第二章 交流編
第33話 スカウト評価はドラ1級
宵闇。
一台の馬車が、無人の荒野を駆け抜けていく。
異様な光景であった。
なぜなら、車を引く二頭の馬は――首から上が存在しない。
にもかかわらず、パカパカと走り続けているのだ。
手綱を握る御者はというと、こちらも同じように頭部を切り離されていた。
客車の中では、やはり物言わぬ死体と化した乗客が揺られている。
死者の一団は、速度を落としながら道を進んでいく。
彼らは決して、アンデッドというわけではない。
一瞬で切り伏せられたため、まだ死んだことに気付いていないだけなのだ。
現に、馬の足はもうじき止まろうとしている。
一、二、……三。
たっぷり三秒もかけて、ようやく馬車は停止した。
首を落としてから体が死に切るまでに、タイムラグを生み出すほどの斬撃。
一体どれほどの腕前があれば、このような芸当が可能となるのだろうか?
これほどの蛮行に及ぶのは、どのような人間なのだろうか?
「――十秒、動いた」
遥か後方で、一人の少女が呟く。
よく通る、澄んだ声質だった。
手には血濡れの刃が握られていて、足元には馬と御者の首が転がっている。
彼女がこの惨劇を引き起こしたのは、誰の目にも明らかであった。
だが、目撃者はただの一人も残されていない。
哀れな犠牲者は、全員が首の無い死体となり果てているのだから。
* * *
「交流試合?」
「ええ」
カイルは、進路指導室で雑談に興じていた。お相手はアイリスである。
日課となった、放課後の個人授業を終えたところなのだ。
「来週、隣国のリリーエ女学院と、魔法球技の親睦試合を開催することになってます。毎年恒例の行事みたいですね」
若い担任教師は、長い黒髪を耳にかけながら話を続ける。
その仕草が、ドキリとするほど艶めかしい。
ブラウスをぱつぱつと押し上げる胸の膨らみといい、右目の泣き黒子といい、何をやっても色気のある女性だ。
「両学院の代表選手が腕を競い合い、魔法技術の健やかな発展に寄与する……というのが表向きの理由ですが、実際は学院同士の威信を賭けた、面子の張り合いになっているようです」
「うちは共学で、あちらは女学院なんだろう? これでスポーツ試合を行ったら、明らかに向こうが不利ではないか?」
「……お見合いも兼ねてるらしいので」
「は。そういうわけか」
魔法の才能は、親から子に遺伝すると言われている。
試合をきっかけに両学院の生徒がカップルになってくれるならば、これに越したことはないと大人達は考えているのだろう。
女学院側の保護者からすれば、勝ち負けなんてどうでもいいから、いい男を見つけて来い! といったところか。
「リリーエ女学院は、聖歌隊で有名ですから。美声の持ち主を優先して入学させていると聞きます。そのため彼女達は、大陸で最も美しい詠唱を披露すると評判だとか。……これならすぐにパートナーを見つけられそうですね」
よく通る、澄んだ声の女子生徒達。うちの男子どもが目の色を変えそうだな、とカイルはおかしくなった。
「……あんまり、目移りしちゃ駄目ですよ」
カイルの笑いをどう解釈したのか、アイリスは唇を尖らせて拗ねるような顔を作った。教師とはいえ、まだ十八歳の少女なのだ。時々、こうやって娘じみた表情を見せることがある。
「俺はお前達三人にしか興味がないよ。ところでどうしてこの話題を俺に振ったんだ? 何かあるんだろう? でなきゃこんなに長話にはなるまい」
アイリスは一瞬驚いたような様子を見せたが、すぐに表情を和らげた。どこか嬉しがっているようにも見える。
「……鋭いですね。さすがカイル君です。実は一つだけ、困ったことがありまして。今月はマリア先生がいないんですよね」
「マリア?」
「ほら、心を読めるあの方です」
「ああ」
入試でカイルの面接を担当した、髪の長い女教師だ。
今はバザロフを裁くため、裁判所に出廷しているらしい。やつの内面を読み取った結果を、法廷で証言しなければならないようだ。
「本来であれば、他校と交流する際は、マリア先生が校門前で警備を担当するそうなのです。……なにせ悪意を持った人間を、事前に見つけ出せるわけですし」
「ところが今月が、あの女がいないと」
「そうなんです。リリーエ女学院はお嬢様学校として誉れ高いですから。おかしなことなんて何も起きないとは思いますが……」
「俺に警備をやってほしいのか?」
「いいえ、さすがにそれは生徒ではなく教師の領分です。ただ単に、普段より学院のセキュリティが弱まっていることを頭に入れておいてほしいのです。何かあった時に、一番頼れるのは貴方なのですから」
カイル君はヒーローですから、とアイリスは目を潤ませて言う。
どこからどう見ても、生徒が教師に向ける視線ではない。これは恋する乙女の目だ。
(肉体的には、もう乙女ではないがな。俺が女にした)
際どいことを考えながら、カイルは伸びをした。
窓の外に目を向けると、そろそろ日が暮れようとしている。
「帰るか」
アイリスは、恥ずかしそうに目を伏せた。
学校を出たら、二人はカイルの寮に向かう予定になっている。
先に帰ったレオナとロゼッタは、とっくに服を脱いで待っているはずだ。
カイルが「帰る」と宣言するのは、そういうことである。
……そういえば担任と生徒が関係を持つなど言語道断だと思うが、そのあたり心を読めるマリア先生はどう感じているのだろうか? 職員室でアイリスの頭の中を見てしまったら、怒り狂いそうなものだが。
なんとなく聞いてみると、
「今のところは大目に見てくれてますね」
とのこと。
「意外だな」
「……懲戒免職を覚悟してたんですけど、そこは女同士の情けというか……色々あるんですよ、色々」
「色々か」
「マリア先生は男子生徒の体臭フェチで、時々カイル君の着替えを差し出すことで口止めをですね」
「わかったもういい」
ろくな教師がいないな、と呆れながらドアを開ける。
するとカイルの目の前に、小さな犬耳が現れた。頭一つ分……いやもっと低い位置に、ロゼッタの頭がある。
「……お話……終わった?」
まだ帰ってなかったのか? とカイルは身をかがめる。青い髪をぽふぽふと撫でやると、ロゼッタは気持ちよさそうに目を細めた。
「……御主人様を待ってた」
「学院の中でその呼び方はよせ」
全く。
指輪を嵌めてからというもの、ロゼッタの懐きようは尋常ではない。「じーじの生まれ変わり」と大喜びし、以前にも増して忠誠を見せるようになったのだ。
きっと今なら、カイルが死ねと命じれば迷うことなく命を絶つだろう。ロゼッタ・コロンとはそういう少女なのである。
(ちぎれそうなくらい尻尾を振っているな)
耳と尾に感情が現れる分、獣人族は好意がわかりやすく伝わってくる。
可愛いやつだ、と思う。
「そんなに俺と会えて嬉しいか?」
「……嬉しい……天国にいるみたい……」
「そうか」
ならご褒美をあげないとな、とカイルは囁く。
ロゼッタの耳元に口を寄せ、吐息で撫でるように話しかける。
周囲には聞こえない声で。二人にだけ聞こえる声で。
(お前、四時間目の授業中、変なところを触りながら俺を見ていたな。何をしてたんだ?)
ロゼッタは赤面した。ごめんなさいを連呼しながら息を荒げていた。
言葉とは裏腹に、喜んでいるのが丸わかりだった。
(やれやれ)
パーティーメンバーの調子をベストな状態で維持するは、楽な作業ではない。
それぞれ好みとするシチュエーションにバラつきがあるので、あの手この手で機嫌を取る必要がある。
彼女が三人いるってのは大変だなあ、とカイルはくたびれた様子で廊下を歩き始めた。
後を追うようにして、アイリスとロゼッタも付いてくる。二人の恋人は、競い合うようにしてカイルと腕を組んできた。
全く大きさの違う乳房が、左右から押し付けられる。
「……」
カイルは弾道が上がった。
「……ん?」
野球ネタが頭をよぎったからだろうか。
噂をすればファールボール。視界の端に、白い球が見えた。
――打球だ。
魔法硬球部が打ち損なったボールが、こちらに向かって飛んで来る。
この軌道、確実に当たる。このままでは顔面に直撃だ。
「カイル君!」
パリィン! と窓ガラスが割れ、勢いよく白球が飛び込んできた。
「避けろ一年!」
言われるまでもない。
カイルの体は考えるよりも先に動き、左手で球を掴んでいた。
右手は精妙な動作で飛び散った破片を叩き落とし、自分の身はおろか二人の女達も守り切っている。
「……御主人様、凄い……誰の血も、流れてない……」
前世のレオナは、剣で矢を叩き落としていたのだ。その戦闘技術を指輪で受け継いでいる以上、ボール如きに反応できないはずがない。
「大丈夫かお前! ……って無傷!? 嘘だろ!?」
「うあっ、先生いんじゃん! すいませんガラスは部費で弁償します! 今片付けます!」
「怪我人いないのか? 奇跡だな。どうなってんだ? まさかあいつがキャッチしたのか?」
硬球部のメンバーが、続々と窓の傍に駆け寄って来る。上級生が中心なので、カイルの実力を知らない者が多いようだ。
カイルは見せつけるようにボールを掲げ、
「そうだ。俺が捕った」
と告げる。
坊主頭の集団は、一斉に息をのんだ。
「マジかよ……グローブの概念どこ行った? あの球を素手で捕ったのか!? バッターは魔力でスイングを強化してあったんだぞ!?」
「……ありえねえ。今の動き、見えたか? 俺には見えなかった。どんな反射神経してるんだこいつ? ボールを視認してからキャッチの動きに入るまで、コンマ一秒もかかってなかった」
「悪い、アイリス先生の乳を見るのに忙しくてボールを捕る瞬間は見てなかった。でも負傷してない時点でこいつの凄さはわかる」
「え? お前、先生見てたの? 普通あっちの、ちっちゃい獣人ちゃんをガン見するだろ……」
「え?」
「え?」
「え?」
「え? 俺なんか変なこと言ったか……? 爆乳女教師とつるぺた獣人幼女がいたら、後者を見ちゃうもんだろ?」
「わりい、お前の投げる球は好きだけど、今日限りでバッテリー解消させてもらうわ……それはともかくこの一年やべえな。あの運動センスは逸材だろ。どうする? こいつを助っ人にすっか?」
「ロリコンがキャプテンだったなんてがっかりだよ。逮捕されたら絶対に趣味は野球ですなんて供述すんじゃねえぞ、競技イメージ落ちるからな。……そうだな、今はキャプテンの性癖より助っ人についてだ。なあ一年。お前今度の交流試合、うちのチームで投げてみないか?」
突然始まった仲間割れとスカウトに、驚きを隠せないカイルだった。
隣では、ロゼッタが自身の胸に手を当て、「私を好みだと宣言するのは特殊性癖扱いなんだろうか?」的な顔で首をひねっている。
「もしかしてお前が、噂のカイル・リベリオンか?」
「だったらどうするんだ?」
「頼むぜカイル。……お前しかいねえんだ。お前がうちのエースになるんだよ……!」
さてどうしたものかな、とカイルは思案する。
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