第52話 ささやき戦術(淫)

 打席に立ったカイルは、言いようのない違和感を覚えた。

 観客席の方から、なんだか不気味な気配を感じるのだ。


 誰かが、自分を見ている。モンスターと対峙した時にも似た、粘っこい視線だ。


 まさか、レオナの予知に現れた首無し女だろうか。

 今が襲撃のタイミングなのか?


 カイルは一端打席を離れて、観客席を観察する作業に入った。

 審判に合図を送り、素振りに見せかけてスタンドを凝視する。魔法で視力を強化してみたが、それらしい人影は見当たらない。

 そもそも数千人はいるであろう観客の中から、不審者を見つけ出すなど無理な話だ――

 と、普通の人間は考えるだろう。


 だが、カイルは違う。


 この男の辞書に、「普通」や「無理」といった単語は存在しない。そこに黒線を引いて、上から「殺す」「ヤる」と書き込んであるのだ。それはもう辞書ではなく犯行声明文な気がするが、魔王を倒すにはこのくらいの気概が必要なのである。


(目で見てもわからないなら、肌で感じるのみだ)


 カイルは、指輪でカーライル記憶を吸ってからというもの、敵の位置を殺気で特定できるようになっていた。歴戦の賢者が磨き上げた老練な戦闘勘を、若く鋭敏な体に宿しているがゆえの芸当だ。

 ここまで濃厚な敵意なら、容易に見つけ出すことができる。


 ――そこか。


 三時の方向に、危うげなオーラを放つ集団がいる。

 カイルは、ゆっくりとそちらに目を向けた。

 するとそこには、レオナとロゼッタとアイリスがいた。三人とも凄まじい目でこちらを睨みつけているであはないか。

 

「……どういうことだ?」


 あの三人に限って、なぜ。しばらく様子をうかがってると、どうもカイルではなくリリーエのベンチにガンを飛ばしているのだと気付いた。特に、イルザに対して鋭い視線を送っているようだ。

 ……多分、さっき胸ボタンが弾け飛んだ際にカイルの注目を集めたので、妬いているのだと思われる。

 強力なライバル出現! と警戒態勢に入っているのかもしれない。


「……」

 

 なんか、くだらないものを見てしまった。

 レオナに至っては、いそいそと胸ボタンを外してるし。おそらくイルザに対抗しているのだろう。試合が終わったら、「私の胸の方がいいでしょ?」的に迫ってくるに違いない。


「……杞憂だったようだな」


 あと、ロゼッタも無理をして胸元を緩めているようだが、貧相な板切れが出てくるだけなのでやめておいた方がいいと思う。これはこれで可愛らしいかもしれないが、谷間を強調して誘惑するといった使い道には全く適さないだろう。味は悪くないのだから、それでいいじゃないか。お前にはお前の良さがある。そういう肌露出は、できればアイリスにやってほしい。


 カイルは最低な不満を抱えながら、バッターボックスに戻った。

 

「随分念入りな素振りだったね。フォームの確認かい?」


 初老の審判が、怪訝そうな顔で話しかけてくる。

 カイルは適当に「スランプ中なんだ」と答え、相手投手と向き合った。


 メイ・ヨハエヌーキ。名門とされるリリーエの先発を任されるだけあって、風格がある。顔立ちはどちらかというと可愛らしいタイプなのだが、マウンド上がると雰囲気が変わる。一回り大きくなったようにさえ感じる。

 きっと、技術に裏打ちされた自信が彼女を大きく見せているのだろう。


 ならばこちらも、全力の打撃技術で応えるのみ。

 カイルはバットを悠然と構えると、左足を軽く上げた。


 一本足打法。


 強靭な足腰を必要とするフォームで、ボールをぎりぎりまで引き付けられることと、タイミングの取りやすさが利点とされている。剛速球や手元で変化する球との相性はイマイチだが、遅い球を遠くに飛ばすことに関しては最強の打法と言っても過言ではない。


 カイルは他にもいくつかフォームを持っているのだが、球速の出ないメイにはこれがベストだと判断した。


「……フラミンゴ打法ですか。実戦では初めて見ますわ」


 背後で、モニカが呟く。彼女は相手チームのキャッチャーなのだから、打席に立つたびに後ろを取られることになる。

 自分に恋愛感情を抱いている女がすぐ傍でしゃがみ込んでいる状態で、バッティングを行なう。並みの男であれば簡単に集中力を持っていかれる状況だろう。

 

(それを狙って俺にアプローチを仕掛けてるんじゃないだろうな?)

 

 一瞬嫌な想像をしたが、いくらなんでもそこまでの悪女ではあるまい、と思い直す。

 予知で、処女を捧げてくるのが確定している少女なのだ。カイルに惚れているのはまず間違いない。

 だが……。


「カイル様、ちょっとよろしいでしょうか」

「なんだ」


 キャッチャーが打者に話しかけてきた場合、警戒するのはささやき戦術だ。もっとも、カイルのやる気を削るような発言など、当のカイルですら思いつかないのだが。


「私、昨晩はカイル様のことを考えながら、自慰をしてみたんです」


 ……こいつは何を言ってるんだ?

 呆気に取られていると、メイの投げた球は気持ちのいい音を立ててミットに吸い込まれていった。

 ストライク! と審判が叫び、カイルは一球目を見逃したことに気付く。


 やられた。


 やはりこの少女は、打者の集中力をかき乱すタイプのキャッチャーだ。

 カイルに惚れているのは本当なのだろうが、自らの恋愛感情すら利用して試合を有利に運ぶつもりなのだ。


(とんだ策士だな)


 手段を選ばない、自爆行為のようなささやき。

 マスクの隙間から見えるモニカの顔は、真っ赤にゆで上がっている。さっきの発言は、自分でも言ってて恥ずかしかったらしい。

 とんでもない娘だ。


 続く二球目も、モニカはいかに自分がカイルを愛しているか、どんな風に抱かれてみたいかをごにょごにょと呟いた。

 

「ストライク!」


 バットが出ない。

 神経をモニカに引きずられて、二球目も見逃してしまった。


「まあ。次でアウトになるかもしれませんよ、カイル様」

「どうかな」


 してやったりな声で笑うモニカに、カイルはとぼけた声で返す。

 さて、どうしたものか。

 口ではああいったものの、今やカイルの集中力は乱れに乱れている。

 頭の中にモニカの痴態が浮かんできてしまい、とても試合どころではない。これでは次の球も打てやしないだろう。


 カイルは、助けを求めるように観客席を見つめた。

 そこではレオナとロゼッタが、やはり胸ボタンを外してカイルを誘惑する体勢に入っている。本当に酷い。どいつもこいつも俺に抱かれることばかり考えている。一体この世界はどうなってるんだ? やっぱりアイリスだけは頑なに肌を見せようとしないのもじれったいし。一番見たいのはお前のなのに、何をもったいぶってやがる。 

 カイルは理不尽な怒りを覚えたが、それによってどんどん心が冷え込んでいくのを感じた。

 

 ん、これはいいかもしれない。

 すーっと頭の中が冷えて言って、急速に集中力が戻ってくる。


 メイが、ワインドアップの動作に入る。

 カイルにはなんだか、その動きがスローモーションに見えた。わかる。手に取るようにわかる。

 このタイミング、この腕の振り。こいつが投げてくるのは縦のスライダーだ。


 ふわりと、メイの指からボールが離れた。 

 またもモニカが何事かを呟いたが、もう気にならなかった。


 カイルはゆらりと足を下ろし、体重を移動させ――


「――ここだ!」


 メイのスライダーに、会心の一撃を加えたのだった。

 いい当たりだ。

 芯で捉えた、確かな手ごたえがあった。


「そんな……」


 モニカはマスクを外し、茫然と打球を見送っている。他の選手もそうだ。

 ボールはもう、誰にもキャッチできない位置にある。

 どこまでも飛距離を伸ばし、外野の遥か頭上にアーチを描き……本日一発目の、ソロホームランとなったのだから。


「悪いな。先制点だ」


 モニカに敗因があるとしたら、性欲は燃え始めこそ心を乱すものだが、行き着くところまでいくと火事場の馬鹿力に繋がるのを知らなかったところにある。

 つまり、処女だったせいで、男心を把握しきれなかったのが良くなかったのだ。

 まあそのへんの繊細な心理は、試合後にじっくりと体で教えてやればいい。

 

 カイルは右手を上げながら、ベースを次々に踏んで行った。

 ホームベースに帰ってきた時の達成感は、言葉では言い表せないものがあった。

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