井の中の蛙、空を飛ぶ鷹の恐ろしさを知らず

青伊藍

本編

第1話 空を飛ぶ鷹、井の中の蛙を見つける

 ありきたりな事故死を迎えた後、俺は転生していた。二度目の人生で得た名前は、ヴェネルディオ・レオ・アルクシアン。前世とは異なる世界に存在している、アルクシアン王国十二代目第一王子だ。


 俺の外見は、輝かんばかりの金色の髪と目をしている。たいそう整った顔立ちだと思うが、切れ長の双眸と薄い唇は、笑顔だとしてもどこか冷酷な印象を与える容貌だ。子供なのにかわいらしさはほとんど無く、けれど不気味なわけではない。その生まれに違わず、まるで国王になるためだけに生まれてきたかのような風体。

 正直、ものすごく既視感があった。俺が生まれた二年後に第二王子が生まれ、そのまた二年後に第三王子も生まれれば、やはり二人の顔立ちにも見覚えがある。国王でありながらどこかぱっとしない父親と、王妃でありながら甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる母親にも、前世の記憶でひっかかる何かがある。しかし、何かは思い至れないまままた二年が過ぎる。優秀な第一王子、未来の国王と敬われ、決して気は緩められないものの穏やかな日々が続く。


 ――答えを得る瞬間は、突如として訪れた。


 六歳になってすぐの春の日、俺に婚約者ができた。相手はクラッドコード公爵家の長女であり、俺の父上の叔母、すなわち先代王妹の孫娘に当たる。事前に聞かされた情報では、己の身に流れるアルクシアン王家の血に誇りを持っており、少々気が強いきらいはあるものの努力家な娘ということだった。第一王子である俺との婚約は、是が非でもと本人も強く望んでいるらしい。顔合わせの日まで、俺はほんのりと期待して待った。


 ところが、その好感は呆気なく裏切られることとなる。


 俺が客間に入ると、クラッドコード公爵夫妻とその娘は立礼をする。深く腰を折るので、互いに顔は見えない。

 俺は三人の向かい側のソファーに腰を下ろしてから、声を掛けるために息を吸った。


「面を上げて」

「はっ」


 クラッドコード公爵の返事の後、一家は顔を上げる。俺は左側から視線を滑らせ、順に三人の顔を確認していった。そのうちの真ん中、つまり俺のちょうど目の前にいる少女とも目が合う。


 きっと、俺を見ていたクラッドコード公爵夫妻は気づかなかっただろう。

 俺の顔を見たクラッドコード公爵息女は、そのくすんだ金色の目を大きく、大きく見開いた。――次の瞬間、その表情に浮かんだのは、嫌悪。憎しみさえ交じっていそうなほどの、濃厚な忌避感。

 同時に、俺の記憶の蓋が外れる音がした。


「三人共、座って構わないよ」


 俺はそう言いながら、左手を軽く上げた。クラッドコード一家からしてみれば、許しを与える仕草に見えただろう。だが、これの本当の意図は待ての合図だ。俺の背後に控える騎士が動こうとしたのを止めるために、俺は左手を上げた。さもなければ、クラッドコード公爵息女はこの場で捕らえられていた。アルクシアン王国における王族は、それほどまでの権威を持つ。どれほど些細なものであろうと、アルクシアン王家を貶める言動は許されない。――黄金の瞳を持つ俺は、特に崇拝の対象だ。

 なればこそ、俺に悪意を向ける貴族というのは、ごくわずかに限られる。例えば、過去にアルクシアン王家から報復を受けた者。例えば、アルクシアン王家の血を濃く引きながらも黄金の目を持たない者。――例えば、この俺ヴェネルディオ・レオ・アルクシアンが非道な悪役であり、今から数年後に生まれる主人公を冷遇すると知っている者、すなわち転生者。


 参ったなぁ、と俺は思う。尤も、その理由はこのままいけば主人公に殺されるからでも、もしかしたらこの婚約者によって痛い目を遭わされるかもしれないからでもない。そうならないためには俺が行動を変えればいいし、何なら主人公を生まれさせないという手段を取ることもできる。


 だから、これは根っからの第一王子としての困り事だ。


「……お初にお目に掛かります、第一王子殿下。フィルシー・レオ・クラッドコードと申します」


 ――最低限の礼儀も我慢できない婚約者など、俺の汚点にしかならない。


 恐らく転生者だろうフィルシーの挨拶に対し、クラッドコード公爵夫妻は分かりやすくうろたえた。と言うか、俺を含めてこの場の全員が信じられない思いになったはずだ。まさか教えていないのかな、と俺が目で問いかければ、クラッドコード公爵はフィルシーの頭を無理矢理前に倒した。テーブルに額をこすりつけんばかりに、己も頭を下げている。言わずもがな、クラッドコード公爵夫人もだ。


「大変失礼いたしました。アルクシアン王家の金の鷹にまみえ、愚女はいささか緊張してしまったのでございます」

「そう。それは仕方無いね。今日のところは構わないよ」

「ありがとう存じます」


 アルクシアン王国において、王族への挨拶は型が決まっている。その中でも特に重要なのは、相手を特定の言葉で呼ばなくてはならないという点だ。国王であれば獅子、王妃であれば薔薇、第一王子であれば鷹。そのうえで金色の双眸を持つ者ならば、金の、と付け加えられる。何とも安直だが、そういう慣習なのだから従うべきだ。

 ところが、フィルシーはそれをしなかった。単に忘れてしまっただけなのか、ヴェネルディオ・レオ・アルクシアンを認めないという意思表示なのか。再び上がったその目に敵意が色濃く映されている辺り、意図的な言い間違いでありそうだ。どうやら、この転生者はおつむがよろしくないらしい。たとえ未来がどうであろうと、この場であからさまにアルクシアン王家と敵対するのは愚行だと分からないのだろうか。


 フィルシーは、先代国王の妹である祖母譲りの金髪とくすんだ金の瞳を持っている。結わずに背中に垂らしている姿は、物語に登場する成人後のフィルシーと同じ。前髪を後ろに流して額を出しているのは、己の目の色を誇示したい意識の表れだったか。しかしこの色味では、いわゆる転生者特典があるとしても大した権能は使えないだろう。精々、常人よりも優れた魔法を扱える程度だと想定される。物語でも、フィルシーは弱い出落ちキャラだった。


 顔合わせの最中、フィルシーはほとんど口を開かなかった。俺とクラッドコード公爵夫妻が話す中、何か聞かれたら短く答える程度。俺のことが大嫌い、早く帰りたいと顔に書いてある。この世界の両親が終始顔色を悪くしているのだから、最低限の取り繕いはしてもいいだろうに。俺は微笑を湛えつつ、呆れから来る溜め息を堪えなくてはいけなかった。

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