第2話 蛙は鷹の獲物
この世界のフィルシー・レオ・クラッドコードとの顔合わせが済んだ夜、俺は私室のソファーに座り、ぼんやりと考え事に耽った。騎士や侍従が複数人控えているものの、全員静かにしているので、集中は邪魔されない。テーブルに置かれたランプの明かりを見詰めながら、前世の記憶を思い返す。
この世界は、恐らく前世に実在した漫画の世界と限りなく類似している。それは、アルクシアン王国を滅ぼすまでの復讐を描いた物語だ。主人公の名前は、ランジル・レオ・アルクシアン。国王の一夜の間違いによって生まれた、不義の王子。アルクシアン王家の証である黄金の目を持ってしまったがゆえに、王妃や他の王子たちに虐げられながらも生かされ続けた。
言葉にするのも憚られるほど虐待を受けてきたランジルは、権能に目覚めたことを契機に復讐を始める。やがて己を苦しめた全ての人々を殺し終えると、己が誰からも愛されないことに絶望して自殺する。端的に言えば、誰にも救いが無いバッドエンドの物語だ。
俺もといヴェネルディオ・レオ・アルクシアンの立ち位置は、いわゆるラスボス。完璧な王子でありながらも人情に欠けているヴェネルディオは、異母弟であるランジルに何の関心も抱かないまま国王となる。そして、あくまでアルクシアン王国を治める者としてランジルと対峙し、敗北して命を落とす。すなわち、このまま何もしなければこの世界の俺も死ぬ。
手っ取り早い解決方法は、そもそもランジルを生まれさせないことだ。現時点で、ランジルはまだ腹の中にもいない。幸い、俺は国王がなぜ他の女性に手を出すことになったかを把握している。それを阻止し、主人公がいない世界にしてしまえばいい。そうすれば、それなりに仲睦まじい王家のままだ。
しかし、それだといくつか問題が残る。
「……ネイ」
俺は視線を上げ、俺から最も遠い椅子に座って本を読んでいる教育係を呼んだ。正式に呼ぶのであれば、ネイダン・ゴルトヴァクス公爵だ。白茶色の髪と若草色の瞳を持つ、痩せ型の男性。確か、歳は三十を過ぎたくらいだったか。先代国王の弟の息子なので、俺のいとこ違いに当たる。それに加えて幼い頃から共にいることもあり、俺が一番頼りにしている人物だ。年齢の都合で将来の側近にはできないが、末永く付き合っていきたいと思っている。
「私の婚約者を変更できる可能性は、どのくらいある?」
「現時点では皆無に等しいかと。今後具体的な瑕疵が発生しない限り、現在の婚約者様が王妃になられるでしょう」
その神経質そうな顔立ちに違わず、ネイは淡々と答えた。そう、と俺が短く返せば、ネイの視線は本へと戻っていく。
数年前、クラッドコード公爵領では新たな宝石鉱山が発掘された。これは先代国王の妹の降嫁先に決定した際は想定されていなかったことで、当時、クラッドコード公爵家はアルクシアン王家から砂金が出る土地を下賜されてもいた。
要するに、クラッドコード公爵家は期せずして財力を持ちすぎた。今も先代国王の妹は存命だから、権力も十分に手にしていると言っていい。俺とクラッドコード公爵息女の婚約は、このようなクラッドコード公爵家を手の内に収めるために用意されたのだろう。なればこそ、余程のことが無い限り、俺とフィルシーの婚約は解消するべきではない。
パタン、と本を閉じる音がした。
「何か、それほどまでの懸念が?」
ネイの声は、言外にフィルシーへの蔑視を含んでいた。今日の顔合わせの場には、この男性も同席していた。フィルシーのあの貴族らしからぬ態度は、ネイの目には小物として映ったらしい。俺がわざわざ労力を割いて蹴落とさずとも、大した障害にはならないと判断したようだ。俺の権能を使えば、傀儡同然にできるという見込みもあるだろう。
己もそう思うのは事実なので、俺はゆるりと首を左右に振った。
「そうではない。ただ、上手く泳がせれば、もっといい結果を出せるのではないかと思うんだよ。いや、あの子はきっと勝手に泳いでくれる」
そうでないなら、俺にあのような態度を見せはしない。今頃は、いつか生まれる主人公を救うためか、己の破滅を防ぐために計画を練っているのではないだろうか。仮にこの世界が前世の漫画と同じ進路をたどった場合、フィルシー・レオ・クラッドコードは復讐相手として主人公に殺されてしまう。そうならないべく、この世界のフィルシーは足りないおつむで必死になるだろう。
「王妃教育をゆっくりと進めるよう、手配いたしましょうか?」
「そうだね。ただ、何事も無ければあの子を王妃とするから、挽回が可能な程度にしてくれ」
「承知いたしました」
懐から取り出した手帳に、ネイはさらさらと書き留めていく。とりあえず、フィルシーとクラッドコード公爵家はこれでいい。
「イオ」
次いで、俺は侍従の格好をしたイオルフェン・ベルナー伯爵を呼んだ。少し視線を向けるだけで、イオは即座に俺の側で膝を突く。撫でつけた灰色の髪と垂れ下がった藍色の双眸を持つこの男性は、実際のところ侍従ではない。その本職は、俺の指令によって動く諜報団の長だ。ネイ同様に、歳が離れている俺を軽んじることなく忠実に仕えてくれている。
「私の婚約者とは別で、シュネーゼを監視してくれ」
「シュネーゼ女史、でございますか?」
柔和な表情を崩さないまま、イオは聞き返した。ネイも本を読むことはせず、こちらに意識を注いでいるようだ。それもそのはず、シュネーゼはフィルシーとはほとんど関係が無い。
シュネーゼ・アルクシアンは、当代国王、つまり俺の父親の姉に当たる。ただし、レオというミドルネームが無いことからも分かるように、アルクシアン王家の証である黄金の目は持っていない。結婚せずに現在もアルクシアン王家に籍を置き、女官として国王の補佐をしている。はっきりとした物言いをする性格で、あくまで国王を立ててはいるものの、その治世に口を出さないわけでもない。それゆえ、国王の腹心である宰相とは折り合いが悪い。
「そう。父上の姉だ。特に、若い女性との繋がりに注意してくれ」
「かしこまりました」
俺が今は詳しく話さないことを察したのだろう、イオは従順に頭を下げた。ネイはネイで、頭を働かせてはいるだろうが口を挟む様子はない。この部屋にいる他の面々も、身動きせずに黙っている。全員、物分かりが良くて何よりだ。
主人公ランジル・レオ・アルクシアンには、予定通り生まれてもらう。この世界で幸せに生きる代わりに、精々俺の役に立ってもらう。
まずは、蛙を井戸から出すために、釣瓶に入って底まで下りてもらおうか。
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