵家の財源そのものだ。あちらにはお金が湧き出る泉が二つもあるのだから、少々お金をせびったところで数年後には持ち直される。さらに十数年もすれば、アルクシアン王家を脅かすほどの力を付ける危険性もあるだろう。

 アルクシアン王家は絶対的な支配者だが、だからと言って何でも好き勝手にしているわけではない。権力を振りかざすときは、あくまで理性と協調性に則っている。使える者には飴を惜しまず、使えぬ者は飼い殺し、邪魔する者は徹底的に排除する。そのためには時機を見極め、耐えることも必要だ。


「ネイは、私が信じられない?」

「とんでもございません。ヴェネルディオ殿下こそが我が主君であり、我が真実です」

「ありがとう。イオも、それでいいかな?」

「はい、もちろんでございます」


 ネイとイオは、膝を突いて深く頭を垂れた。俺に忠義を誓い、疑いを持たず、骨の髄まで尽くしてくれる二人。この世界のヴェネルディオ・レオ・アルクシアンにあって、フィルシー・レオ・クラッドコードには無いもの。


 俺は、アルクシアン王国の第一王子だ。だから、前世の記憶を使って有利に動かせてもらう。それは主人公を救うためでも、己の破滅を防ぐためでもない。アルクシアン王家の権威を誇るために、俺は主人公を利用して、クラッドコード公爵家を潰す。俺は転生者としてではなく、ヴェネルディオ・レオ・アルクシアンとして生きていく。

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