第27話 選択肢

 カイルが固まっていると、ロゼッタはぷちぷちと制服のボタンを外し始めた。

 まさかこれ以上過激な行為に及ぶのかと身構えたが、どうも違うらしい。

 懐の奥から、何か引っ張り出そうとしているのだ。


「……これ……」


 ロゼッタの胸元から出てきたのは、小さな首飾りだった。

 細い鎖の先に、指輪が付けられている。


 吸魂の指輪だった。

 

(こんなところにあったのか)


 忘れるものか。

 これこそは前世でカイルの精神を破壊し、三人の女性の記憶を植え付けた因縁のリング。

 今の自分を作り上げた代物と言っても過言ではないだろう。


「……じーじが死んだあと、まだ誰も指を通してない。……次にこれを嵌めた人が、じーじの記憶を受け継ぐ」


 それはつまり、賢者カーライルが七十七年かけて蓄積した英知を受け継ぐということ。

 かつて王都を救った、偉大な英雄の力を手に入れられる。この男の正体が判明する。あるいはもっと、様々な真相に近付ける。


 カイルは迷わなかった。


 そっと手を伸ばし、指輪を受け取る。

 あとはこれを左手の薬指に嵌めるだけという段階で――


「ちょっと待って」


 レオナの声で、動きが止まったのだった。

 

「……いつの間にそこにいたんだ?」


 カイルが振り向くと、最愛の少女は腰に手を当てて仁王立ちしていた。

 あの剣呑な目つきは何事であろうか?


 カイルは今、自分達がレオナにどう見えているか考える。

 薄暗い空間で密着する、カイルとロゼッタ。しかも片方は胸元を緩めていて、指輪の譲渡まで行われている有様だ。

 客観的に見て、悪質な浮気行為でしかない。愛人女からプロポーズされた、と思い込まれても仕方ないレベルだ。


「誤解だ」


 カイルは不器用な弁明を無視したが、なんの意味もなかった。

 レオナはコツコツと靴音を立て、ロゼッタに近付いていく。


 ビンタでもかますのだろうか? 


 修羅場を覚悟したが、意外にもレオナは冷静だった。じっとロゼッタを見下ろし、しげしげと指輪を眺めている。

 痴情のもつれを疑っているわけではないようだ。


「……やってくれるわね。これって吸魂の指輪でしょ? お兄様に聞いたことがあるわ」


 レオナの碧い瞳は、ロゼッタを射抜くように見つめている。


「嵌めちゃ駄目よ、カイル。この指輪は知識を引き継ぐだけじゃない。文字通り、前の持ち主の魂を吸い取るの。全ての記憶を注ぎ込まれるのよ」

「身に染みて理解しているが」

「……冗談言ってる場合じゃないでしょ。カーライルは老人なのよ? カイルの何倍も生きてきた人の記憶が、全部頭の中に叩き込まれるの。そしたらどうなると思う?」


 享年七十七歳の記憶が、精神年齢三十四歳のカイルに入り込む。それが意味するところとは?


「お兄様は言ってたわ。若者が老人の記憶を移植されたら、人格を上塗りされちゃうって。何倍も長い人生経験を与えられたら、人格を引きずられるのは当然だって。相手と性別が同じだったり、境遇が似ていたりしたらなおさらそうなりやすいって……」


 カイルは考える。自分とカーライルは――もしかしたら同一人物かもしれない人間だ。

 レオナ達の魂を吸った時とは、次元が違う適合度だろう。

 そんな人物と記憶を混ぜ合わせた場合、果たしてどうなるだろうか?

 

 似たもの同士ゆえ、どちらがどちらなのかわからないほど癒着し……最後にはより長い人生経験と、より強い意志を持つ人格が勝ち残る……?


「わかる? カイルがそれを嵌めたら、カーライルに精神を乗っ取られるかもしれないのよ。この獣人娘はね、大好きな養父を若い体で生き返らせるために、カイルを利用する気なんだわ」

「……私……そういうんじゃ……」


 ロゼッタはぐすぐすと鼻を鳴らしている。小さな手で目尻をゴシゴシと擦る様は、酷く罪悪感を刺激した。

 レオナは一瞬たじろぐような表情を見せたが、瞬時に厳しい顔に切り替えた。カイルのためならば、鬼にも悪魔にもなれるのだろう。

 

(俺だってそうだ。レオナのためなら悪魔にだってなれる)


 だが、カーライルもそうであるという保証はない。あの男の手紙は、魔王への消えない怒りを見せていた。王都周辺のオークを絶滅させかけた大英雄で、七十七年間も憎悪を維持し続けた男。それなのにレオナを探し出そうとはしなかった老人。とうの昔に愛情など擦り切れ、復讐のみを考えて動く鬼と化していたのだろうか?

 

 あるいは……ロゼッタを育てていたところを考えると、カーライルの関心はレオナではなく、この獣人少女に移っていたのかもしれない。


 指輪を嵌めた瞬間、そんな人間に人格が飲み込まれる。


「……レオナの言うことは一理ある。これを使うのは危険だな」

「でしょう?」


 レオナは涙をにじませながら言った。


「私、嫌だからね。カイルの中身が会ったこともないお爺さんになっちゃうなんて、嫌だからね。カイルが私のことを好きだって気持ちを忘れたら、どうするの? ……そしたら私、もう生きてけないから」

「大げさな」

「大げさじゃないもん……」


 前世ではカイルに指輪を使わせたレオナが、今度の人生では止めろと言う。

 指輪のリスクを知っていたら、前のレオナも使用をためらったかもしれない。

 

(境遇が少しズレるだけで、人間こうも変わるものか)


 カイルはロゼッタに質問する。


「カーライルはなんと言っていた? 指輪を嵌めたら、俺の人格はやつに塗り替えられるのか?」

「……じーじは……」


 ロゼッタもまた、目元を濡らしていた。二人の少女に泣かれて、カイルとしては散々である。


「……指輪を嵌めた人は、次のじーじになるって教わった。……単に後継者になるって意味だと思ってた……」

「貴方ね……!」


 悪気があったわけではないらしい。

 カイルはレオナの肩に手をやると、「許してやれ」と諭した。


「養父の遺言に従ってるだけの娘だ。そう目くじらを立てるな。今のお前、凄まじい目つきをしてるぞ?」

「……この子の肩持つんだ? ていうか二人で何やってたの? 胸ボタン外れてるわよね、その子」

「そういえばどうして学院にオークがいるんだろうな。これは由々しき事態ではないか? 教師に報告しなくてはならないな」


 カイルは強引に話題を反らした。

 自分でも無理があるのはわかっていたので、その場でレオナを抱いて黙らせた。


「ふああ……カイルしゅきぃぃ……!」

 

 一部始終を目撃していたロゼッタが真っ赤な顔をしているが、やむを得ない措置である。

 

「とりあえずここを出よう」

「出るう……出るう……カイルの言うことなら、全部聞くぅ……」


 別人になったレオナとロゼッタを引き連れ、両手に花の状態で地上に戻る。


「……カイル……もし、嵌めたくなったら言って。私はずっと、待ってるから……。カイルが嵌めてくれるの、待ってるから。カイルは嫌かもしれないけど、次のじーじになったら……私が責任もって、お嫁さんになる」

「だ、駄目よカイル! 絶対に嵌めちゃ駄目!」


 中庭に集まっていた野次馬達は、にわかに騒然となった。


「やべえよあいつ……出会ったばかりの女子に、もうハメてちょうだいとおねだりされてやがる」

「ものの数十分でそこまで手懐けたのか!? 速球派にもほどがあるだろう!?」


 くっだらない勘違いは全部スルーして、カイルは指輪の件で頭を悩ませていた。


 あれを嵌めれば、カーライルの知恵と力が手に入る。

 その代わり、今の自分ではなくなるかもしれない。

 レオナを大切に思う気持ちさえ、消えてしまうかもしれない。


 強さと愛。

 そのどちらかを選ばなければならないというのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る