第51話 触診大好きドクターK

「やれやれだな」


 案の定、硬球部の連中は三者三振に切って取られてしまった。

 打順がカイルに回ってこないまま、あっという間に攻守交代である。

 これは投手戦になりそうだな、と覚悟を決めながら腰を上げた。


 その時だった。


「カイル」


 背後から、誰かがカイルを呼び止めた。振り向くと、キャッチャーマスクを被った大柄な男子と目が合った。

 今日バッテリーを組んでいる相手――二年のジョージだ。


「なんだ?」


 ジョージは温厚なことで知られる男である。キャプテンに九歳の妹を紹介してくれと迫られても、奥歯一本で勘弁してやったという逸話の持ち主だ。

 それは温厚なのか? と思わなくもないが、本物のペド野郎を顔面殴打で許してやったくらいだから、やっぱり温厚なのだろう。

 まあとにかく、そのジョージが今にも殴りかかってきそうな勢いで、カイルの肩を掴んできた。

 

「ひょっとしてお前、俺がサインに首を振らなかったことに怒ってるのか?」

「ああ」


 ジョージは険しい顔で言う。


「確かにカイルの実力はすげえよ。一人だけずば抜けてる。お前は絶対プロに行く素材だろうさ。でもな。野球ってのは、九人でやるもんなんだぞ? こんなに協調性がなくて、お前プロの環境でやってけると思ってんのか!?」

「いや、卒業後は野球選手にならずに、魔王討伐の旅に出るつもりなんだが」

「……あ、そうなのか? そりゃすまんかった」


 悪い悪い、じゃあ好きにしてくれ、とジョージは引き下がる。

 この柔軟さがキャッチャーに求められる資質なんだろうな、とカイルは思う。女房役だけあって、細かいことに拘らない大らかさが必要なのである。


「お前はもう、キャッチャーミットを真ん中に構えてるだけでいい。どうせ誰も俺の球に当てることなんてできやしないんだ。今日一日、的に徹してろ」

「うっす」


 気を取り直して、カイルはマウンドに向かう。

 ジョージもバッターボックスにしゃがみ込み、二度目の三振ショーが始まろうとしていた。


「……よろしく頼む」


 打席に立ったのは、リリーエの頬る四番打者、イルザだ。

 バットの構えが独特で、まるで剣士のように腕をくゆらせている。


(カンヌシ打法ってやつか)


 噂には聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。カンヌシの語源はよくわからないが、これがバットコントロールに特化した、高難度のフォームであることは知っている。

 その代わり、使いこなせば危険な強打者と化すことも。


 カイルは、ようやく対等な勝負ができそうな予感に打ち震えた。

 イルザを見据え、体の隅々まで観察を始める。

 相手バッターを分析するのも、投手の大切な仕事だ。


(……でかい)


 全体的に引き締まった体型だが、どういうわけかバストの脂肪だけは全く落ちなかったらしい。ユニフォームの胸ボタンが、今にも弾け飛びそうになっている。

 凛々しさの中に女らしさを忘れない、どこか隙のある美貌だった。

 

 この感じ……そう、女騎士に似ている。

 ダンジョンで捕まって、くっ殺せ! とか言いそうな雰囲気だ。


 カイルはそんな、失礼極まりないことを考えながら腕を振りかぶった。

 戦力分析をするはずが、単にいやらしい目でじろじろ見ただけで終わってしまった。もうすぐ抱くことになる女という前情報があるせいだろう。

 つまり魔王が悪いのである。大体全部あいつのせいなのだ。


「ふんっ」


 カイルは勢いよく腕を振り下ろし、ボールを指先から離す。

 直後、ズッパァン! と乾いた音が鳴り響き、イルザのバットが宙を切った。

 まずは、ワンストライク。


(見送らなかったな)


 さすが四番を任されているだけあって、棒立ちとはいかないようだ。

 そうでなくては。カイルは久しぶりに胸が躍るのを感じた。イルザの胸も、物理的に躍っていた。


「あ」

「あ」


 ぱつぱつしたユニフォームを着てるくせに、フルスイングするからこうなるのだ。

 イルザの胸ボタンは、パァン! と音を立てて飛んで行った。

 ばるんと両胸が動き、場内に沈黙が流れる。


「……」


 硬球部のメンバーが、食い入るようにイルザを見つめていた。

 一方カイルはもう少し女の扱いがわかっているので、足元のロージンバッグを弄るふりをして、目をそらした。


「み、見るな……見るなあ!」


 その後、ベンチから飛んできたモニカ達がボタンを縫い留めたり、赤面するイルザの背中をさすってなだめたりという牧歌的なイベントが発生し、さきほどの緊張感は見る影もなく消え失せてしまった。


 イルザは耳を赤くしたまま三振し、襟元を抑えながらベンチに引き返していった。

 大人びた風貌の割に、かなり初心な性質と見える。あれでは今日一日、まともに打てやしないだろう。

 あと、「カイルは意外と紳士なのだな。他の男子は凝視してきたというのに……」とわかりやすく恋愛フラグを立てているので、確実に試合後にデレてくるだろう。


「……運も実力のうちだよな」

 

 気を取り直して、五番打者との対戦に挑む。

 お相手はリリーエのキャプテンにして生徒会長、モニカだ。

 

「この時をお待ちしておりました」


 モニカはキャッチャーを務めている。守備面で負担が大きいせいか、普通は下位打線に収まるとされているポジションだ。ところがこの少女は、堂々と上位打線に食い込んでいる。

 相当の野球センスの持ち主に違いない。


 野球ができればなんでもできる。魔王だって倒せる。カイルは絶対にこの女を引き抜こうと決意した。

 試合に勝って、転校生として手元に置き、二年間留年させて鍛え続ける。あと、夜は抱く。……こうして並べてみると、めちゃくちゃ外道なプランを立てていることに気付く。

 

(外道でも非道でもいいさ。モニカだってそれを望んでいるようだし)


 それよりも今は、試合に集中するべきだ。

 カイルは雑念を振り払うと、バッターボックスに目を向けた。

 モニカのバッティングフォームは、癖のないスタンダードなものだ。

 ……こちらの少女もかなり胸囲はあるのだが、身長や肩幅がないせいかユニフォームには余裕があるようだ。


「ふむ」


 キャプテンが言うには、モニカの打率は直近五試合で.416を記録している。驚異の四割バッターなのだ。

 しかも、本塁打は四本打っている。

 低身長でありながらパワーがあるとなると、投手としては攻めにくい相手と言える。


「だがまあ」


 カイルはボールを握りながら、不敵に笑う。

 たとえ四割バッターだろうがなんだろうが、負ける気がしない。なんたってこちらは、奪三振率が十割なのだから。


「四と十ではな。話にならん」


 ズドン! と凄まじい音を放ち、ボールがミットに叩き込まれる。

 それが三回繰り返される間、モニカはポカンと口を開け続けていた。


「……もはや人間の球威ではありませんね……。これをぶつければ、魔王すら倒せてしまうのではないでしょうか?」


 そりゃそうさ、そのために磨き上げた球速なのだし。

 いつか試合ではなく実戦で披露して、あの糞カスをハチの巣にしてやるよ。

 カイルは前世の屈辱を思い浮かべながら、またも三振の山を築き上げた。


「……カイル様、少し雰囲気がお変わりになられましたか?」


 お前が魔王の名を口にしたからだぞ、と胸の中で呟く。悪気があったわけではないだろうから、言葉には出さない。



 そんなカイルの変貌を、観客席から眺めている者達がいた。

 影のような集団は、押し殺した声で囁き合う。「危険ですね、あの少年」「既に先代勇者を超えている」「処理しておきますか」「異議なし」「異議なし」「異議なし」賛成多数により、不穏な計画が可決された。

 陰の集団は、ふと気が付くと姿を消していた。


 この密談に気付いた者は、まだ誰もいなかった。

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